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2015年12月22日 (火)

クリスティアン・ツィメルマン オール・シューベルト・プログラム ソナタ第21番 ほか 11/29 @所沢 MUSE

【ツィメルマン in 所沢ミューズ】

ポーランド人のピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンは完璧主義者として有名で、レパートリーの拡大にも保守的であるが(最近、ポーランドの音楽についてはその限りでない)、彼ほどのアーティストがシューベルトの録音に関しては、私の知るところ、即興曲ぐらいしか入れていないのはまことに不思議なものである。今冬の日本ツアーでおこなわれるシューベルト・プログラムの披露は貴重な機会であり、ピアニスト自身にとっても重要なプロジェクトであろう。親日家で、日本に住まいもあるというツィメルマンだが、2ヶ月くらいにわたって、シューベルトを中心としたプログラムを日本各地で演奏する計画になっている。私は、所沢ミューズでの最初期の公演でこれに接することになった。

ミューズの大ホール(アークホール)はオーケストラ公演にも用いられる2000席を超えるホールだが、通常、この規模でピアノ演奏に適した空間とは考えにくい。もっともツィメルマンほどのスターであれば、この規模のホールを一杯にするのも容易であり、そういった環境で演奏することも珍しいことではないはずだ。チケットを数日前にとった私の席は3Fの正面であり、事前にピアノ鑑賞に適しているとは思えなかったが、実際には、親密な響きを身近に感じることができ、このホールの音響は首都圏にあるホールのなかでも、最高に素晴らしいもののうちに入ることがよくわかった。3Fはいわば穴場で、既述のように音響的に何ら問題がないほか、ホール全体の風景(例えば、オルガン席の左右に鎮座する不思議なミューズ像や、ピアノ公演の場合は開放的なパレス的舞台の豪華な広がり)を視野に入れながら音楽を楽しむことができる良席である。

【価値のないものなどない】

シューベルトの D959、および、D960 という最晩年の作品をメインにしたコンサートだが、もうひとつ、ツィメルマンが用意したのは Anh.Ⅰ-12 ト長調 の初期の変奏曲であった。このような作品を入れることで、ツィメルマンが周到な準備の上で、シューベルト・プログラムの披露に踏みきったことが想像できるが、最初の変奏曲の演奏目的は正に、こうした些末的な作品においてさえ、シューベルトの作品には価値があることを示すことにあった。今日、まだ真筆と確定できるほどの根拠は見つかっていないという作品だが、ツィメルマンは明らかにシューベルトの真筆と信じて弾いているにちがいない。否、もしも真筆でないとしても、作品的価値はいささかも損なわれないという確信に基づいたパフォーマンスであった。

はじめの単純な素材などはベートーベンの『ディアベッリ変奏曲』を思わせるものであり、古典派、もしくはそれ以前の時代によくあった素材の模倣、あるいは、シューベルトのいくつかの歌曲のシンプルさを思わせるものであり、そこから変奏を重ねるうちに、いつしか深みを増して、古典的な教養に基づいた思索が思い描かれる様子をみると、確かにシューベルト自身の作品であるようにも思われる。だが、ツィメルマンは結局、その正体がいかなるものであったにせよ、作品が古典的にゆたかな教養と、未来に開かれた自由な意思に基づいたシューベルトの精神と同様であることを示したにすぎない。つまり、どんなものであれ、現世に残存を許された貴重な歴史的ピースのなかに、価値のない作品などひとつもないということ。また、このことはこの場所に集った2000人の聴き手の誰一人にも、価値のない人間はいないということにもつながるであろう。

私はそうしたメッセージに気づいたときに、いま、本当にありがたい演奏に接していることを感じたのである。もちろん、その前提として、シューベルトらしい穏やかさや、優しさに満ちたツィメルマンの演奏スタイルがあったことは言うまでもない。最高に大事な恋人、或いは高貴な客をもてなすような、丁寧な音楽の扱いからは、聴いているほうまでが大事にされているような気にもなるだろう。私がツィメルマンの演奏を聴くのは6年ぶりだが、当時よりも、演目がシューベルトということもあろうが、ピアニストは親密な音楽表現に転じている。かつては、こうした紳士的な姿勢があまり客席に向かうことはなく、演奏する楽曲に必要以上の高貴さを付け加えていたように思えてならないのだ。その例が当時(2006年6月)の、ラヴェルの『高雅にして感傷的なワルツ』の演奏だった。

