2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« エリシュカ チャイコフスキー 交響曲第4番 ほか 札響 東京公演 3/8 | トップページ | アウエルバッハ アルカヌム ほか キム・カシュカシアン va. & レーラ・アウエルバッハ pf. 共同リサイタル @王子ホール 3/29 »

2016年4月14日 (木)

クァルテット・エクセルシオ モーツァルト 弦楽四重奏曲第6番 ほか TAN企画 「アラウンド・モーツァルト」 vol.1 3/13

【西野ゆか、復帰】

音楽家の肉体的負担とは、どれほど厳しいものなのであろうか。例えば、80歳を超えた指揮者が起立のまま、60分の交響曲を指揮するとき、いかに多くのエネルギーを消耗するかと考えると、私はすこし背筋が寒くなるような気もするのだが、演奏の熱狂のなかでは、そうしたことについて考えるほどの余裕はないものだ。器楽奏者の場合は本番だけではなく、腕前を維持・向上させる日々の取り組みも必要であり、ヴァイオリンのような楽器の場合は肩や首、背中、歯などに大きな負担がかかり、弓を動かす動作に関しては手首に負担も掛かるようである。例えば腱鞘炎は、ヴァイオリニストに多い持病のひとつである。世界的な名奏者であっても、ピーター・ウンジャン(指揮者として活躍はつづいている)、マクシム・ヴェンゲーロフ(左に同じ、最近は演奏にも復帰)、パメラ・フランク(友情出演みたいな形で弾くことはある)など、肉体的な問題で演奏者としての第一線を退いたキャラクターも多いのだ。

クァルテット・エクセルシオ(以下、エク)の第1ヴァイオリンを務める西野ゆかも、1年ほど前から長期休養を決断した。詳細は知らないものの、推測としては、本当に悪い状態になる前にリフレッシュしておいて、やっと軌道に乗りつつあるクァルテットとしての活動を長く継続することを目的とした休養だったのではないかと思う。海外の著名なクァルテットは「看板」が非常に貴重なため、同等程度の力量をもったクァルテットから優秀な奏者を引き抜いて、よりステイタスの高い方で活動させることもしばしばみられる。そへいくと、エクは公演によっては、代役のヴァイオリン奏者を招いたこともあったが、固定した代役は立てずに、残されたメンバー3人が結束、機会に応じて+1の音楽仲間を招いて、従来、できてこなかったような活動にチャレンジしていく道を選んだ。その間の活動にも興味ぶかいものはあったが、この日、ようやくにして、西野が復帰したという公演についてリポートする。

【モーツァルトの『天才』について】

当演奏会はトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)の企画、「クァルテット+1」の新シリーズで「アラウンド・モーツァルト」の第1回に当たる。TANはサントリー財団とともに、近年のエクの活動にとっては掛け替えのない存在であり、とりわけ社会活動において、TANはエクの師であり、同志であるという芸術的なパートナーシップで結ばれているうようだ。欧米では音大や文化施設に併設して、著名な室内楽グループが活動していることも多いが、そうした例がまだ限定的な日本では珍しい関係が構築されている。

ある意味では、モーツァルトもこうした芸術的パートナー・・・当時は貴族の支援を受けて、地位を確立していったわけである。モーツァルトは幼少から高名な貴族の邸に出入りし、「天才」的な才能を賞されたというのだが、その意味については、このページでも繰り返し論考してきた。天才というと、ある日、突然に生まれる飛び抜けた才能のことをいうように思えるが、実際には、たとえ天才といえども、なにかステップとなる要素に依拠していた場合が多いものである。例えば、物理学者アインシュタインの「相対性理論」についても、数学者ガロワの「群論」であっても、それぞれの傑出した成果へと辿り着くまでに、今日的には失敗や回り道としかいえないような、先達の奏でた様々な前奏曲があってして、初めて道が開けたものとみるべきなのであろう。音楽の場合は、よりそうした色合いが強いものだ。現在、「古典派」といわれているハイドン、モーツァルト、ベートーベンにしても、いずれ劣らぬ天才であるとはいえ、古典派というその呼称はきわめて示唆的なものだろう。これらの音楽家はいずれも、古典的な音楽の教養のなかで出現した、傑出した個性ということができるのだ。

