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2015年11月26日 (木)

クァルテット・エクセルシオ with 小林朋子 ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第8番 ほか 弦楽四重奏の旅#3〜ロシア・フランス光のうつろい @サントリーホール/ブルーローズ 10/25

【小林朋子は良い奏者】

クァルテット・エクセルシオは今季、第1ヴァイオリンの西野ゆかが休演していることは以前にも書いた。その記事に記した演奏会は、ピアニストをゲストに迎えてのものだったが、今回はいよいよ西野とは別のヴァイオリニストを迎えての弦楽四重奏公演である。ゲストの小林朋子は「クァルテット・ヒムヌス」のメンバーとあるが、彼らもエクよりは若いアンサンブルであるものの、我が国では存立そのものが難しい「クァルテット」業においてアクティヴな活躍をみせる常設団体のひとつといって構わないだろう。小林以外の奏者はプロ・オーケストラの所属であり、その技能の高さは疑いない。小林自身は、出身の桐朋の初等・中等教育の場に戻って講師として貢献している。

初めに断わっておくが、小林個人のパフォーマンスは西野にも勝るとも劣らないものであって、エクとの共演に疑問が残るものではなかった。意外にも、全曲で小林は第1ヴァイオリンを担当し、快活でゆたかな個性、特に高音の煌びやかな響きと、ハキハキした歯切れのよい音楽は随所に魅力的だったと思う。

ただし、アンサンブルとしてのパフォーマンスとしては、やはりゲストという立場を越えなかったというのも正直な感想である。今回のプログラムは普段、エクがあまり積極的に演奏するイメージではないショスタコーヴィチの演目が含まれるなど、小林の意見を取り入れたと思われるフシが大いに窺われるが、エクは自分たちの立場を固持するというよりは、こういう機会だから、どうせならゲストの意見に乗っかってやってみるというほうを選んだように思われるのだ。そのため、音楽づくりの根本も、いつもとは若干、異なっているように聴こえた。

【問題点】

エクは高い技能をもつ4人のアーティストの集合体であるものの、例えば「クァルテット・エベーヌ」のように、最初から何でもできてしまうような器用さは持ち合わせていない。その分、彼らは自分たちにあった音楽の形を丁寧に探求し、ミルフィーユの層を重ねるようにして少しずつ丁寧に仕上げていくことで、人々を納得させるような表現を鍛え上げていくことで、名声を築いてきた。自分たちの個性を確立しつつある彼らは、中堅からベテランの域に達する近年は、古典派に焦点を置いて活動してきたので、そのような印象はいっそう強い。若手がやるようなダイナミックな山谷をつける代わりに、エクは何十年も踏み固められた土で盛り上がった丘のような雰囲気で音楽に微妙なアヤをつけ、聴き手を深く納得させることができるようになってきた。だが、今回の演奏では、ダイナミズムに頼るフォルムづくりが避けられなかったようだ。

このような演奏法の問題点は呼吸が浅くなり、聴き手に対して単に「練り上がっていない」印象を残すだけでなく、その楽曲に順応してクァルテットが個性をつくっていくことにつながらないことや、楽曲が本来もっている自然な流れを切断し、強引な印象を与えることがある。こうした傾向は室内楽の場合、より規模の大きなオーケストラの演奏や、ソロでも音の多い鍵盤楽器の演奏に対して、しばしば決定的な影響を及ぼすことになる。室内楽では楽曲の表現以前に、アンサンブルのもつ独特の個性や、それを研磨していったときの深い説得力に、なによりも大事な味わいがあるからだ。

【ジレンマ】

さて、今回、演奏された3曲はいずれも、音楽の底に流れる舞踊的なものがポイントとなるような作品であった。最初のグラズノフはバレエ音楽の作曲家として名高いが、ショスタコーヴィチやラヴェルにも舞踊音楽の躍動的な印象が重要な役割をもっていると思う。オーケストラ作品で顕著であるように、舞踊的な表現にリアリティをもたせる表現をするためには、かなり思いきった表現や踏み込みが必要である。今回の4人の演奏に欠けていたのも、そこというほかはないだろう。