【死ぬまで自分を貫くシューベルト】

さて、同時に、この作品がミニアチュアであることも、ツィメルマンはしっかりと弁えている。例えば、私たちが美術館に赴いたときのことを考えればわかるように、小さなデッサンと、その画家畢生の大作とを同様の姿勢で鑑賞するというのは不自然なことだろう。ピアニストは袖に戻らず、一礼したあとに、すぐに D959 のソナタの演奏に移ったのだ。ところで、初めに言っておくと、この演奏会は不思議な印象を残した。シューベルトのピアノ・リサイタルにおいて、D958-D960 の晩年の作品を並べて演奏するのは、わりとポピュラーなプログラムである。これらの曲目はベートーベンの後期ソナタの第28-32番に匹敵する重量感をもち、また、それとは異なる柔らかさを備えている点でピアニストにとっても表現し甲斐のある対象なのだと思われる。

ツィンマーマンの場合、D959(ピアノ・ソナタ第20番) と D960 (第21番)では向かっている対象が異なっているように思われるのだ。2つの作品は例えば、終盤で回想的な断片が浮かび上がる点などで共通点があるが、時代を追った人間の「成長」を前提とした視点でみると、最後の21番のどっしりした完成に向けて、20番の断片が実験的に用いられた印象をもつことも可能であろう。しかし、ツィメルマンはこうした点を感じつつも、まったく別の意味で反芻していくのだ。端的にいうと、20番はより新しい実験的な作品であり、21番は堂々たる締めの音楽として扱われた。隣り合った2つの後期作品において、これほど隔たった印象を形成する例は珍しい。最初の変奏曲を含め、これほどの振り幅で演奏会を構成したピアニストは、古今の例を考えても、ほとんど指摘することはできないのではないかと思う。

このことから生じる印象は、シューベルトが死を意識して同一の方向に収束していったというのではなく、反対に、死ぬまで自らを貫き通して、答えのないゴールを探し歩いていたという事実である。実際問題、シューベルトはそれほど長く生きることができず、31歳の若さで夭折しているので、この年齢で、すべてを悟りきって亡くなったというほうが無理であろう。彼が自分の早い死期をうすうす予感していたことは知られているが、そうであっても、彼は作曲家として、あるいは人間として、一歩でも前に進みたいと考えてもがき続けたにちがいない。最後のソナタに至っても、まだまだ、その年齢に相応しく実験精神が旺盛で、その志はベートーベンを継ぐものだ。そういった人間は自分が絶体絶命でも深刻になる暇がなく、死ぬまで自分を貫くしかないのではなかろうか。そういうイメージが、ツィメルマンの演奏から湧き上がってきたのである。

【未来へと開かれたシューベルト】

ソナタ第20番の演奏は、その前のヴァリエーションの演奏を前提に考えても、即物的な印象を与えるだろう。件の断片を演奏する場合も、表現的なフェルマータは排し、なんの感傷もなく、いくつかの素材を端的に拾い起すだけである。だが、ツィメルマンのパフォーマンスが、単に即物的な音符の精確な羅列だけに止まっていないことは明らかだった。その演奏はいわば、ひとまとまりの素材を彫刻のように浮かび上がらせ、それらのもつ新鮮な味わいを瞬間ごとに組み合わせていくということの連続だった。楽曲を1本の木と見立て、それぞれのフレーズを彫像とみるならば、このことは理解しやすい。

このような演奏スタイルは、なるほど、小さな構造を細かくつないでいくソナタ第20番の構造とよく噛み合ったものである。

彼の演奏する姿に注目すると、そのアクションの静謐さに気づくだろう。鍵盤を叩く以外の無駄な動作はひとつもなく、前腕を除けば、ほとんど身体の動きは確認できない。ある意味、ツィメルマンの演奏姿を単に眺めているのは退屈なことだ。若い演奏家が・・・というよりは、ほとんどの演奏家が無意識によくやっているように、演奏姿までもが表現に組み込まれているかのような、浅薄なギミックはまるでない。それによって音楽の表情が小さく、縮こまって感じられることは勿論なく、音楽の浮き沈み、表情のゆたかさは十二分に表現できるものである。このことは、多くの若い演奏家には、よく見習ってもらいたいと思う。

