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2015年8月 3日 (月)

クァルテット・エクセルシオ with 近藤嘉宏 ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 op.25 ほか クァルテット・エクセルシオ 東京定期 7/9

【西野が休演中のエク】

今季のクァルテット・エクセルシオ(以下、エク)は、第1ヴァイオリンの西野ゆかが腕の治療のため、1年ほど休演することを決断し、その間、客演の第1ヴァイオリンを呼ぶだけではなく、いつもはできない弦楽トリオや、ピアノ、オーボエなどとのコラボレーションによって1年を乗りきることとした。その最初の公演は既におわっているが、彼らの活動の柱である各地定期公演では、これが初めてとなる。今回のゲストはピアニストの近藤嘉宏で、ヴァイオリンの山田百子と少年/少女時代からの交流がある人物ということである。エクとはブラームスのピアノ・クィンテットで録音もあり、同じミリオンコンサート協会のマネジメントを受けているが、単独でもそこそこ人気のあるアーティストとも承知している。だが、こういうことでもなければ、聴きに行くことはなかっただろう。

【エク&近藤】

エク&近藤のブラームス(op.25)は、一口にいえば活きがよいものだった。近藤は優れたアンサンブル・ピアニストというよりは、作曲家自身のような確信をもって堂々と弾くタイプの奏者だ。メナヘム・プレスラーのようなアンサンブル・ピアニストのスペシャリストとは異なり、共演者の模倣をしたりすることはあまりなく、エナメルで固めた硬質な響きで、イン・テンポに筋を通すのが基本線である。ハンブルク・スタインウェイの通訳をするような、筋金入りの響きにこだわりをもっている。このような特徴から、演奏の特質はほぼ限定されてしまうのは避けがたい。一口にいえば、彼のピアノはアンサンブルの尻を叩くようなものなのだ。

エクの演奏は極力、予見をもたないところからスタートし、4人にとって自然で必然性の高い表現を1から見つけていくところに味わいがある。だが、近藤との関係では、もうすこし別のステージから筋を通していくということになったであろう。上手な表現がパッと思いつかないのだが、今回のパフォーマンスにおいて、エクは近藤を演出家に迎えたような気分だったのではないかと思う。もちろん、歌手たちは声楽的な修練を積んでおり、その役を音楽的な面からよく知っている。だが、演出家はそれとはまた別の視点から、スコアを表現するアイディアを教えてくれる。近藤のピアノは、ちょうどそういうものだったように思われる。近年は傲岸不遜の演出家も多いなかで、近藤は相手の音楽フィールドを尊重し、聴く姿勢をもっている。だが、そう簡単には譲ってくれない。

尻を叩かれる・・・という感覚は、既に第1楽章の演奏から生じたものである。第2楽章は弦の主導で始まるため、冒頭で、弦の側から丁寧で柔軟なエクらしいアプローチが聴かれた。ただ、ピアノ・パートはすぐには折れず、ピアノの強調部を境に、再びベースを自分寄りのものに引き寄せていく風にもみえた。もしもエクが主張をつづけないなら、簡単に明け渡すことはないという意志表示である。第3楽章には、両者のひずみがもっとも大きく聴かれた部分があったが、チェロの大友がいったん他の2人と分かれ、ピアノの左手の動きと合わせたような区切りになおしてアーティキュレーションを調節すると、音楽にスムーズさが戻った。大友が媒介となり、ヴァイオリンとヴィオラとの隙が埋まった。

