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2016年3月 4日 (金)

高橋悠治 ピアノ・リサイタル 「夜の音楽」 ヴィクトル・ウルマン ソナタ第3番 ほか 2/23

【概要】

高橋悠治のピアノ公演については昨年3月に初めて聴いて、深い感銘を味わった。まず、技術的に完璧なアーティストであり、いくつかのテーマがフーガのように重ねられていく演奏会の緻密な構造や、曲間に語る大学の講義のようなコメントなども面白く、世界的にみても、なかなかお目に掛かれないパフォーマンスであろうと感じた。その日のコンサートはさらに、富山妙子女史による映像とのコラボレーションがあり、それが福島原発の事故をモティーフにしたものであったため、まったく世にも珍しい機会だったのである。今回のリサイタルは、そこまでではないものの、やはり、高橋でなければできない特別な内容だったことでは変わりがない。

さて、当夜のプログラムの中心にいるのは、ヴィクトル・ウルマンという作曲家である。彼はWWⅡの最中、ナチスによって収容所に送られ、命を奪われたユダヤ人(音楽家)のひとりであり、ギデオン・クライン、パヴェル・ハース、エルヴィン・シュールホフらとともに、一時期、熱いスポットを浴びたこともあった。ウルマンは1898年生まれ、シェーンベルクの門下にも入ったが、微分音の試みを始めていたアロイス・ハーバとも親交を深め、先進的なグループに含まれている。この日の演奏会のひとつの軸は、チェコやポーランド、ハンガリーといった東欧系の民族的な音楽の伝統が、微分音のような前衛的な手法と出会ったあと、それらがどのような表現に発展していったかという流れ、もしくは、そうした出会いの瞬間に、一体、なにが起こったかということを観察する試みであった。そして、それらの音楽の起点を敢えてショパンに置き、ノクターン、つまり、「夜の音楽」によって束ねるというのが素晴らしいアイディアだった。

【設計図に戻して】

ショパンが斬新な作曲家だったのかどうかということに関しては、今日、いささか議論が分かれそうなところであるが、少なくとも、シューマンをはじめとする同時代の論評はショパンに対して十分な驚きを示しているようだ。端的にいえば、ショパンはマズルカに代表される祖国ポーランドの独特な舞踊の形式や、バッハを大成者とする古典音楽や教会旋法などに幅広く通じており、それらの要素を複雑に組み合わせるところから、他の作曲家にはない独特の音楽世界を切り開いていったのである。ショパンの遺した作品群のなかで、もっとも民俗的な味わいが色濃いのはマズルカであり、洗練されているのはノクターンだ。

もっともノクターンは、ジョン・フィールドが創始したものであり、フィールドは欧州中に多大な影響を与えたムツィオ・クレメンティの助手のような立場から、勢力を広げた隠れた大音楽家である。例えば、ロシアのクラシック音楽の歴史において、きわめて重要な位置を占めるグリンカがその弟子であったことを考えても、フィールドの影響がきわめて重要だったことが想像できる。

さて、高橋の演奏するショパンは、最近のポーランド派が啓蒙してきたような「正統」的スタイルとも、もちろん、より以前に流行っていた自由奔放なパレデフスキ・スタイルとも異なったものだった。その特徴は左手のベースと右手のルバート構造といったような簡易な構造だけにはよらず、ショパンの作品としては、異常に情報量が多いことに象徴されている。その方法論に関する印象は演奏会を通じて確信的になっていくのだが、高橋はまず、ショパンの作品を設計図に戻すことで、その譜面がもつ斬新さを明らかにしようとしたのではなかろうか。そうはいっても、ショパンの新しさが後世の作曲家にとって、例えばバルトークが示すほどの、多大な可能性を開いたかどうか、なお疑問は残るであろう。