この場合、モーツァルトの神童ばなしについては、一旦、除外すべき話題かもしれない。だが、彼の才能を(神童のレヴェルから)「天才」へと高めたのは、父・レオポールトの教育の賜物だったのではなかろうか。私はレオポールトについて、それほど多くを知っているわけではないが、優れた出版者であり、最初期のヴァイオリン教則本の書き手として知られていたらしいことなどは、息子の生み出した成果からすると、十分に予測のつくことでもある。この時代において、レオポールトは代表的な楽識家のひとりであり、それをそのまま、息子の小さなアタマのなかに詰め込んだおかげで、のちの成功があったと想像する。反面、息子のほうには、それに対する反発があったことも同時に想像できるのだ。誰だって、親から貰ったものをそのまま、世の中で試してみようとは思わないものではかろうか。だから、彼は父親のように修辞的な音楽的文法を理知的に用いるだけでなく、それがもっている霊的な衝動をもっと自由に羽ばたかせたいと願って、音楽に新しい形式や内面の広がりを加えていくことになるのだ。後には、レオポールトのほうが、その新しい流儀に倣ったかのような様子も窺える。

モーツァルトの知的な従順さと、それに対する内省的な反発から生まれる多くの成果は、時代を越えて重要な、あらゆる要素につながっていた。

【サンマルティーニの時代の楽士の流儀】

だが、差し当たって初期のモーツァルトは、既に天才的な片鱗をみせてはいるものの、父親のみせたような世界に忠実な面も窺われる。そのことがよくわかるのが、この日、演奏されたサンマルティーニの作品と、モーツァルト初期作品の比較であろう。1700年生まれのジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニの作品『弦楽のためのシンフォニア』は、交響曲の先駆けともいわれているようだ。ミラノ出身で、兄弟で活躍したサンマルティーニだが、彼に師事した人物のなかには、J.C.バッハや、グルックがいたという。シンフォニアは10分に満たないほどの作品だが、4つの楽章を有し、既に形式的な交響曲の萌芽を形成している。ただし、第2楽章のグラーヴェは1分にも満たず、実質的にはアレグロ・アッサイによる第3楽章の前奏的な意味で受け取られる。

サンマルティーニの作品の形式は、当時の貴族邸や王宮の広間での音楽受容の風景をハッキリと想像させる。まず、第1楽章で、いきなり本論に入るようなことはない。まずはおしゃべりや社交に夢中の方々に向けて、警笛を鳴らし、優雅でリラックスした音楽を流すうちに、少しずつ注意を惹いていく。グラーヴェ楽章は座が温まってきたところで始まる、実質的な前奏に当たっており、厳粛で謎めいている。それはバロック・オペラの導入のように示唆的で、ゆたかな仄めかしの音楽になっている。さらに人々が好む舞踊的な音楽が始まり、ときどき控えめに内面的な風景を挿入しつつも、エピソードが多い、全体の中心となる部分が奏でられる。そして、終楽章はメヌエットでふくよかに締められ、楽士退場のような音楽で、自然にパフォーマンスを終えるというわけである。当時の楽士たちはそうやって、どこからともなく現れ、お歴々が完全に飽きてしまう前にさっさと退場してしまうのが流儀だったのにちがいない。

もっともハイドンを雇ったエステルハージー侯などは社交よりも、そうした楽士のほうに興味が深かったようで、彼らを離宮に入れ、優れた音楽家たちを住まわせておき、都から遠く離れて暮らすという方を選んだというわけだ。彼らスラヴ系貴族は社交によって人脈をつくって出世していくというよりは、いざというときに立つのが役目の軍事貴族だったのであろうし、普段はそういうことでもよかったわけであろう。

サンマルティーニの作品は、レオポールトの作品ほどは単純な知的構造によってはいないが、作品冒頭で示される、少しだけトリッキーなつくりの、具体性に富んだ細工などに共通点が窺われ、母国イタリアが誇るオペラの伝統をも埋め込んで、多彩な内容に仕上がっていた。演奏面では、エクが気張らずにリラックスした雰囲気をつくることに成功し、短い作品ながらも、演奏会の構造へと上手に嵌め込まれた印象を強くする。

【モーツァルトの成長過程】

さて、次に演奏されたモーツァルトの弦楽四重奏曲第6番(K159)は、サンマルティーニの作品とまったくといってよいほど同じ構造であり、驚かされた。寛いでいて優雅な最初の楽章、1つの楽章に統合されてはいるが、厳粛な導入部分をもち、少しずつ華やかに展開し、舞踊的要素を経て、楽士退場に至る構成までがそっくりなのである。これはもちろん、サンマルティーニがモーツァルトと同じほどの才能をもっていたことを意味するわけではない。バロック的典型をシンフォニアの形式に固定して(まとめて)、きっちりと披露するサンマルティーニの手法に対して、モーツァルトの個性はこの初期の時点でも既に際立っているからだ。例えば、第2楽章は調性が宙ぶらりんでなかなか定まらず、長短が神秘的に入れ替わり、終盤でようやく謎が解けるような感じにできていて、いっそう複雑な内面的衝動を感じさせる。形式的にはレオポールトの与えたようなインテリジェンスを活用しているのだろうが、同時に、レオポールトへの反感から生まれたような、反骨的要素が彼らしい個性へとつながっているというわけなのだ。

サンマルティーニはそうした才能を目の当たりにして、嫉妬するようなことはなく、地元のミラノでモーツァルトを好意的に支持して、助けになってくれたようだ。その作品が交響曲の出発点ということもあり、演奏会がサンマルティーニから始まったのは意味深いことであった。アントニオ・サッリエリも、モーツァルトの示す才能と真摯に向き合った人物のひとりである。映画『アマデウス』の影響などもあり、モーツァルトに嫉妬して、その栄達を妨げ、対照的に自分が成り上がって、相手を毒殺したというような脚色が信じられてきたこともある。しかし、近年はそうした伝説が、ほとんど根拠のないものであることがよく指摘されるようになった。

多分、サッリエリはモーツァルトと同じく、あまり高貴な出ではないこともあり、互いをよく理解し、友情を結び、芸術的なパートナーとして結びつきながら生きてきた。確かにライバルという面もあるだろうが、モーツァルトとサッリエリでは若干、目指すものが異なっており、互いを認め合いながらの共生は可能だったはずだ。この2人の関係を考えるとき、私は紫式部と清少納言の関係について考えが及ぶ。2人はライバル関係にあった中宮彰子と定子にそれぞれついていて、その文化的な活動にも一見、政治的な鞘当ての面があったようにも見受けられるが、実際にそれぞれの傑出した女性が残したものを見ると、特に『源氏物語』などは、そうしたパヴリックな問題とは無関係に存在しているかのようにみえる(そして、2人が宮廷で活躍した時期は近接しているが、ずれている)。サッリエリとモーツァルトはたまたま近接した場面に存在した、2人の優れた音楽家で、後世の人にも、あらゆる種類のイマジネイションを与えたというだけのことにすぎないであろう。

モーツァルトは死期に臨み、我が子フランツ・クサヴァーをサッリエリに託し、サッリエリもそれに応えていることからしても、2人の関係が決して冷え込んではいなかったことが推察できる。サッリエリの「罪滅ぼし」といわれることもあるし、コンスタンツェ夫人とサッリエリが姦通して、フランツ・クサヴァーが生まれたせいなどと言われることもあるが、これらはいずれも根拠の薄いゴシップというべきだろう。モーツァルトの息子は音楽家として、父親の才能を十分に継ぐことこそできなかったが、フンメルにもついたし、当時、考え得る最高の音楽的環境を得ることができたわけで、サッリエリは彼のために十分、手を尽くしたことが窺われる。

さて、ここでエクが演奏したのは、ほんの僅かなピースにすぎないものの、それでも当時、サッリエリがいかに刺激的で、新しい潮流に立った作曲家であったかということがよくわかる作品を選んでいる。サッリエリの作品はつとに劇的な表現力がゆたかで、従来のサンマルティーニ的な知性と比べると、より内面的な感性が際立ってきており、次のモーツァルトによる「ハイドン・セット」にもつながっていく構成である。モーツァルトの『弦楽四重奏曲第14番』ともなれば、先んじて演奏された作品と比べると、形式的な風格にも落ち着きが出て、サッリエリとはまた異なるモーツァルトの進化を確認することができたのである。その分、より演奏が難しい作品ともいえそうで、演奏パフォーマンスにもより繊細な磨き込みが感じられる。

さらに、その先にはヴィオラを1本増やした弦楽五重奏曲第3番が加えられ、サンマルティーニを起点とした4楽章シンフォニーへとつづく歴史が、徐々に熟していくのを感じるだろう。モーツァルトが弦楽四重奏曲での成果を元手にして、より規模の大きい作品にイマジネイションを拡充していくときの様子が、こうして判然と窺われる。もっとも、モーツァルトは8歳で最初の交響曲を作曲したといわれており、こうした論理的な構図が嵌まりきらない部分はあるものの、年を追って試行錯誤を重ね、旧来の音楽の在り方から形式的にも、内面的にも表現の幅を広げていったような過程を観察するアイディアとしては、この構成も興味深いものと思われた。

エクはさらに、もうひとつの興味ぶかいサジェスチョンを示す。弦楽五重奏曲第3番において、初版のスコアに基づく並びに従い、第2楽章がメヌエット、第3楽章をアンダンテという順で演奏したのである。このことにより明確になるのは、モーツァルトが音楽的に十分な成長を遂げたこの時期においても、演奏会序盤で示されたような古典的形式を踏まえているということである。その上で、第3楽章までに宗教曲でいうところの「アーメン」に至る形式をほぼ完了しておくことで、その分、終楽章をディヴェルティメント的に自由な発想で表現することができるという機知も発揮している点には注意を向けておきたい。こうして我々は、古典的な教養にふかく根差したモーツァルトの形式的、もしくは、精神的な音楽の革命について、その一端を知ることができたというわけである。

この作品の演奏では、読響の柳瀬省太がヴィオラに加わったが、チェロの大友とは小学校5年生の頃からよく知った仲であるということで、普段のエクがもっている個性を損なわないように調和し、最初から息の合った演奏を披露してくれた。ただ、第3楽章では柳瀬のパフォーマンスがスウィッチとなり、それまでの楽章とは大きく様相を変えて、個がガッツリと前に出る響きの構成に変わり、それぞれのメンバーが己の進境を示しあうような格好となった。西野のトラブルにもかかわらず、エクはさらに、目にみえるような成長曲線を描いており、ある意味では特別なこの1年を各々、有効に使えたことが窺われるのだ。また、+1は当季のエクの活動を象徴するキーワードであり、弦楽五重奏曲の演奏はその締め括りとしても相応しいパフォーマンスになった。

【まとめ】

背筋の伸びた第2ヴァイオリン・山田を中心とするアンサンブルに、対話的に第1ヴァイオリンが馴染んでくるモーツァルトのK159、第1楽章がすべてを象徴するようだった。どうか、この幸福が長くつづいていくことを願いたいものである。なお、この日の演奏会では、西野の復帰に関する特別なコメントや挨拶などはなかったが、私の接してきたエクのコンサートのなかでも、よりゆたかなインスピレイションに満ちた回であった。モーツァルトという作曲家、そして、その時代をつくってきた人間の歴史を感じさせる奥深さについて、改めて思いを至らせるものであり、クァルテットの演奏スタイルもまた、そうしたメッセージへと繊細に寄り添っていたのである。その内容の豊富さゆえに、いかにも特別な演奏会という雰囲気を醸し出しており、間接的にメンバーの復帰を言祝ぐものとなっているのは面白いことだろう。結局、彼らにとって、なにも特別なことはなかったのだ。ただ、今までどおりにつづけていくだけのことで。だけれども、いつもより少しだけ、力の入ったところはみせてくれたのである。

【プログラム】 2016年3月13日

1、サンマルティーニ 弦楽のためのシンフォニア
2、モーツァルト 弦楽四重奏曲第6番 K159
3、サッリエリ 4楽器によるフーガ風スケルッツォ第2番/第4番
4、モーツァルト 弦楽四重奏曲第14番 「春」
5、モーツァルト 弦楽五重奏曲第3番
 (va:柳瀬 省太)

 於:第一生命ホール

« エリシュカ チャイコフスキー 交響曲第4番 ほか 札響 東京公演 3/8 | トップページ | アウエルバッハ アルカヌム ほか キム・カシュカシアン va. & レーラ・アウエルバッハ pf. 共同リサイタル @王子ホール 3/29 »

室内楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/543421/63445995

この記事へのトラックバック一覧です: クァルテット・エクセルシオ モーツァルト 弦楽四重奏曲第6番 ほか TAN企画 「アラウンド・モーツァルト」 vol.1 3/13:

« エリシュカ チャイコフスキー 交響曲第4番 ほか 札響 東京公演 3/8 | トップページ | アウエルバッハ アルカヌム ほか キム・カシュカシアン va. & レーラ・アウエルバッハ pf. 共同リサイタル @王子ホール 3/29 »

ツイッター

  • ツイッター

最近のコメント