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2016年2月29日 (月)

アラン・ムニエ vc. ブラームス チェロ・ソナタ第1番 ほか スピカコンサート No.159 1/29

【日本との縁】

ピアニストの原智恵子と結婚したガスパール・カサドの縁は、彼の死後も日本に多大な影響を残している。カサドの逝去と、夫人の体調不良により、一時、途絶えてしまった名跡「ガスパール・カサド・国際チェロ・コンクール」が2006年、ところを原の故郷である八王子にかえて復活し、これまで3度の歴史を刻んだのもそのひとつである。名チェリスト、ガスパール・カサドの名を受け継ぐコンペティションは、市民主体の手作りの運営にもかかわらず、むしろ、そのせいか、世界有数のチェリストたちを日本に縁づけていく役割を果たしている。審査員を務めるルイス・クラレットや、アラン・ムニエという現代の大チェリストたちが定期的に日本を訪れてくれるのも、そうした縁の賜物かもしれない。

アラン・ムニエは1942年生まれで、フランスのチェロ奏者としては演奏家としても、教育者としても、まず第一級の人物と目されている。派手さのあるキャリアではないが、その権威はもはや揺るぎないものにちがいない。日本人の弟子も多くみており、例えば、ムニエとは同門の倉田髙の娘で、ポール・トルトゥリエに師事した倉田澄子のいる桐朋音大から、有望な者たちがムニエのところに送り込まれるルートはしばしば、チェリストのバイオグラフィにおいて確認できところだ。今回の「スピカ」による公演はそうした縁に加え、カー・チューンと、カー・サプライ販売で著名な「オートバックス」の創業者で、チェロに造詣の深い住野公一氏の協力によるものが大きいということだ。

【プログラミングの意図】

この日のコンサートを聴いた醍醐味は一にも二にも、ムニエの鍛えた図太いチェロの響きに親しむことにあったと思われる。プログラム自体はひねりが効いているわりに、シンプルだ。つまり、前後半はリストの『エレジー』第1番と第2番を枕に、ソナタ1曲という構成で統一している。ソナタ作品は前半がショパン、後半がブラームス(第1番)である。ショパンは作曲家にとって最後期の作品であり、ほぼすべての作品がピアノをメインとした作曲リストのなかで、数少ない器楽ソナタという点で特異なものである。一方、ブラームスの作品は壮年期の脂の乗りきった時代の傑作のひとつであり、すべてのチェリストにとって重要な作品のひとつである。

リストの『エレジー』は頻繁に演奏される曲目ではなく、なかなか珍しい。ショパン同様、リストについても、巷間にもっともよく知られているレパートリーは鍵盤作品であるものの、リストはより綜合的な音楽の創造に身を置き、交響曲を含む管弦楽作品も、最近はよく演奏されるようになった。ショパンとリストの共通点としては、ピアニストとして、同時代の無類の人気を誇り、そうした取り巻きのご婦人方に対するのを含め、教育にも熱心だったことがある。この日のプログラムによれば、ショパンとリストは親しくつきあっていて、ジョルジュ・サンドをショパンに紹介したのもリストだったということだ。特にリストは僅か39歳で夭折したショパンを悼んで、その作品を賞賛し、手厚く扱ったという。だから、この演奏会の中心にあるのは実はショパンであり、友人を悼むリストの想いに焦点を当てて、イメージを広げようとするものだった可能性がある。

【ムニエにとってのショパン】

ショパンのソナタには私としても、生演奏では初めて接することもあり、つまり、それほどよくは知らない作品ということで、失礼ながら、いささか生煮えのところも感じられた演奏だった。もちろん、それはかなり高いレヴェルでの問題であると前提しても、十分に深いインスピレイションには到達せず、ムニエのような奏者から期待されるものからすれば、ずっと控えめな成功に過ぎなかった。ひとつ言えることは、ムニエは作品をねじ伏せるような威圧的な技巧の使い方はしないということである。また、たった4曲だけでしかとはわからぬものの、ムニエは作品を演奏するときに、二度と同じアプローチはとらないということもあるだろう。

彼がショパンの最晩年の作品に対して、ブラームスの1番を対応させたのは、「最晩年」とはいっても、ショパンはまだ壮年期の只中にあったことに加えて、その作品がそれまでにない新しい情熱に包まれていて、音楽的にも爽やかであることが関係している。ムニエはこうした作品には、いわば即興的なアイディアが必要だと考えており、ブラームスのような深い熟成によるのとは別の演奏法を採ったのかもしれない。2つの作品でムニエ自身に共通する点は、いつでも、人々を夢中にさせる音色の魅力だけであったといっても過言ではあるまい。ショパンの作品を前にすると、ムニエは彼がみる学生と同じ眼差しで作品に向き合うことができるのだろうか。

【チェロ演奏の醍醐味】

リストの作品も、総じて後半のほうが充実していた。それぞれ5分足らずの作品だが、ムニエの弾く2曲に接した意義は、私のなかでは十分な深みをもっている。前半に演奏した第1番の演奏は、曲自体がどこか呆気ないものではあったが、このチェリストの表現が示す根深さを明らかに語るものだった。ちょっとした作品にもかかわらず、聴き手の反応は素晴らしく、袖に戻ろうか、チェリストはしばし逡巡して、ピアニストに促されて下がることにした。第2番は、第1番よりもさらにシンプルな曲想で、音色を響かせる味わいだけに優れた佳品といえるだろう。そのような作品だからこそ、チェリストにとって、本当に大事なものが何かを気づかせてくれる面もあった。チェロは音域が広く、表現の幅も広いのが特徴である。だが、それゆえに、ひときわ痛切に求められるのは、それぞれのチェリストがもっている確固たる音色の美しさや、他人には出せない際立った個性ではなかろうか。

チェロは弦楽器のなかでもっとも個性ゆたかな楽器で、そのキャラクターに人柄が乗りやすいものでもある。例えば、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』を弾く故ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの深い優しさといったようなものは、彼自身を強烈に象徴するものといえるだろう。キホーテがついに目を閉じてしまう場面は、彼の演奏では涙なくしては聴いていられないものだった。かつて盟友の小澤征爾と演奏した映像を見たことがあるが、彼はこれほどの巨匠でありながらも(だから、何度も弾いたことがあるだろうが)、弾きながら泣いているのである。そうした映像を目にしたからではなく、キホーテの悔しさや、愚かながらも懸命に生きた人間としての誇りが、響きとして、表面にハッキリと浮き出てくるからこそ、聴き手にもその想いがひしひしと伝わってくるのにちがいない。リヒャルト・シュトラウスは愚かな人間を笑うばかりでなく、それが自分たち自身であるという事実、そのことを噛み締めるのが人生だという深い哲学を隠そうとはしなかった。不格好ではあるが、そうしたものに真剣にぶつかっていくロストロポーヴィチのような人の姿をみると、私は彼の音楽に強く惹きつけられるものを感じて、目頭が熱くなってくるのだ。

ロストロポーヴィチが20世紀後半の時代性が裏返しになったような、温かみのあるヒューマニスティックの極致にいたとすれば、ムニエは山の上から流れてくる川のような性質をもっている人なのである。人々は彼の与える水を飲み、それで水車を回してひいた小麦を練って生きてきた。ムニエは流れを次第に変えながら、熱さずに、堂々と、そうした人々と向き合ってきたのにちがいない。いまや、彼は揺るぎない大河とはなっても、それでものろのろと、ただ流れていくのをよしとはしない。たった5分に満たない作品で、これほど深い魂を感じることができるのか。前半とはちがい、袖に戻らないムニエのことを、私は若干、恨めしく思った。それでも、この5分足らずの時間があったおかげで、私はある確信をもって、次のブラームスにこころを傾けることができたのである。

ムニエの弾くブラームスは、徹底的に意を尽くしたものだといえる。だが、すべての工夫はいつも、彼のもっている特別な音色を生かすために、なにが大事なのかという問題から説明することができそうだった。ゆったりして、静かな流れ。そう、まるで大河のように。ピアニストの島田彩乃も、そうした氏の表現に身を任せる舟下りの船頭のような表情をつくっている。ただ埋没するのではなく、フランスでじっくり学び、活動したという、その経歴が証明する表現は、見事にムニエのつくる川の水に慣れていた。演奏よりも、何よりも、川の流れがある。それは、急には変えられない。ただ、しとしとと雨を滴らせるぐらいの自由が演奏家には残されているようであった。感情が際立って表に出ることはなく、起伏はさりげないものだ。だが、その音色の際立ちは、どの瞬間にも印象的である。彼の演奏は、あるいは、ブラームスその人であったろう。

