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2015年12月 4日 (金)

瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ・リサイタル2015 権代敦彦 委嘱新作 ほか 「連弾ソナタ250年に」 10/26

【構成】

瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノ・デュオの演奏会も、大分、馴染みになってきた。夫婦によるアンサンブルだが、一切の妥協なく、完璧な音楽をめざす姿勢は日ごとに向上しているように思われる。今回の演奏会では、敢えて連弾の作品だけを選び、2人が肩を並べて演奏した。同じ連弾でも、曲ごとにスタイルは異なっており、決して閉じた可能性だけがあるわけではないことがよくわかる。

演奏順にも、工夫がみられた。なぜなら、演奏会は最後のモーツァルト(それ以前の数少ない例を除き、連弾曲の最初の例となる作品)に向かって、徐々にシンプルなデザインに収束していく形になっていたからだ。前半はヒンデミットを露払いに、ヘルマン・ゲッツのソナタ、そして、委嘱新作の権代敦彦の作品とつなぎ、休憩後の後半はシューベルト、そして、最後にモーツァルトという構成である。

【ヒンデミットとゲッツ】

最初のヒンデミットから、いつものように活気のある演奏が繰り広げられた。ヒンデミットの作品は一部にノリのいい爽快なものもなくはないが、多くは響きが晦渋で、誰にでも親しみやすいとは言えない。ピアノ・デュオにとっては、2台ピアノと4手連弾にそれぞれピアノ作品があり、比較的、身近な存在となる。この作品はWWⅡに際してナチスに睨まれたゆえに、米国へと亡命してからの作品で、奥様と肩を並べて楽しむために作った作品だということだ。時代やその背景は異なっているものの、いま、こうして同じように夫婦で肩を並べて演奏している、そんな親近感もあって、彼らはヒンデミットのソナタを冒頭にもってきたのかもしれない。演奏家がもつ愛着はしばしば、ダイレクトに聴き手へと伝わり、この作品で、これほど充実した気分になれるとは思いも寄らなかったが、演奏会は大きな驚きとともに始まった。

プログラム解説によれば、ヒンデミットの4手連弾のソナタは、「連弾のための最後の傑作」と呼ばれているそうだ。ここから徐々に時代を遡り、(真筆かはわからないが、)モーツァルトが9歳で書き、以後の時代、よく書かれることになる連弾曲のほぼ最初の例に当たることになった作品へと向かっていくプログラム構成で、演奏会は進んでいく。

つづいてのヘルマン・ゲッツは、ブラームスやハンス・フォン・ビューローと親交のあった作曲家だが、30代半ばで夭折したため、その真価を十分に試されることはなかった。作品リストには交響曲などもあるが、ブラームス同様にピアノの名手だったとのことで、鍵盤作品がもっとも豊富である。近年、日本でもいくつかの演奏例があり、例えば、2014年に大阪響はピアノ協奏曲を取り上げている。4手連弾のソナタは、ゲッツの遺した最良の作品のうちのひとつかもしれない。彼の書法は友人のブラームス同様に内省的なもので、あまり派手なものは好まず、節度を弁えたがっちりした構造を組み立てることを得意とする。そのような彼の個性は、4手連弾というような音楽にはよくあっているように思われた。

4手連弾では多くの場合、プリモが主導権を握ることが多いが、この作品においてはセコンドの役割が重要である。例えば、第4楽章ではショパンの「葬送」ソナタによく似たモティーフが現れ、夭折した作曲家の心情を推し量れば、重苦しい雰囲気にもなりかねない。このモティーフは主にセコンドの担当する音域で奏でられるが、そこにやさしく手を添えるのがプリモの役割である。ゲッツは暗いモティーフに、ほんのすこしの花を添えることで、情感がまったく対照的に持ち直し、希望の響きへと変化していくことを示した。今回のデュオの演奏では、感情が繊細に変化し、勇気づけられていく過程がより明快に物語られ、演奏会を通じて貫徹されたポジティヴなメッセージと整合していた。