第4楽章は弦アンサンブルが冒頭部から示すルバートに対して、近藤がほんの僅かに譲り、作品の示す表情に明るさが増した。エクもそれ以上の主張は控え、普段の自分たちにはない毒々しい鋭さのあるアンサンブルをこの日の成果と見做したようである。こうしてみると、ブラームスが地獄の先に天国を描いた作曲家だというイメージがハッキリする。そのテンポ感はきわめて速く聴こえるものの、ツィゴイネル(ジプシー風)でプレストという指定から、従来の録音でも珍しくはないようだ。しかし、それまでのすこし気取ったようなイン・テンポのフォルムが効いて、シューマンからの影響が濃厚であるようにも感じられ、示唆的だ。強烈なフォルムの構成にもすんなりつけられるエクは、もともとは現代のレパートリーにも精通した手練れのアンサンブルであることを改めて感じさせる。

【セレナード】

この日の演奏会は、過去の作曲家に対する参照と個性の確立というテーマをもっている。前半のドホナーニ『弦楽三重奏のためのセレナード』は、その題名や形式からみて、ベートーベンの『セレナーデ』(op.8)の発想に立脚しているのは明らかである。ときにドホナーニは二重帝国下のブダ・ペストでハンス・ケスラーという人物に習っているが、彼はレーガーの従兄に当たり、ブラームスに傾倒していた。そのため、ドホナーニもドイツ音楽の伝統に深い関心を示し、その初期作品ではベートーベンの発想に倣ったのであろう。ただ、それも猿真似におわる内容ではなく、独特のストーリー性と味わいに満ちたものである。

元来、「セレナーデ」とは、異性への想いを伝えるために楽士が伴奏で応援し(弾き語りのことも)、戸外から美しい歌などをうたって口説くときに用いられる音楽で、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』題名役が歌う有名なセレナーデ「窓辺に出でよ」に象徴されるような音楽世界である。ドホナーニも途中(第1-2楽章)までは、そうした詩的なイメージを利用し、ややアイロニカルな笑いもまぜて表現している。だが、後続の2楽章では徐々に『ロミオとジュリエット』的な緊張が加わり、イメージが劇的に深さを増していく。しかし、そのまま物語を継続するのではなく、終楽章では純音楽的な流れに復帰し、筋の面ではオチをつけずにディヴェルティメントによる音楽的愉悦だけを残しておわるのだ。

第2楽章ではヴィオラとヴァイオリン、第4楽章ではチェロに際立つ見せ場があるが、3人は萎縮することなく、それぞれに味わいぶかい個の魅力を漂わせた。特に、普段は控えめな役割を好むヴィオラの吉田がつくる深く、柔軟な響きは、なかなか表には出にくいヴィオラの持ち味を如実に示すものであったし、ファンとしても彼女のことを誇らしく感じるパフォーマンスだった。一方、その見せ場がおわり、ヴァイオリンに引き継ぐ場面では、すぐさまキレのある刻みに転じ、いっそうリラックスした動きをみせたのも楽しいところであった。

ドホナーニの演奏では、西野さんが欠けて、いつもの役割が変わることに不安であるというよりは、逆にノビノビと初心に戻ったようなアンサンブルが爽やかに響いたが、3人の役割がより厳格で、隙のないバランス関係や連携が求められるベートーベンにおいては、まだ課題がありそうである。

【補足】

とはいっても、普段できないからこそ、この機会に是非ともやっておきたいという名曲がプログラムされ、私たちとしても、この1年は忘れがたいものになりそうだ。『エク通信』吉田さんの記事によれば、休養中の西野さんも「元気にしております!!!」とのことで、素直にパフォーマンスの新鮮さを楽しんでもよさそうな感じである。パフォーマンス面でも、この演奏会の成果で、この1年を乗りきっていくには心配ないことが確認されたといえるだろう。今季は古部夫妻(山田百子はオーボイストの古部賢一と夫婦)の共演などもあり、トラブルがあっても、話題には事欠かないクァルテット・エクセルシオである。

【プログラム】 2015年7月9日

1、ドホナーニ 弦楽三重奏のためのセレナード
2、ベートーベン 弦楽三重奏曲第2番 op.9-1
3、ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 op.25
 (pf:近藤 嘉宏)

 於:東京文化会館(小ホール)

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