本当に優れた演奏家は多かれ少なかれ、ときどきほんの僅かな体重の移動をみせるぐらいで、鍵盤と真剣に向かい合うことだけに集中し、おかしな体の動きを混ぜたり、上半身を前傾したり、天を見上げたり、恍惚の表情や笑顔みたいなものをつくったり、全身をゆらゆらしたりするような隙などはないものだ。このことは、例えばホルヘ・ルイス・プラッツのように、見るからに情熱的な演奏をするピアニストであっても同じことであって、演奏スタイルの問題とはまるで関係がないのである。かなりステイタスの高い演奏家でさえ、大なり小なり、見せびらかしの要素はあり、ほんの僅かずつだが、そのことが演奏に影響している例も多い。表現を硬くし、必要な音符の長さをショートしたり、力が入りすぎる原因になっており、本来、演奏表現とはまったく無関係の癖となって現れてくるのだ。悪いときにはテンポが走ったり、響きすぎて和声が聴こえにくくなったり、演奏を下品に感じさせる原因ともなリ得る。

そうはいっても、ツィメルマンの演奏姿勢はまるで静止画から響きが出てくるような印象を与え、これは彼にしかできない芸当であろうし、そのことが彼のもつ無類の精確さや、色彩感ゆたかな表現、自然でやさしげな響きにつながっているのは明らかだと思う。3曲のなかで、こうしたツィメルマンの個性にもっともよく調和するのは、第20番だったと思われる。この作品はツィメルマンのように弾かれてみると、隣り合う第21番ともまるで異なる性質をもっている。例えば、これらの作品がまったく同じ素材からできていたとしても、2つの作品はいずれ、まったく別の姿に変容されるようにと運命が決まっていたのだとしか思えない。ある意味では、この作品は分析的で、過去を懐かしく照らすよりは、遠く未来に通じるメッセージを開く性質をもっていた。

意外なことに、現代の目新しい発想をもった作曲家たちのなかにも、シューベルトを尊敬して止まない人も少なくないのも、こういうところから来る感覚なのであろう。例えば、ルチアーノ・べリオがシューベルトの書いた未完成の断片を遠慮がちに穴埋めした『レンダリング』という作品があるが、私が思い出すのは、例えば、それのことである。とはいえ、ツィメルマンは露骨に、そういった主張のあるピアノを弾いたというわけでもない。私がこの作品が正に「新しい」ものだと唸ってしまったのは、ようやく終楽章のおわりに至ってであった。そこまできて、ようやくパフォーマンスの全貌を反芻することができた。そして、鳥肌が立つ想いがしたものである。

これと比べると、第21番の演奏は大分、趣きが異なっているものの、本質的なアプローチは変わらない。特に驚かされるのは、ツィメルマンがこうした作品においても、まったく湿っぽい感情を抱かせないことだ。ピアニストにとって、D960 の演奏は多少なりとも、特別な意味をもつはずと思われる。まず、シューベルトの音楽は演奏家たちにとって非常に親密で、内省的に、自らとの有機的な関係を感じさせやすいものである。多くの音楽家は、シューベルトの音楽を大事な友人のように扱い、親戚の書いた音楽でも弾くようにして、楽しげに演奏することも稀ではない。ツィメルマンがこれまで、シューベルトの音楽をさほど積極的には披露してこなかったのも、そうした親密さゆえに、演奏表現の客観的なところに十分な自信をもてなかったせいではないかと思うのだ。

【自然体】

ほとんど演奏されない変奏曲をプログラムに入れているところからみても、ツィメルマンは、シューベルトの作品のほぼすべてに通じ、多分、鍵盤楽器の作品以外のアンサンブルや交響曲、管弦楽曲、オペラ、また、特に声楽作品には多大な知見を有しているはずと思われる。ピアノ・ソナタ第21番も、そうした膨大な創作の森を埋めるほんの僅かな風景(ピース)にすぎない。その晩年、まだ若い作曲家は病を押しても、対位法の師としてウィーンで権威を誇るシモン・ゼヒターを訪ね、自らの積み上げてきた作曲法を見直そうと試みているほどだ。今日、彼の素晴らしい作品の数々に触れているから我々からすれば、信じがたいところだろう。後世、ブルックナーも熱心に学んだゼヒターだが、彼の教育のどこに大作曲家たちを惹きつけるものがあったのかはいまだ解明されていない謎である。もっともゼヒターはシューベルティアーデのサロンに姿を現したこともあるようだし、単なる師弟関係というよりは、一種の協力関係にあったのかもしれない。

