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2015年11月20日 (金)

チョン・ミョンフン ブラームス 交響曲第4番 ソウル・フィル 東京公演 日韓国交正常化50周年記念事業 10/19

【概要】

日韓国交正常化50周年記念事業(外務省)のひとつとして、主催のサントリーホールが提案したのがチョン・ミョンフンを指揮、室内楽、エデュケイション、アンチ・エイジングの各テーマでフィーチャーする企画である。今回のシリーズでは、チョン・ミョンフンがソウル・フィルと東京フィルを指揮し、日韓のメンバーと室内楽公演を繰り広げ、指揮マスタークラスをおこなう。オーケストラ公演のうちひとつは「アクティブ・シニアでいるために」と題したもので、70歳以上の人だけを対象にした公演となっており、若干、割安な価格設定のコンサートにするというユニークなものだった。私はそのうち、初日のソウル・フィルの公演を聴いた。

ソウル・フィルは2005年に世界的な指揮者のチョンを常任指揮者・音楽監督へと迎えるときに換骨奪胎し、1年契約を基本として、オーディションによって優秀な団員だけを残すシステムに変わったことが報じられていた。その後、チョンのもつ分厚いコネクションの威力もあり、ソウル・フィルはアジアのオーケストラとして初めてドイツ・グラモフォン・レーベルと契約するなど話題を集めたが、そのチョンは細かな醜聞をきっかけに楽団の運営側と険悪な関係となり、今後も客演はつづけるらしいとのことだが、ポストからは離任することが決定的というから剣呑なはなしである。チョンといい、小澤といい、世界の大指揮者は母国ではなかなか、それに見合う適切な地位を得られないものらしい。もちろん、外国で評価されたものばかりが価値あるものとして逆輸入されるような傾向も一方にはあるが、いずれも私にはバランスを欠いているように思われるのだ。

かくいう私のチョンに対する評価はこれまで、1勝1敗というところだった。初めて聴いた2004年の『カルメン』はフランスのオランジュ音楽祭と藤原歌劇団の共同制作で、フランス国立放送フィルがピットに入ったものだったが、これは稀にみる名演として記憶に焼きついている。しかし、その後にN響でブルックナーを振った演奏会は、私の聴いた演奏会のなかで明らかに酷いもののうちのひとつで、それからはチョンの指揮する演奏会は敬遠するようにしていた。特にドイツもののときは!

今回、ブラームスのプログラムで、チョンの演奏会にいった理由のひとつは、フランス国立放送フィルでコンマスを務めるスヴェトリン・ルセヴのヴァイオリンを聴きたかったせいだ。もしかしたら、後半のコンマスを務めるかもしれない。それだけの理由だった。否、それほどに、私はこのヴァイオリニストにふかい敬意を払っているのである。レオニダス・カヴァコス、アナ・チュマチェンコ、フランク・ペーター・ツィンマーマン、そして、ルセヴ、加えるなら、もう滅多にまともなコンサートは聴けないオーギュスタン・デュメイが、私にとって特別なヴァイオリニストだといえる。

【ブラームスの個性というよりは楽団の個性】

しかし、チョンのブラームスは本当に素晴らしかった。これで、チョンの2勝1敗・・・その1敗だって、こうなってみれば、単にN響があまりにも動かなかっただけではなかったかと思い返される。どうでもよいことだが、私はブラームスをもっとも愛する作曲家として挙げることが多く、それだけに点は辛くなりがちだ。今回の演奏だって、私好みかと言われれば、そうではないだろう。だが、これほどの演奏をされてはかなわないのだ。同作品の演奏で、私がひとつの経典として記憶しているのは、今季の札響の演奏だ(指揮はエリシュカ)。対位法の部分など、優雅なフォルムを整え、より精緻に人間性を浮かび上がらせるような演奏には、より深い敬意を捧げるべきだろう。だけれども、一方では、チョンとソウル・フィルらしい成功というものがないとは限らない。ブラームスの個性というよりは、演奏の個性が際立っているのである。