【未完成】

ここで、高橋は演奏会を構成するもうひとつのテーマを導入してくる。それは、「未完成」ということだ。もっとも、ショパンの場合、未完成というよりは作曲者自身によってボツにされたのだが。高橋が弾いた曲のうちのひとつは マズルカ op.68-4 となるはずだった作品のスケッチだったからである。ここで演奏されたのは2012年にアドリアーノ・カストルディが再構成した最新の研究成果に基づくものであるというが、辛うじて断片が残っているものの、残存している譜は判別しにくい部分も多く、決定稿をつくるには困難が多いようだ。いずれにしても、設計図に戻してみれば、完成品も、ボツネタも似たような価値があるという発想の転換が必要だ。双方に同程度の学術的価値があるというのではなく、そこに書き入れようとしたショパンの音楽的なメッセージには、さほどの違いがないということだ。世紀の傑作と、ボツネタを比べても、設計図を成り立たしめる新しさということに関して、決定的なちがいは見出せないはずである。

この日、『夜の音楽』が初演されたように、高橋悠治は作曲家でもあるため、そうした事情をよくわかっているのだろう。作り手にしてみれば、出来の悪い子に対しても、素晴らしい子に対しても、同じように愛情があり、それらを成り立たしめる発想や音楽哲学、内的必然性や感情は共通することが多く、もちろん、作曲家そのものがひとりであることは自明の理である。

しかし、こうした問題は最後のウルマンにおいては、また別の要素を引き出すのに役立つのであった。これについては後述するが、ウルマンのピアノ・ソナタ第7番は彼がテレジンの収容所に入れられたときに書いた作品で、それはその場で演奏する限りでなく、来たるべき交響曲第2番(同様に構想された第1番は別のソナタがスケッチになっているという)のスケッチとして書かれていたというのだ。ソナタ第7番は作品番号がつかず、アウシュヴィッツに送られた作曲家の死後、収容所にいた友人たちが密かに保管して残ったというものだが、一応、完成した作品として残っている反面、交響曲第2番としては未完成のままなのである。

【フォークロアから生まれた斬新さ】

ショパンの次に、高橋が演奏したのは、ヤナーチェクの『霧のなかで』であった。ヤナーチェクも、その次のシマノフスキも、自らの生まれ育った地域の歌謡や舞踊の伝統から、驚くほど新しい表現を導いた者たちとして強調できる。多分、彼らにとって、最初は従来のクラシック音楽の音律や拍子、記譜法など、作曲に関わるテクニックが彼らの知っているものをそのまま表現するには適切でなく、そのために苦しみ、新しい表現を工夫するよりほかなかったのだと思われる。そのことは例えば、ショパンでも同じことだろうが、まずは既存の枠組みのなかで試みを重ねるなかで、彼らはより深い問いなおしに至って、自らの知っているものの本質を曲げない限りにおいては、その表現に見合った独自のシステムを構築するよりほかないことを知ったのである。もちろん、ヤナーチェクは古典音楽や教会旋法などに幅広い見識を有しており、それらをまったく放棄したというわけではないものの、こうした既存のシステムさえも、晩年のヤナーチェクの示したような鬼謀のなかでは、信じられないほど斬新な方法で用いられている。

もっとも、『霧のなかで』はヤナーチェクの決断にとって、果たして決定的な道標になるような作品かどうかはわからない。この作品には小さな・・・しかしながら、作曲家にとっては止むに止まれぬといったような根源的な逡巡が聴かれるのである。そして、高橋の演奏を聴くと、彼がなんだか、魔物のように先の曲がった指で鍵盤を叩いているような、そんな風景を思わせるのだ。このあやかしの者は誰かにちょっかいを出して、不幸にするといったような存在ではなく、むしろ、彼には愛情ばかりが詰まっているように感じられた。高橋悠治によるヤナーチェクの演奏は、客観性と、主観性が、それぞれの極限において交叉して、不思議な透明さと温かみを醸し出し、その音楽の個性を示すには、考え得るなかで最高レヴェルの表現となっていた。

シマノフスキの演奏も、この日のパフォーマンスのなかで素晴らしかったもののひとつに挙げられる。op.62 のマズルカは作曲家にとって、「最後の作品」であるが、かつてシマノフスキが追究してきたタトラ地方の音楽とは直接、関係しないものであるということだった。私はこれまで、シマノフスキの作品にさほど大きな関心を払ってこなかったが、こうした演奏を聴くと、その考えも大きく変わらざるを得ない。シマノフスキはヤナーチェク同様、彼らの「知るもの」がより活き活きと、野性的な特徴をもっていることを、新しいサウンド・システムによって表現したいと願った人物のうちのひとりである。その仲間には例えば、ハンガリーのバルトークもいる。だが、シマノフスキの選んだ方法はヤナーチェクと比べると、やや説明的なテクニックに基づいており、同じポーランドの後輩、ヴィトルド・ルトスワフスキなどの印象と重なっていくところがあるのだ。この最後のマズルカは比較的、穏健なサウンドを示しており、そうしたものを悪魔の手が触っているような、先のヤナーチェクの演奏にも一脈通じるところがあった。

【夜の音楽】

これらの枕を利用しながら、描かれたのが高橋の新作『夜の音楽』である。本人の解説によれば、17世紀フランスの五線のない記譜法を採用して書かれ、和声のひとつの音だけが引き延ばされるスタイルや、拍子などもその時代のものに擬して書いたということだが、最終的に「夜の音楽」というよりは、別のものになったという感想を述べていた。最初のいくつかの音は、確かに言うとおりの印象を示していたが、全体的に深い統一感はみられない。高橋は正に、ヤナーチェクやシマノフスキが思い描いた自由な舞曲の表現などを、17世紀フランスの記譜法によって実現しようとしたのだが、彼自身にとっては、舞踊的な表現に関する本質的な欲求はあまりなく、その点で『夜の音楽』は最初から最後まで、いわば仮想的なものだったといえそうだ。やがては単純で、取り留めのない個別の音が、言うなれば、素人が友人の家で見つけたギターの弦をやみくもに爪弾いて、遊んでいるような風景を思い描かせることになった。それは単に無駄の集積というよりは、偶然が導くある種の面白さを表現するものになっていたと感じないこともない。

【未来からの声】

さて、最後のウルマンのソナタは、いま、こうして形にされた演奏よりも、やはり、設計図としての価値が高い作品のように思われる。もしもこの作品が交響曲として書かれたなら・・・ということが容易に想像されるのである。そのための十分な楽識があるのなら、そして意欲と発想があるならば、いますぐにでも、この設計図からオーケストレーションを始めることができやすいものかもしれない。当夜、実際にそう感じたときにハッと気づいたのであるが、そういえば、この日の演奏会で弾かれた曲はどれも、管弦楽曲の設計図として相応しそうなものばかりであった。その一例を挙げれば、フランスの作曲家、マーク・アンドレ・ダルバヴィはサントリー財団が毎夏おこなっているフェスティヴァルにおいて、ヤナーチェクの『霧のなかで』の変奏をオーケストラ曲へと仕上げて提出したことがあり、それはあまりにも原曲そのままの作品であったために、ディレクターの湯浅譲二などには不満だったようである。しかし、正にこうした衝動を感じさせやすい作品が、この日は次々に演奏されたといえそうだ。

無論、作品がそのまま鍵盤作品として、魅力がないわけではなかった。高橋は緻密で隙のない表現を行いながらも、私にとっては2回目の実演でようやく気づいたのであるが、彼はどんな曲を弾くにしても、優しく、温かみのある音色を浮かび上がらせることで、未知の音楽に対する聴き手の警戒を大きく和らげる素養がある。彼の個性が輝くウルマンの演奏では、この作品に当然、含まれるはずの虜囚のストレスや焦燥、死への不安や恐怖といったようなものは、あまり聴くことができなかったのである。対照的に印象深く残ったのは、いま述べたような、設計図としての楽しさが詰まった魅力であった。

テレジン収容所には、見せかけの自由な表現があった。それは戦争や、ナチスによるユダヤ人迫害という異常な事態のなかで生み出されたものだが、一方で、ここまで見てきたような作曲家たちがいかなる拘束も受けないなかで、自然に受け容れてきた不自由と同じ質のものでもあったのだ。ウルマンはいま、この場(収容所)で周囲から求められているような優しさや温かみ、希望に満ちた音楽を書きたいと願ったろうが、同時に、それは来たるべき解放後にも、自らの拠って立つ基点として、十分に踏みごたえがあるものでなければならないと感じていたのだろう。楽しみは、先にとってあったが、少なくとも設計図としては申し分のないものに仕上げておかなければ気が晴れなかったのである。この作品からは、作曲家の声が聞こえてくる。痛切な解放への願い、未来から来る希望の声だ。しかし、裏返せば、現在の状況に対する無力感も決してないとはいえぬ。

【暗い予感、絶望と希望】

アウシュヴィッツに散った作曲家たちは、ほぼ例外なく、20世紀前半の前衛的な音楽的冒険の先端を走っていた。そのため、サウンドは運命的に彼らの不運を先取りしている感じがする、もちろん、この作品にも暗い予感のようなものがまったく認められないというわけにはいかない。しかし、それはユダヤ人ならば、否、人間ならば、誰もがもってきた「夜」のような感覚であって、この機会に特別なものとまでは言いきれないものだった。オペレッタのような第1幕に漂う明るさは意外であり、その後、微分音的なテクニックを用いた苦みのあるなサウンドが展開していくに従って、幾分、影が差すアダージョやスケルッツォの響きなどはあるものの、終結では再び希望の光が差し掛ける部分もある。いつかここを出られるようなことがあったら、迷わず交響曲を書くのだということが、彼の生きる理由になっていたのは間違いのないところである。

ある程度の活動の自由があり、ウルマンもプロパガンダ用に創作を許されていたとはいえ、収容所の生活が人々に対して過酷だったことに変わりはない。ソナタ第7番は未来への希望であったと同時に、この収容所のなかで生まれ、死んでいった3人の子どもたちに捧げられているそうだ。そのような困難のなかにあっても、芸術家は絶望よりも、希望のなかに生きることができるのだ。高橋は、そのようになことが言いたかったのかもしれない。

だが、彼は結局のところ、自ら、その生きる権利を放棄する原因をつくってしまった。もちろん、本当は彼に直接の原因などなかったはずだが、ナチスの人たちはその「退廃的」な雰囲気や、僅かばかりのアイロニーのなかに、見逃せない悪臭を感じ取ったようなのだ。作品は戦後のストラヴィンスキーの作品『兵士の物語』や、後世のB.A.ツィンマーマンの作品を先取りするような雰囲気を持ち、支配者がこころの平安を取り戻して、下々の者たちが僅かな静けさや平穏を求めるために四苦八苦することがテーマになっている。収容所のウルマンが考えたことといえば、ただひとつ、このような深い夜のなかで、自分たちに灯すことができる小さな火のありかを探すことだったにちがいない。だが、1944年、歌劇『アトランティスの皇帝』は暗にヒトラー総統を揶揄するものだとして上演禁止にされ、その罪科によってアウシュヴィッツに送られたウルマンは、同年10月18日、ガス室に送られて絶命することになってしまった。

ほんのちょっとでいいから、休ませてくださいというようなメッセージは、ナチスの獄吏たちには届かず、むしろ、その悪意を良からぬ方向に刺激してしまったようである。

【最後まで隠されていたテーマ】

アンコールで演奏された、バルトーク『戸外にて』の第4曲「夜の音楽」がある意味、すべての謎解きのようになっていた。高橋によれば、この作品の素材が、彼自身の作品に引用されているということであった。その演奏はヤナーチェク同様に、最大級の賛辞で称えられるべき見事なものであった。バルトークの作品は、難しい絵画のように受け取られることもあるが、高橋の演奏によれば、この「夜の音楽」はヤナーチェクの歌劇『利口な女狐の物語』のように、生気あふれる衝動に満ちており、神秘的な風が吹くなかで、命の実感を随所に感じさせる音楽のように思われた。正に、この命ということが、最後まで隠されていたテーマだったのである。

【プログラム】 2016年2月23日

○ショパン ノクターン op.27-2、op.48-2
○ショパン マズルカ op.59-1、op.68-4(原形のスケッチ)
○ヤナーチェク 霧のなかで
○シマノフスキ 2つのマズルカ op.62
○高橋悠治 夜の音楽
○ヴィクトル・ウルマン ピアノ・ソナタ第7番

 於:浜離宮朝日ホール

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高橋さんのお名前はよく聞きますが、まだ演奏を聴いたことはありません。アリスさんのいつもながらの深い見解を交えての解説を伺うとますます聴いてみたくなってきました。

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