【ムニエの解釈の示す可能性】

もしも、ブラームスが構造や旋律の美などという要素より、チェロという楽器そのものの音色を遺憾なく表現したかったものと仮定すれば、ムニエの演奏ほど見事なものなど、そうは味わえないことだろう。2つある(ヴァイオリン・ソナタからの編曲ものや、遺作を除く)ブラームスのチェロ作品は人気が高く、チェリストのリサイタルではよく耳にするものだ。ただ、大抵の演奏は音色というよりは、内面的な起伏に沿ったダイナミズムの表現(それを通した内面的に情熱的な表現)が鍵となっていて、ムニエの解釈とは異なっている。ムニエの解釈に従えば、例えば、第3楽章においてバッハ『フーガの技法』のコントラプンクトゥスⅩⅢが引用されたことなどは、わりあいに説明がつきやい。つまり、その作品の本質的な目的からすれば、ブラームスにとって、どのような旋律を使うかということに、あまり多大なエネルギーを費やすことは本意ではなかったということである。

バッハのフーガの引用は、満足のいく作品を得た場合に、しばしば最後にフーガを入れたベートーベンの模倣であり、バッハそのものを含む古典的作品へのオマージュと、これを演奏するチェリストへの敬意が重ねられた意味をもつ。さて、ムニエの演奏では、こうした無窮動的な細々とした動きのなかでも、その図太い音色が決して犠牲になることはなく、その点で、作曲家の配慮がきわめて周到なものであることを示している。ブラームスは作曲家としても生前より、自分の価値に見合う評価を受けた数少ない作曲家のひとりだが、同時に演奏家(ピアニスト)としても鳴らしたために、プレーヤーがなにを望んでいるかということについても敏感なイメージをもっていたはずだ。然るに、後世の演奏家たちは時代を下るに従って、構造を見事に辿ることだけに夢中になってしまい、その作品が自然に表現していた味わいから次第に遠ざかるようになってしまったのだ。

私は当夜の演奏から、そのような時代的な流れを痛切に感じることになった。ムニエよりも古いエマニュエル・フォイアマンの演奏などを聴くと、ムニエの演奏がある日、突然に生まれたものでははないことがわかるだろう。無論、音楽の正解はひとつではなく、野生動物が奔放に草原を駆け巡るような演奏のなかにも、価値の高いものがないわけではない。例えば、フォイアマンなども(その演奏について分析するには論拠も薄いが)、自らが鍛えたチェロの深い響きを重くみながらも、カザルスのような綱渡りに歌を継いでいく表現法を融合することを夢見たようにも思われるのだ。リンクに示した録音では、そうした役割はチェリスト自身よりも、主にピアニストのテオ・ファン・デア・パスが受け持っているように感じられる。フォイアマンはショパンと同じくらいの年齢でWWⅡの最中に夭折したわけであるが、いま述べたような意味では、ムニエはより伝統的な表現を自然にキープし、後世に伝えているといえるのかもしれない。

【まとめ】

たった2週間にも満たないうちに、同じフランスのローラン・カバッソ、アラン・ムニエといった人たちが提供する、極上の音楽世界に触れられたことは望外の幸運である。それらのコンサートは偶然にも、JTアートホールアフィニスでおこなわれ、いわゆる「呼び屋」の大手でない、ある程度、インディペンデントな主催者によって開催されたものだ。そのため、席代も安かったのだが、反面、客席は十分、一杯でなかったというのは、週末の開催でなかったことを割り引いても、皮肉なことに思われる。私はクオリティの高い表現に接し続けることだけが、聴き手の粋を育てることだと信じている。ここにレヴューをつけた公演は長い1年のなかでも、必ずや印象深い瞬間に数え上げられることだろう。今回もまた、私は小さな階段を上ったように感じているところだ。

【プログラム】 2016年1月28日

1、リスト エレジー第1番
2、ショパン チェロ・ソナタ
3、リスト エレジー第2番
4、ブラームス チェロ・ソナタ第1番

 vc:アラン・ムニエ  pf:島田 彩乃

 於:JTアートホール アフィニス

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