就任から10年ちかくになるが、チョンはこのオーケストラへ正に自分自身をコピーしたといえるのかもしれない。彼らは徹底して歌うオーケストラとして仕込まれているが、同時に、室内楽シリーズが年間を通して分厚く組まれているように、対話力の物凄いオーケストラだった。凄まじい機動力と、ひときわ柔軟な音楽性は、サイトウキネン・オーケストラのようなアンサンブルだけがもっている特徴だ。一方、ドレスデン・シュターツカペレに範をとるかのようなガツガツした響きも志向している。あとで調べてなおしてみると、チョンはなるほど、ドレスデンで2012年以来、SKDの首席客演指揮者に名前を連ねている。彼は自らの経験を真正面からぶつけて、このオーケストラを自らのイメージする理想的なものとして育て上げてきたのだ。1から作り上げたものは、本当の意味で強くなる可能性をもっている。そして、彼が重視するのは、オーケストラやオペラという大型のサイズでも、同様に室内楽的なコミュニケーションの深さなのである。

もっとも、私が調べたところではブラームスの交響曲第4番は今季、これが4回目の演奏で、彼らにとって得意中の得意という演目であることも重要だろう。1月の公演はオーディエンスが聴きたい曲をチョイスする企画で、我が国では考えられないことにブラームスの4番がセレクトされているから、彼らも楽団のことをよく知っているということになろうか。オーケストラで演奏できるプログラムには限りがあるので、普通は名曲でも何年かに1回というようなペースになるから、年間3回も同じプログラムを演奏できたことはプロ・オーケストラにとっては有利な経験値となるであろう。すべて同じ指揮者だから、少しずつ冷却期間を置きながら、適度に表現を深めていくことができる機会はあまりない。そうした意味で、4回目の演奏が日本に来たというのは望外の幸運だったのである。

【細部】

第1音から、この演奏が凄いものになることは予想ができた。チョンの鋭い動きに対して俊敏に反応し、オーケストラは作品がもつアクションの激しさをからだ全体で表現する。歯切れがよく、曖昧さを排した爽快な音楽が、ブラームスらしい哀愁にのって見事に歌い込まれていく。ただ、イン・テンポというのとはちがうし、グループで決められた抑揚が見事に再現されている演奏だった。あざといというほどではないものの、ステイタスの高い音楽家だけが採り得るような大胆不敵の深いルバートもみられ、絶対音楽からストーリーめいたものも引き出して、自在にポエジーを引き出していく手法はさすがである。第1楽章のおわりでは、雷のように鳴るティンパニがそのインパクト同様に作品を切り裂いて、あとの楽章につづくドラマを広く切り開くようだった。なお、この雷は、交響曲の節々に出現し、ひとつの象徴のようになっていた。

オーケストラもチョンの棒にただついていくというだけではなく、進退をよく自ら弁えて、自分たちの特徴を引き出すパフォーマンスを考えながらやっているのがわかる。特に面白いのは弦のパートで、前半、ドッペル・コンチェルトの独奏者を務めながら、交響曲でもコンマス席に座ったルセヴのリードに注目すると、これまでみたこともない精緻な弓づけになっているのがわかった。唯一、類例を挙げるなら、東響在籍時に高木和弘がバロック・ピリオード・スタイルに根差した独特なボウイングを根付かせようと試みたことがあったが、それは必ずしも団内で十分な支持を得られなかったものか、2012年に入団から5年あまりで退団している。そこへいくと、ソウル・フィルはルセヴの採る難しいボウイングをほとんど自家薬籠中のものとして生かし、チョンのつくるドラマの一部分へと見事に組み込んでいるのであった。

弦管のレヴェルは拮抗しており、特にフルートとファゴットに目立つ人がいた。韓国の音楽エリート教育は国際コンペティションの結果にも反映されているように、優れた実績を挙げつつある。オーケストラのメンバーは、ほとんどが韓国人と思われるが、どちらかというと若手が主体で、一方、ティンパニと金管パートには外国人のプレイヤーが入っている。ただし、トランペットなどは若干、奔放すぎて感心しないところもあった。