シューベルトはそもそも、モラヴィアからウィーン郊外に移住してきた農夫の家系の出身であり、教区で教職に就いた父親の子として、音楽を学んだ。末っ子であることから、なにか特殊な技能が必要だったのだろうが、その才能が顕著なために、彼は徐々に専門的な教育を受けるようになっていった。そうした出自や、サロンの成功からみて、シューベルトは神経質で、内省的なところの深い音楽を書いており、内気で表に出たがらないという難しい性格もあったらしいが、一方では開放的なところもあったことが推測できる。来るもの拒まず、去る者は追わずという感じだろうか。特に音楽面では、スラヴ系の活き活きとした躍動感、そして、農村系のシンプルさが際立ったものが多く、ソナタ第21番も例外ではない。第2楽章には陰鬱で宗教的な重みも感じられるが、スケルッツォとフィナーレは二重の諧謔性を帯び、ベートーベンの書いた最後期のソナタの印象と被って見える。

だが、私がこの音楽を聴いてイメージする音楽のひとつには、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の地獄落ちの風景などもある。もっとも、このイメージは、シューベルトがいかがわしい場所に出入りして梅毒に罹り、その治療に用いられた水銀中毒により人生の幕を閉じたといったような、ゴシップ的知識に基づくところかもしれない(梅毒は治り、腸チフスで亡くなったという説が有力?)。死因はどうあれ、宗教関係の学舎に通った彼としては、その後の生活に梅毒に罹るような原因となる行動があったとすれば、それは神によって罰される対象ともなり得るように感じられたのは明らかだ。その罰を、彼はこの作品のなかで何度も繰り返して描いているという風に感じられないこともないし、だが、そうだとしても、その描き方は喜劇的である。

ツィメルマンの演奏は、そうした罰とも、諧謔性とも無関係で、もっとのんびりしている。この作品は敢えて(遺作)とプログラムに特記される場合が多いが、それは作曲家が死に臨んで描いた重要な作品で、そうした作品に重みを与えたい、ひいては、その演奏に重みを与えたいという主催者の思惑に基づいているのであろう。ただ、実際には、「遺作」とは作曲家の生前には出版されなかったすべての作品を指し、書きかけの楽譜をたくさん残して逝ったというシューベルトならば、たくさんの「遺作」が存在するわけだ。ただ、ソナタ第21番は、確かにイメージどおりの「遺作」というに相応しい時期に書かれてもいる。

ただ、ツィメルマンがこの(遺作)を許可した理由はといえば、この作品のもつ価値に重みをもたせたいなどというのとは正反対の意味、つまり、シューベルトが正に -ing の状態で亡くなったことを示す意味があるのではなかろうか。第4楽章、楽譜のページの変わり目で激しい曲調に変わるとき、彼は大きなスコアをゆっくりとめくって、大方のピアニストがつける運命的な展開をみずして、自然なヤマをつくるにすぎないかった。さすがにツィメルマンも爺や(1956年生まれなら、まだ若いが)になったと感じさせる一場面だが、このピアニストには珍しい大らかな表現こそがシューベルトの実像だとすれば、まことに興味ぶかいと感じるものである。まず、D960 ぐらいで、作曲家はおわる気がなかったのだろう。梅毒も後悔していないし、それに対して、大それたデモーニッシュな感覚(自虐)もあまりない(魔王という作品はあり、時代なりにデモーニッシュな観念に憑りつかれていたとしても)。養育の過程をみても作曲リストに宗教的な作品が多いのは当然だが、実際に彼の作品から感じられるのは神とか、そうしたものからはおよそ遠い、自然で、ヒューマンな感覚なのだ。それはドヴォルザークにもちかいものだが、敬虔でバカ丁寧な肉屋の息子よりは、ずっと正直で飾りがないともいえるだろうか。