確かに、エクのメンバー、そしてゲストの小林も、それぞれ誠実に音楽をつくり、一生懸命に弾こうとするいつもの姿勢は変わらない。だが、もう一歩、踏み込みきれないものを感じるのだ。たった一人が変わってしまうだけで、弦楽四重奏団というのはこのようなジレンマを抱えざるを得ない。まだ熟成の進んでいない酒を、ボジョレーのように開けてしまったという感覚が、全曲を通じて拭えなかったのである。

3曲のなかでは、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番が比較的、充実した演奏であった。この作品は平穏な世界からは想像しがたい重苦しい背景をもっているものの、端的で鋭いエピソードとわかりやすい仕掛け、そして、パワフルなアクションと弱音のコントラストがくっきりしていて、演奏効果は高いだけに、既に書いたような演奏的な弱みが出にくいという特徴があった。だが、その曲でさえも、私には物足りないところが多く、この曲からしばしば感じられる背筋の寒くなるような感覚は得られなかった。確かに、この作品ではエクらしい演奏姿勢がもっとも豊富に表れており、たとえ西野がいたとしても、伝説のベートーベンQのような演奏とは異なるもの、つまり、シンプルで誇張的なもののない瀟洒な表現になったであろうことは想像しやすいのだが、それでもショスタコーヴィチ独特なギラギラした躍動感や、繰り返しに感情が載っていく粘っこい表現がないと、この曲がもっている独特の緊張感のようなものを醸し出すことは難しいはずだ。

グラズノフの『5つのノヴェレッテ』の演奏は、今回のパフォーマンスをある意味では象徴するようなものだった。作品は第1ヴァイオリンが目立ち、エクが小林を協奏曲を弾くオーケストラのように迎え、彼女を前面に出すことで、彼らの支持者たちに紹介しようとしたことは想像に難くない。その点ではある程度、作戦は成功したというべきだろう。ただし、その曲の表現を考えたときには若干、安全運転だった印象も否めない。

前半の曲目をおえて、ラヴェルにはある程度の期待感をもっていただけに、残念なパフォーマンスにおわったときの脱力感は小さくなかった。私はエクの演奏で久しぶりに、退屈な印象を抱いてしまうときがあった。反面、アンコールのチャイコフスキーではようやく、クッキリした拍節感の素晴らしさが際立つ演奏が聴けただけに、ラヴェルのように、垂直な小節線や縦線があまり意味をもたないような作品では、かえってフォルムの構築が困難だったことも想像がつく。この作品は弦楽四重奏の歴史のなかでも、多分、他にはない特徴を示しており、個々の奏者がフリーの(民俗的な)ダンサーのように踊りながら、各々のちがいを際立せながら、最初から曖昧に組み立てられたフォルムを上手につなぎ合わせていくことで、聴き手が感じることのできるしっかりした詩情を生み出していかねばならない。きわめて難しい演目だということは、強調しすぎてもしたりないほどだ。

【まとめ】

小林さんとの共演は楽しみだったが、ある意味では予想どおりで、難しい結果になった。だけれども、これは通り一遍の成功を求めず、いつものメンバーがいないという特殊な事情のなかで、自分たちの別の可能性を探ってみようという試みであった点で、エクらしい探究心を示してもいる。いつも言っているように、私はエクの演奏会で、それ1回きりの成功を求めているわけではなく、長いキャリアのなかで少しずつでも新しい成長を示していくような、そんな姿勢を愛してもいるわけだ。ときには失敗があってもよく、新しいことをやるときにいつもよりクオリティが低いことがあるのも止むを得ない。小林さんにはまた何かの機会にご一緒してほしいし、今回の協力には素直に謝意を表したいと思うものだ。

私はスポーツ観戦も趣味にしているが、自分が爽快な気持ちになりたいがために、勝つことだけに執着し、失敗したときには、これでもかと人を傷つけるほどの悪態をつくような見方は慎みたいと思っている。判官びいきというわけではないが、私はだから、トップにも張り合える力があるけれど、いつも勝つとは限らない中位のチームを愛する傾向がある。クァルテット・エクセルシオも、そんなものかもしれない。大事なことはいつも真剣に戦うこと、いまよりも上に行くために努力しつづけることだということは、どんなことをやるにも同じように思えてならない。

なお、ブルーローズの音響が、弦楽四重奏に適していないというのもあると思う。かなり手を入れたとはいえ、元がレセプション用みたいなホールだし、実際、ニュイーイヤー・コンサートとかでは簡易なダイニングとしても使われている。音に広がりのある鍵盤やある程度の規模があるアンサンブル、電子音響を使った公演などには適しているものの、基本的に音響はデッドで柔らかみに欠けるから、弦楽四重奏ではサバサバしたサウンドに感じる点は割り引いて考える必要があった。

【プログラム】

1、グラズノフ 5つのノヴェレッテ
2、ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第8番
3、ラヴェル 弦楽四重奏曲

 於:サントリーホール(ブルーローズ)

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コメント

私は、2015年11月26日のエクセルシオの演奏会を聴きました。エクセルシオの演奏会は年に2~3回は聴いております。今回、小林朋子さんが入った演奏会は初めて聴きました。いつものエクセルシオとは違った感覚を受けました。
小林朋子さんの演奏は実にみごとな演奏でした。でもいつものエクセルシオとは違うなと感じながら、これは致し方ないなと納得しました。西野ゆかさんが抜けた後、第二バイオリンの山田さんが代わりをするのかなと素人ながら思いましたが、そうはいかないのですね。私はエクセルシオに対してよく練習を積み重ねて緻密な演奏をする演奏集団と見てきましたが、20周年を迎えるあたりから、しなやかな演奏をする集団に変わったなと感じておりました。その時に西野さんの件が生じびっくりしておりましたが、エクセルシオさんはよく切り抜けてやっておられるなと感心している次第でおります。ただこの日の演奏会は私にとっては満足はしているけど、どこかでしっくりいかないところはありました。まあこれは致し方ないでしょうね。私はひごろから感じていましたが、第二バイオリンとビオラの二人は本当に縁の下の力持ちの役目を果たしエクセルシオの土台を担っているなと感じていましたが、どうしてもこの二人の演奏が聞こえてこないのです。エクセルシオはチェロが男ですのでどうしても力強く演奏されるので、いつもここのエクセルシオはチェロが目立つように思えてなりません。もう少しチェロのボリュームを抑えたならば、第二とビオラが浮き出てすばらしい演奏になるのかなと個人的には思っております。西野さんが早く復帰して、またすばらしい演奏を期待しております。

伊藤さん、私はまったくちがう見解をもっていますが、ご意見を面白く窺いました。自分のごく狭い体験は伊藤さんに及ばないものでしょうが、そこからすると、外声部は内声部よりしっかりしているほうが音楽は引き立つ感じがします。古典四重奏団の田崎さんなどと比べて、大友さんのチェロは確かに強いですが、自分はチェロだけが特に目立つと思ったことはありません。ただ、もし、そう感じられたとしても、チェロのボリュームだけを程よく下げるとかいう、デジタル処理みたいなことはできないでしょうから、バランスはクァルテット全体で高めていくことになるはずです。

お返事ありがとうございます。貴方のブログは時々(時たまかな)拝見しております。的を射た分析力のある文章には感服いたしております。私には貴方のような文章はとても書けません。
私が若いころ、まだ指揮者の小澤征爾さんをよく知らない時に、交響曲を聴いた時、一つ一つの楽器が聴こえてくるのに驚かされました。この時以来この人はすごい人だなと思うようになりました。この時の印象が強かったせいか、楽団の楽器は一つ一つ調和して聴こえて来ないといけないと言う観念に固執とまではいきませんが、楽団の演奏会を聴く時、いつもその観念を基準に聴いております。奏者の演奏法でも自分なりに基準を決めて聴いております。そうすると自分なりにわかりやすいからです。でも、どう演奏しようがエクセルシオさんの自由なので、私のような素人が口を挟むことじゃないですよね。

自分はスケジュールがあわず、行ったことがないのですが、エクが定期の前におこなう試演会では皆さんの感想を聞いてくれるそうですし、独自の基準をもたれるのは良いと思います。僕と、あなたと、プロであるエクとでは、それぞれに想いがちがいますし、感覚も異なるのは当然です。

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