録音で事前に聴いてみた段階では、やはり終楽章のモティーフがもっとも印象的であったが、実際の演奏を聴いてみると、ショパンよりもさらに古い音楽、特に古典派の影響が濃厚であり、ゲッツもやはり、ブラームスと同様に過去の音楽をベースにして、自分の音楽をより高次に練り上げていくタイプの作曲家であることがよくわかった。例えば、第1楽章のおわりで、はっとするタイミングで響きを切り、猛然とリスト風の鋭いパッセージを繰り出すところや、冒頭の深い内面的な溜め息のような音楽も胸に響いたのである。

【対話的な権代の作品】

委嘱新曲の権代敦彦『男・女~反対の一致~』は超傑作とは言わないまでも、かなりよくできた作品で、かつ、この演奏会の内容をよく知った上で、嵌め込まれた固有のピースだったと思えてならないし、これまでに私が聴いたことのある権代の作品の特徴からすれば、それらをしばしば思い出させるものでもあった。多分、楽譜による指定と思われるが、ピアニストは客席を背にして、聴き手から手もとがよく見える状態で演奏する。手もとがみえるのと同時に、この作品は「背中が語る」作品でもある。聴き手は響きを聴きながら、視覚的な面白さも同時に、自然な感じで追うことができるからだ。また、権代は浜松国際ピアノコンクールの選考のために課題曲を書いたとき、唯一の演奏者だった若いピアニストの演奏を称賛しながらも、初演でありながら楽譜を立てなかったことに不満を表していたことを記憶している。こういう演奏形態ならば、楽譜への敬意も自然に浮かび上がってくるはずだろう。

まず、連弾の奏者は単純なモティーフを互いに協力して弾きあう。多分、ほんの2音で構成される素材と、それよりは多少まとまった素材の組み合わせで、バロック的に展開する序盤は反復の多い構造になっており、すぐには発展しなかった。クライマックスに向かっては音の数も増え、構造も次第に複雑さを増していく。サントリーホールの公演で、権代の書いたオルガンの曲を聴いたことがあるが、この作品における響きの深化は、ちょうどオルガンのストップを少しずつ開いていくような形でおこなわれる。あるいは、和太鼓の響きのように感じられるときもあった。こうした響きの加減を連弾奏者が精確におこなうことは傍目にも難しいことと思われるが、このデュオのパフォーマンスはあまりにも見事なものだ。高度な同調性が徐々に示されて、作品がおわるころには2人の連弾奏者に深い敬意を抱くことになるのは必定だった。また、技術的に高度な部分になればなるほど、ピアニストの肉体、そのアクションの美しさは、聴き手からいっそう美しく感じられ、聴覚との相乗効果を生み出すのである。このあたりも、いかにも権代らしい発想と思われた。

権代の作品は単に演奏効果が素晴らしいとか、エレガントな構造であるという以外に、メッセージがわかりやすく、気取らないという点にも特徴がある(この感覚はかつて、増幅音を使った音楽の演奏で感じたことでもあった)。今回の演奏会は、パフォーマーであるデュオが夫婦という(特殊な)関係にあることも含め、連弾における2人の演奏者の親密性に注目したものだった。同時に、それがプロフェッショナルな域まで高められたときの、可能性の深さ。
ヒンデミットやゲッツの作品はリストの独奏曲のような派手さはないものの、そうしたものを極限まで生かした例としてみられるが、権代はこの分野の歴史において、またひとつ発展可能な素材を提供したのではないかと思われるのだ。正に現在進行形の音楽と感じたときに、このデュオの立ち位置はきわめてリアルなものとして映る。同時に、これまで示してきた諸要素において、権代は自らがもっている可能性、また自ら積み上げてきたものの成果を、改めて素直に積みなおしていることが感じられる。権代作品からは近寄りがたい斬新さというよりは、対話的な作曲の親密さを感じさせた。

【シューベルトとモーツァルト】

これらの成果を踏まえて、後半はシューベルトとモーツァルトのシンプルさに立ち返っていくことになる。モーツァルトの作品は、既述のように、このあとのサロン時代に隆盛を迎える連弾音楽の先駆けであり、姉ナンネルと演奏したとされる。そして、シューベルトの作品は隆盛の只中に作曲されたのである。独奏曲の高度な演奏スタイルとは異なり、4手あるとはいえ、バロック以来のシンプルさが際立つシューベルトの作品。さらに、モーツァルトの平明な美しさを、前半の3曲のあとに示すのは大変に難しいが、その意気やよしとするところであろう。

シューベルトの作品は彼が、ハイドンと同じエステルハージー邸に出入りしていた頃の作品であり、彼の人生においては初めて社会的に意味のある地位を得た機会に書かれたものだ。全体的には高度な技術をあまり必要としない平明な書法で書かれているが、特に終楽章の終わりに近づいていくと、セコンドのベースをどう弾くかということだけでも、音楽がいかようにも変化し得るという怖さを思い知らせるような厳しい書法も出現し、雷が落ちるような衝撃を受けたものだ。多分、作曲家はこのパートをエステルハージー家の子女と肩を並べて演奏し、彼らに音楽のもつ神秘の一端を知らしめようとしたのではないかと思われる。連弾音楽の醍醐味が詰まった作品でもあり、なかなかに印象的なパフォーマンスである。

どの曲においても、デュオが血の滲むような苦労で、精度をコツコツと高めてきたことは議論の余地がない。それだけに、例えばゲッツの作品の最後の打鍵で、加藤の響きがすこし流れたようなところが余計に目につく結果となったのは惜しい。そうした部分がいくつかあったものの、それでも時間の経過をまったく感じないコンサートで、(聴き手の)集中力が常に高く維持されたエキサイティングな公演だった。

なお、すべての曲が連弾曲で構成された演奏会だが、瀬尾がプリモ、加藤がセコンドを担当することでも一貫していた。

【プログラム】 2015年10月26日

1、ヒンデミット ソナタ(4手連弾)
2、ゲッツ ソナタ op. 17
3、権代敦彦  ソナタ 男・女 ~反対の一致~
           ピアノ連弾のための op.148 (委嘱)
4、シューベルト ソナタ D617
5、モーツァルト  ソナタ KV521

 於:東京文化会館(小ホール)

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コメント

私も随分前にこのお二人のデュオを聴いたのですが、アリスさんの記事を読んでまた聴きたくなってきました。

瀬尾さんの演奏が私は結構好きです。閃きのある旋律が時折降りて来る瞬間がありますが、今回はどうだったでしょうか?

瀬尾さんに対する印象は、私も共有するところであります。ただ、私の意見では、加藤さんも同様に素晴らしいアイディアをもっておられるように感じます。権代さんの作品は、そうしたアイディアの共有やぶつかり合いを端的に描かれたものでもあったと感じています。

アリスさん、いつもありがとうございます。2時間ほどの音楽が、このように言葉として素晴らしく表現されるのにいつも驚きます。今後ともよろしくお願いいたします。
2点ほど。
演奏したモーツァルトのK521は真筆です。(9歳の作品はK19d)ピアノ協奏曲の傑作や、トリオやカルテットなどの室内楽と同時期の、充実した作品と思います。
ゲッツの終楽章、最後にちょろったのは相方です。私は1楽章の最後で魔がさして即興で演奏してしまいましたが・・ほとんどちゃんとひいていても、そうした一瞬が印象に残ってしまうとすれば、嫌になってしまいますね。仕方ありませんが。

誤解があったようで、ご教示ありがとうございます。いつもながら、勝手なことを書いて申し訳ございません。ゲッツの最後とか、そういうのは演奏の瑕疵というよりは、むしろ、「ほとんどの部分」の良さを象徴するものとして、自分のなかに残っていくと思います。そういう風に解釈して頂くと、ありがたいと思います。既に素晴らしいデュオの活動をなさっているものとは存じますが、今後のお二人のさらなるご活躍に加えて、4手連弾、2台ピアノ音楽の普及という大命題がすこしでも順調に進んで参りますよう、期待をいたしております!

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