私は長い間、こうしたシューベルトの解釈を探していたといっても過言ではない。そこに、ツィメルマンの演奏がぴったりと嵌まったのだ。ヴァレリー・アファナシエフがソナタ19-21番を弾いて(それほどテンポが遅くなかったときのパフォーマンスだ)、底知れない感覚への畏怖を表明したとき以来、それに影響を受けながらも、常に疑問を感じてきた要素に代表的な反論が被せられた気がする。

ツィメルマンの第4楽章は、長い拍をたっぷりと打ち、そのあとの空白から軽快なフレーズが浮かび上がる基本的な構造で、既に特徴をみせている。つまり、決められた拍できっちり響きを消失させ、次のフレーズへと柔らかく移行するのだ。先の転調部分も含め、疾風怒濤的な勢いの持ち込みなどは、まったく皆無だ。このような場面をみるにつけても、ツィメルマンの演奏哲学が、今回のプログラムを通して、「自然に演奏する」ということに尽きているように思われたのだが、どうであろうか。そのためのピアノの響き、テンポ、アーティキュレーション。これほど深いメッセージを感じさせる演奏会は、さほど多くない。

第2楽章も、美しい夢を描いたかのような音楽だ。フレーズのなかで散らされる単音が妖精のいたずらのように、アメイジングな雰囲気を生み出し、まるで弾き手と対話するかのような感じで交錯する。右手と左手が、同じ人の脳からくる信号で動いているようには聴こえない。だが、やがて夢は醒める。あまりの心地よさに、それを再現しようとしてみても決してうまくはいかない。今度は、脳からの信号が正確に描かれるだけだ。これらは、似ても似つかぬものだった。私たちにも、経験があるだろう?いくら楽しい夢でも、あとで繰り返されるフレーズには、同じような神秘性は生じない。それはただ、聴き手が慣れてしまっただけなのか、ピアニストが僅かなちがいを生み出しているかについて、確たる根拠を示すことはできないが、私は後者だと信じている。最初の対話は、明らかにツィメルマン以外の誰にも生じさせることができないマジックだった。

そういう意味でいえば、第1楽章などは100%がリアルで出来ている。そして、第2楽章は優しく、神秘的な夢と、その反芻によっていた。後半の2楽章は現実を鏡に映した喜劇として読み取れる。そして、それこそがシューベルトにとっての、唯一の現実だった。彼は驚くほど、自然に音を書いている。それだけに、後世の演奏家はなにかを付け足したいと思ってしまうのである。それは同時代人で、直接、親交のあったJ.M.フォーグル(彼はシューベルトの歌曲を広めた功労者といえるが、その一部に手に入れて歌ったことでも知られている)などと同じような気持ちであろう。そうだとすれば、ツィメルマンは遠い時間を経て、シューベルトの思いどおりに、書かれた楽譜をそのまま再現した稀有な人物といえるのかもしれない。

【まとめ】

確かに、所沢公演の広告も謳っていたように、今回のパフォーマンスは「空前絶後」だったのかもしれない。ただし、響きだけをみれば、この演目でより印象ぶかい巨匠はほかにもいた。例えば、メナヘム・プレスラーや、パウル・バドゥラ・スコダの演奏がそれだ。そうした存在にも、真っ向からぶつかり合えるツィメルマンの快刀乱麻ぶりは、なおも健在である。彼の存在がもっとも騒がれた時期は過ぎたろうが、それがかえって私たちには好都合と思えるのだ。無論、彼の人気にまだまだ衰えはみえず、追っかけのような女性ファンの姿も目立っている。それはそれとして、アルド・チッコリーニについても、晩年の驚くべき「成長」ぶりがよく語られたが、このピアニストもまた、いよいよ、これからが楽しみでならないのだ。まだ、ずっと良くなる可能性がある。いま、このレヴェルにあるとしても!まったく完璧なピアニストだとしても!

【プログラム】 2015年11月29日

1、シューベルト 軽快な7つの変奏曲 Anh.Ⅰ-12
2、シューベルト ピアノ・ソナタ第20番 D959
3、シューベルト ピアノ・ソナタ第21番 D960

 於:所沢市民文化センター MUSE (アークホール)

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