ブラームスの演奏の良し悪しを決定するひとつのポイントは、派手な楽想に押し潰されることなく、宗教的な雰囲気を感じさせる部分があるかということに尽きるが、その点でクリスチャンの多い韓国人には我々よりも内面的にアドヴァンテージがある。だから、チョンがさほど苦労せずとも、エリシュカが言うような、欧州に共通していたブラームスのイメージのようなものを比較的、簡単に確立することができるのだろう。とはいっても、そのイメージは欧州内においても、既に忘れられつつあるもので、この精強なアジア人が欧州伝統の中核にあるものを見知っているということはまた、ちょっとした皮肉である。だが、チョンはそうした伝統に深入りするよりは、室内楽的なグループの良さを徹底的に生かして、韓国人が好むように、活き活きと図太く、哀愁に満ちた物語を描いていくことに腐心しているようだ。それは日本人の愛する伝統とはまた異なるものだけども、同時に、我々が根源的に憧れてきた何かを備えてもいるようにみえた。

チョンの演奏の独特さには、舞踊的なリズムの徹底した表現スタイルにも表れている。彼が譲らずに堅持するブラームスのイメージは、信仰と舞踊というキーワードによって示すことができる。活き活きと享楽を尽くす人間的なディオニュソス的衝動(自由)に対して、いつも戒めを与える神(アポローンとは言わないでおこう)の存在というものが、この演奏から感じられた。オーディエンスの熱狂も、かくやである。

【結】

ただ、この演奏会の客入りは、日本でも活躍するマエストロの晴れ舞台というには、若干、寂しいものであった。日本で韓国製品のイメージはすこぶる悪いが、オーケストラも同様に思われている可能性があり、たかだか隣国からの招聘でS席=12000円という値段設定はかなり強気なものだった可能性がある。一方、演奏を耳にした者の評価は上気したもので、日本のどのオーケストラよりも上だという意見すら聴かれた。もちろん、私はそれに賛成でないが、少なくとも、彼らが日本のトップ・オーケストラに勝るとも劣らない実力をもち、サイトウキネン・オーケストラのように個性的である点には強く首肯しなくてはならない。

とは言いながら、国の均衡ある発展が芸術・文化のレヴェルを引き上げるとするなら、ソウルへの一極集中は決して喜ぶべき事態とは思えない。私は以前に大邱のオーケストラを耳にする機会があり、指揮者の実力もかなりちがったとはいえ、あのときの体験と比べるとあまりにも差が激しいというのは問題であるように思われる。我が国でも確かに、東京への資源の集中は避けられないが、札響をはじめ、地方にあるオーケストラの実力もなかなか侮れないものであって、その点で、分厚い文化の広がりという点では、我々にまだまだ一日の長があるようだ。韓国は財閥依存社会で、ごく少数が富を占め、そこからあぶれた人たちがアメリカや日本などの外国に出ていくという社会だ。「一億総中流」の遺産を使う我々は、彼らよりはまだ幅の広いゆたかさを享受しているようだが、近年の政治は露骨に少数の企業・・・もっといえば、それを支配する現在の経営者だけを勝たせるための重商主義的政策になっており、有り体にいえば、韓国化しているわけであるから、彼らの姿を決して喜びだけによってみることはできないように思われる。

私は複雑な想いを抱きながらも、彼らの演奏をもっとも熱狂的に讃美した人間のひとりとなった。楽団員が引き上げても、ほぼ総立ちのオーディエンスがつづける拍手に対し、チョンはひとりで現れるのではなく、楽団員を呼び出して、もういちど舞台中央に集合させたのだ。感動的な風景だった。ここだけをみれば、楽団とチョンとの不和も、日本と韓国の間に横たわる軋轢も全くないように思われるほどである(実際、韓国との軋轢などは両国の右翼が演出しているものだけにすぎない)。楽団員諸君の抱くチョンへの尊敬は、いささかも揺らいでいないようだ。そうではなく、オーケストラが芸術外のところから腐ってきているにすぎない。チョンがもしも、本当に楽団を去るというのなら、その行く末は今日ほど明るいものではない。

しかし、君たちの幸運を祈るよ!

【プログラム】

1、ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
 (vn:スヴェトリン・ルセヴ、vc:ソン・ヨンフン)
2、ブラームス 交響曲第4番

 コンサートマスター:スヴェトリン・ルセヴ(前半は不明)

 於:サントリーホール

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