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2016年5月28日 (土)

ジョナサン・ノット(指揮) ブラームス ドイツ・レクイエム ほか 東響 639th 定期 4/24

【私のドイツ・レクイエム】

最近、フィンジの公演評を書いたが、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』も、私にとっては特別な曲のひとつだ。私の記憶のなかにある最初のクラシック生演奏体験は1998年5月のアルゲリッチの公演で、この公演は調べてみると、ベートーベンのピアノ協奏曲第2番をメインとしており、アルゲリッチが弾き振りをする予定だったが、当日変更になり、ラビノヴィッチが指揮を執った。演奏内容は残念なことに、まったくなにも憶えていない。当時、僕はまだ学生だったと思うが、本格的なコンサート通いが始まったのは就職してからで、2003年にスクロヴァチェフスキがザールブリュッケン放送響を率いて、つくばに来たときのことが印象ぶかい。当時の僕は「第九」とピアノ音楽のファンで、特にアルゲリッチやアンスネスのピアノを好んでおり、一方では天邪鬼な稀少レパートリーを愛しており、二期会の公演で、ブリテンの歌劇『ヴェニスに死す』を観たり、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番(独奏はA.ギンディン)を聴いて喜んでいたりする一面もあった。既にチェコ音楽のファンでもあり、パノハQを聴きにいったりもしたが、それはまだ十分には楽しめなかった。

高校生ぐらいに薄いルーツがある私のクラシック音楽遍歴で、その最初期から、私の部屋にかかっていた音楽のなかに、カラヤンのブラームスがあった。正直、ピアニストといえばアルゲリッチ、指揮者といえば、カラヤンか小澤ぐらいしか知らなかったのだ。4つの交響曲もよく聴いたが、私が特につよく魅了されたのが『ドイツ・レクイエム』であった。それだけにのち、頻繁にクラシック音楽の演奏会へ足を運ぶようになってから、その曲を一度も聴いていないというのは不思議なことである。もう100回ぐらいは聴いたつもりになっている、その記念すべき第1回が、ジョナサン・ノットと東響であったことは誇るべきことなのかもしれない。だが、その演奏は私のイメージのなかにあったものを、そのまま形にしてくれたから凄いというのではないのだ。むしろ、その反対である。

我々が聴くカラヤンの録音は、1950-70年代くらいのものであるが、その間に、様々な思潮や学術的研究の変化があった。もちろん、私もその後、カラヤンのディスクばかりを聴いていたわけではないが、ノットのパフォーマンスは、それらのどれと比較しても、いっさい似ていない気がした。しかし、私はノットのことを指して、革命児などと呼ぶ気には到底なれないのだ。やはり、彼は伝統の革新者というよりは、それを受け継ぐ者というだけの風格がある。東響の音楽監督をそれまで9年間も務め上げてきたスダーンから引き継いだあと、それまでに楽団が積み上げてきたものを彼がどのように扱おうとするのか、私は注意ぶかく眺めてきたが、ノットはなにひとつ損なうことなく、楽団を新しいステージに導こうとしている。それと同じような形で、音楽と向き合ってきたのにちがいない。

【ドイツ・レクイエムと、新ウィーン楽派の音楽】

さて、ブラームスにとって、『ドイツ・レクイエム』という作品はすべての可能性を内包するものだった。1857年、敬愛するシューマンの死が作曲のきっかけといわれるが、それからのち、10年以上もかけて初演に漕ぎ着けている。この作品はブラームスの音楽についての辞書のようなものであり、4つの交響曲もすべて、『ドイツ・レクイエム』を下敷きにして生まれてきたというのが、私の意見である。1つ1つの交響曲をうまく演奏することはさほど難しくないが、すべての収まった『ドイツ・レクイエム』を上手に演奏するためには、より幅広い知見が必要となる。それに加えて古典的教養が不可欠であり、ベートーベンをよく知っているぐらいでは収まりきらないわけだ。ブラームスは古い宗教曲や、そこから派生した声楽作品、管弦楽をめぐる時代的なルールを用いながらも、精神や哲学の面、また、それらを示す言葉(歌詞)や音響の面では新しい響きを構築して、まったく目新しい宗教作品をものにした。それが、『ドイツ・レクイエム』である。

ノットはそれと並べて、シェーンベルクの『ワルシャワの生き残り』、そして、ベルクの『ルル』組曲といった、見るからに新鮮な息吹を、当時は放っていたであろう作品を対置している。もっともシェーンベルクは、ブラームスを高く評価しており、その作品ををつぶさに研究していたということはよく知られるようになってきた。しかし、そうはいっても、ハンスリックら、保守的な論客の象徴的存在であった後期ロマン派のブラームスが、いかにして、新ウィーン楽派のルーツに来るのかということは、なかなかイメージもしにくいものであろう。そのヒントのひとつとして挙げられるのは、レクイエムの歌詞である。

今回、改めて検討してみたが、ブラームスが選んでいる聖典の内容はかなり個性的なものである。哲学的には「復活」よりも、「盛者必衰」的な観念に傾いており、同じ「復活」の時期に想いを致すとしても、それは終末的な観点から来る救済の考え方と関係している。また、ドイツの交易・工業都市ハンブルク出身のブラームスではあるが、『ドイツ・レクイエム』の歌詞を追うと、特に前半は都会的ではなく、農村の暮らしに根差したものになっている。恐らくブラームスは近代的な工業化の波と、自らの愛する音楽の間につよい齟齬を感じており、対照的に自然的なものや、それと親しい農村の暮らしに憧れを抱いていたことから、ドヴォルザークのような存在を必要としていたのである。作曲家たちはそれぞれに、自らの心地よい自然を選び取り、ワーグナーはルツェルン湖畔のトリプシェンに居を構え、のちのストラヴィンスキーはスイスのレマン湖のほとりに住んだが、ブラームスもペルチャッハやトゥーン湖畔の避暑地をこよなく愛していた。こうした場所に魂を休めながら育てられていくブラームスの考えは1868年という時点において、既に、やがて来る世紀末的な雰囲気を予告していた。

シェーンベルクが最初の画期的な作品である『浄められた夜』を書いたのが、1899年のことであり、『グレの歌』が手掛けられ始めたのが1900年。新ウィーン楽派の破壊的、もしくは再建的なエネルギーが、世紀のおわりと始まりをまたