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2015年6月 1日 (月)

グルベリ・イェンセン (グルベルグ・イェンセン) ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」 ほか 読響 サントリー定期 5/13

【指揮者について】

エイヴィン・グルベリ・イェンセンは1972年、ノルウェー生まれの指揮者である。今回、楽団はドイツ読みのグルベルク・イェンセンとし、E-G.イェンセンというバナーまであったが、最後者は明らかに区切りがおかしそうだ。イェンセンのキャリアは若いが、2009年から5年間、つまり30代後半から40代前半にかけて、ハノーファーNDR響の首席指揮者を務めて、頭角を現している。現在、定まったポジションを得て役割をもっている劇場やオーケストラはないが、ベルリン・フィルにもデビューを果たし、ウィーン国立歌劇場には2017年に初登場するというタイミングにある。日本には2度目の来日で、PMFでの来演が初めてだという。今後は新国立劇場と新日本フィルに相次いで出演が決まっている。

今回の読売日本交響楽団への客演は、彼にとって、ほぼ本邦デビューにちかい機会である。その演奏ぶりの素晴らしさは公開の動画からも確認できて、楽しみにしていたのだが、一切のマニエリスムに捉われない演奏という点では予想以上に徹底していた。

【シュタイアーもプログラムにつきあう】

前半のアンドレアス・シュタイアー(pf)のパフォーマンスも、この印象に一役を買うものだったかもしれない。まず、序奏において、ピアニストが加わり出したときには驚いた。弦の独奏者がトゥッティに加わって調子を合わせることはよくあるが、ピアニストの場合はあまり例がない。独奏部が始まっても、彼はちょこちょこと参加して、オケの物真似をしたり、自分なりに物足りない声部をこっそり上塗りしていたりする。通奏低音のような役まわりをやっていることもあれば、即興的なパフォーマンスにみえたときも。自由だが、模倣の際は弦にも管にも上手に重なり、補強が入ると、オーケストラもハッと気づいてそれを埋めにいく。作品を知り尽くしたうえでの闊達な伸縮は、オーケストラというキャンバスを明るく輝かせるのにも一役買ったのだ。

グルベリ・イェンセンの指揮は、レガート系の艶々した肌で、敢えて、独奏者の動きを拾うようなものにはしていない。これは多分、ピアニストのからの注文で、彼らはあくまで「既に描かれた絵画」としての役割を演じなければならなかった。そこへアクション・ぺインターのようなシュタイアーが現れて、1回的なパフォーマンスを繰り広げるのである。モーツァルトのピアノ協奏曲第14番は、作曲家自身がつけ始めた作品リストの最初に記載された作品だということだが、シュタイアーはそうすることで、この時期のモーツァルトがもっていた生き馬の目を抜くような勢いと、発想の目新しさを再現することが可能だったのである。

長調部分から短調部分への転調では、ハイドンやそれ以前の音楽家に比べて、一音、もしくは、ほんの僅かな休符を使って簡単に戻ってくることが多いモーツァルトだが、この作品の中間楽章では意図的にダラダラと短調がつづき、今回の演奏では特に、それを意図的に増幅した面も窺える。その真意は明らかでないが、作品がつくられた1784年~85年はモーツァルトにとって大事な年であり、人生のなかでもっとも多作で、演奏家としても絶頂期を迎えていたことから、その象徴としてシュタイアーはこの作品の暗鬱な面をかえって強調してみたのではないかと思われる。

その発想の是非はともかくとして、シュタイアーのモーツァルトは既に至芸であった。今回のパフォーマンスは彼の得意とするピリオド楽器ではないことから、「本領発揮ではない」とする意見もあるが、彼は既に述べたような遊びも含めて、目一杯にその高機能を引き出しており、時代的な質素な特徴と矛盾させないように弾くこともできた。優しく、清らかだが、どこか冷淡で客観的な演奏は、個性的である。私は実演には接したことがないものの、録音などを通じて聴くフリードリヒ・グルダの演奏には、特別な敬意を払っている。今回のシュタイアーのパフォーマンスは、モーツァルト演奏において、彼以来のもっとも知的で、遊びに満ちた演奏ではないかと思われた。ひとりで弾くカデンツァのような部分よりは、オーケストラとの協奏部分に面白さが詰まっているのもよい。

もちろん、独奏においても彼が超一流の弾き手であることは、アンコールのソナタ第10番からの演奏をみても明らかである。この作品は1783年の作品で、協奏曲と同時期といってもよい。第2楽章はヴァリエーションを含む形式で書かれ、後世からみると、僅かに時代を先取りしている感じがある。ウィーン時代のモーツァルトはこうして、半歩ずつでも時代の先をいく振る舞いをみせていたのだ。しかし、作品そのものの響きは親密で、家庭的な味わいも備えている。ソナタ第10番は「パリ時代」の作品といわれたこともあったが、KV265のいわゆる「きらきら星」変奏曲とよく似た構図がある。ただ、作品はそのときの形式を踏まえながらも、ずっと深化した音楽的感興を聴き手に与え、民謡からより洗練された芸術的言語に変容しつつあった。

グルベリ・イェンセンは、ソリストのシュタイアーの意見をよく感じながら、艶々したノーブルな響きで、作品のベースを染め上げた。いかにも欧州的な機能的な和声の集積、それを縫うように走る読響らしいアンサンブルが引き出され、私は早くも、彼の演奏に全幅の信頼を置くが、フロアの反応は、モーツァルトの演奏にあまり興味のなさそうなものであった。これからショスタコーヴィチが始まるということを考えれば、それは無理もないことであろう。あとから考えれば、シュタイアーは指揮者の個性に鋭く順応した演奏で、その日のプログラムに参加していた。ショスタコーヴィチが「ロシアのモーツァルト」といわれただけではなく、彼らが同様に、旧来のマニエリスムに嵌まらない独特の音楽家であることを示すには、シュタイアーの協力も必要であったのだ。

【見事な解釈】

そのショスタコーヴィチであるが、アーティキュレーションや強弱、テンポだけの変化に止まらず、作品が描くドラマトゥルギー全体のイメージに変化を及ぼすような独創性のある演奏だった。大抵の演奏は、実際のレニングラード(ペテルブルク)包囲戦の長さとは無関係に、それがまるで1日で終結した出来事のように凝縮して表現されるが、グルベリ・イェンセンの演奏は毎日、砲火がつづくなかで、それが当たり前のようになっている時代のなかで響く音楽のように感じられる。恐怖や不安といったものは一過性のものではなく、深々と内面化され、既に市民のこころへと溶け込んでいた。砲火がつよく轟けば、人々は騒音の酷いところでラジオのボリュームを上げるように反応し、図太く生活を送っていたし、音楽のデザインもチャイコフスキーやプロコフィエフに範をとったようなバレエ音楽の特徴に擬せられる部分が多いことから、市民が極限状況においても、芸術活動を楽しんでいた風が窺われるのだ。一方で、「戦争のテーマ」のリフレインのなかで、決して緩まないアッチェレランド(加速)から感じられるのは、もう、こんなことが一刻も早くおわってほしいと願う、素直なこころの叫びであろう。

不安や恐怖を、第4楽章から特に強調的に描かれる団結や、勝利の響きによって克服するのが従来の演奏伝統(の内面的特徴)であるが、グルベリ・イェンセンは団結をより早い段階で描き、これを祈りと結びつける解釈を鮮明に浮かび上がらせた。第1楽章のおわりのほうで、ヴァイオリンとヴィオラだけで聖歌のような響きを奏でる部分があるが、その部分で、私はハッとさせられた。これを機に、邪まで粗野な響きは後退し、ついに「敵」の退却ラッパが鳴り、再び失地回復を目指す悪魔の響きも容易には近寄って来られない。これによって、第1楽章がおわっていく。このモティーフは形を変えて後半にも受け継がれ、作品の宗教的な性格を明らかにするのである。見事な解釈だった。

中間の常識外れの厳しいアッチェレランドは議論を呼ぶかもしれないと思われたが、実際、そのとおりになっているものの、思ったよりはずっと支持率が高いようである。あの速さでありながら、音楽のもつイメージがあまり壊れていないのは、慎重によく聴いてみると、テンポが上がっても、記譜された1拍なら1拍がきわめて正確に守られており、音楽的なモティーフがギリギリのところで命脈を保っていたからであった。これは実のところ、先日、チュマチェンコ女史の演奏のなかに聴いた要素と同じ特徴なのである。つまり、テンポこそ極端なものであるが、1枚1枚シャツをのばして、竿に干すというあの地道な作業の繰り返しが確かに窺われたのだ。

【バレエ音楽のテイスト】

今回の演奏がショスタコーヴィチのディープな愛好家によって、「軽い」と評される理由のもうひとつは、グルベリ・イェンセンがまるでバレエ音楽のようなテイストを随所に滲ませて、快活な音楽をつくったこととも関係している。ショスタコーヴィチはこの作品でも、本歌取りのような引用やコラージュの手法を用いており、それを見抜くことがひとつの楽しみとなり得るが、NMLでいろいろな録音を聴いていると、例えば、ムソルグスキーのような音楽的イメージを発見した指揮者もいた。グルベリ・イェンセンの場合を聴けば、チャイコフスキーとプロコフィエフのバレエ作品を下地にして、ショスタコーヴィチがこの時代を描こうとしていたことが推察される。

ところで、レニングラード包囲戦は、ドイツ軍の一部を引きつけるために、ソヴィエトがいわば寝技に引き込むようにして、意図的に長引かせた戦闘の集積である。2年4ヶ月つづき、67-100万人の死者が出て、非戦闘員の犠牲者が多かったという。大量の餓死者が出たし、薪炭も不足するなかで暖をとるためには、街の芸術的財産である書物や骨董品までも燃やしてしまわねばならなかった。飢えのなかで、猫が貴重なたんぱく源として食されたために、包囲戦がおわったあとのペテルブルクではネズミの大量発生があったという。一方、包囲中にもかかわらず、学校は閉じられず、市中ではロシアの詩人の作品が朗読されたり、演劇や音楽の公演が続けられ、芸術祭も催されて、人々のこころを勇気づけたことも知られている。多分、指揮者はそんなことも知っていて、当時、ロシアでよく愛されたものはといえば、やはりバレエがいちばんだったのではないかと考えたにちがいないのだ。実際、チャイコフスキーやプロコフィエフのバレエ音楽とよく似たモティーフが、作品のなかでは頻繁に用いられているように感じられたが、わけてもプロコフィエフの「発見」は意外であった。また、全体をそうした雰囲気で染め上げることで、作品が新しい表情をもつことにもなったのである。

作品のモティーフに照らして、バレエ的な特徴をもつことは決して的外れではない。なぜなら、スラヴ民族は伝統的に、葬儀の際にポルカやフリアントのような明るい音楽にあわせて踊ったりしたという事実があるからだ。ショスタコーヴィチはそのような民族の特質にあわせて、この時代の場合は、バレエ音楽のエッセンスを出汁にしたとしても不自然ではなかろう。そこでは芸術と生活が分かち難く結びついている上に、バレエ・リュスの名前を持ち出すまでもなく、バレエは伝統的にロシアのストロング・ポイントであり得た。ただ、バレエがロシア庶民にとって、例えば、『罪と罰』の三等官マルメラードフ氏のような人物にとって、どれほどの価値をもつのか、私にはわからない。とはいえ、ショスタコーヴィチのバレエ作品はほぼ例外なく、政治的風刺を含みながらも、明るく平易なつくりをしており、交響曲や弦楽四重奏曲といったジャンルとは、いささか毛色が異なることを示しているだろう。

こうした平易さと明るさは実のところ、交響曲第7番の身上である。そのため、作曲家にとって間違いなく最高傑作の部類に入るにもかかわらず、8番、4番、1番、10番、15番などと比べると、「レニングラード」シンフォニーの価値は低くみられがちなのである。もしもあなたが誰かに対して、なかなか骨のある知性的な音楽愛好家として振る舞いたいとするならば、「ショスタコーヴィチの作品では8番や4番を特に尊敬します」と言えばよい。グルベリ・イェンセンはこうしたアカデミックな価値判断を排し、庶民の願い、日常、そして、祈りの象徴として、交響曲第7番を堂々と演奏したのだ。ハレルヤ!

【ショスタコーヴィチの真意】

こうした天を衝くような明るさに、私は最後の瞬間まで息を呑んでいた。つまり、この作品がハリウッド映画のように、それまで起こった現実を無視して、楽天的な結末に至るのではないかという疑いをもっていたのである。だが、これは杞憂におわった。最後の段階で、グルベリ・イェンセンは油断すれば、聴き逃してしまいそうな自然さで以て、再び死者へと視線を向けるメッセージを築き上げていたからだ。その鍵となるのは、死を象徴する楽器であるトロンボーンとなるが、それに至る対位法的構造の作り方などにも繊細な配慮があったのだと思う。最後、メジャーに転じるが、むしろ、そこで死者と生きる者が手を結ぶことで、宗教的なテーマが力強く、一挙に作品を支配する。そのとき、頭に浮かんだのは、先にも述べた第1楽章おわりのヴァイオリンとヴィオラだけの部分だった。これによって、作曲家ショスタコーヴィチが一体、なにを表現したかったかは明らかである。

響きを冷静に分析すると、ベースとなるトロンボーンの勇壮な旋律が中央を貫通するなか、それに弾き飛ばされるようにして、V×5(勝利)の五連暗号音が重ねられており、明らかに勝利が死に立脚していることを感じ取ることは容易い。だが、多くの録音を聴いてみると、この単純なメッセージが意外にも見逃されている場合が多いように感じられるのだ。その反対に、私が知るなかで、そのメッセージがもっとも顕著なのは、作曲家とは知己であったルドルフ・バルシャイが指揮し、モスクワ・フィルとユンゲ・ドイチュ・フィルが連合して演奏したBISのライヴ録音かもしれない。

なお、この録音の最後のトラックには、終演後の’Moment of Silence and Meditation’も収録されている。この日も最後は、かなり派手で祝祭的な雰囲気を残しておわったにもかかわらず、聴き手はバルシャイのオーディエンスと同じように、すぐにアプローズには移行せず、ちょうどよく大きく開いた指揮者の腕が下りて、完全にリラックスするまでは何も起こらなかったのだ。それだけ、ショスタコーヴィチを愛するファンだけが集まっていたということかもしれないが、もちろん、生半なメッセージではこうした現象を起こすことなどできない。もっとも、それだからこそ、この演奏に対する賛否は一様ではなかったのかもしれないのだ。私も好きか嫌いかと問われれば、グルベリ・イェンセンのスタイルを積極的に好むものではない。だが、それにもかかわらず、彼の演奏にはつよい一貫性を感じ、熱烈な支持を表明せざるを得ないのである。

【埋もれた道に筋をつけた】

この日の演奏は、マニエリスムを排した表現に徹することだったと思う。昨年、なぜかレヴューを書くのを控えて(サボって)しまったが、ウルバンスキ(&東響)も独特の演奏をおこなった。彼は第1楽章で弦を押しつけるようなレガート奏法を強いて、鶏の首を絞めるような響きで演奏した。決して上手には聴こえない、このような響きを出すことで、ウルバンスキは当時のペテルブルクの状況を象徴させようとしたのだし、良い奏者や楽器が揃わないなかで、切実に音楽を求めた街の風景をも生々しく描き出したのだ。この演奏も独特で、戦争のテーマの演奏テンポはまるで対照的だが、ウルバンスキの演奏では「一切のマニエリスムから自由な発想」という言葉までは浮かばなかった。グルベリ・イェンセンのパフォーマンスをみると、演奏イメージを醸成する過程で「過去」の与する範囲は僅かにすぎない。

まとめてみれば、グルベリ・イェンセンの解釈には次のような特徴があることがわかる。

①たった1日の戦闘ではなく、長い砲火のなかに生まれた1日の風景が描かれている。②描写的な表現というよりは、当時のペテルブルク市民の内面的なものから投影されたイメージから生じる音楽である。③バレエ音楽を主体とした芸術的な分厚いベースを明るめに投映し、厳格で、創意に満ちた宗教的要素がこれをきっちりと固めている。④これらの演奏スタイルは直接的には、自ら楽譜や資料に当たって温めたイメージだけによって構築されている。

しかし、彼の名誉のために付言しておくならば、グレべり・イェンセンの音楽は根なし草の、熟成を経ない生々しい表現ではないということも重要なことであろう。そうではなく、現在まで見逃されてきたものの強烈な閃きが、私たちをかつて知らなかった場所に導くにすぎない。長年の砂の堆積で埋もれた道に、グルベリ・イェンセンは再び筋をつけた。この日の演奏会は、そんな機会だったのはなかろうか。

【プログラム】 2015年5月13日

1、モーツァルト ピアノ協奏曲第14番
 (pf:アンドレス・シュタイア-)
2、ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

 コンサートマスター:長原 幸太

 於:サントリーホール

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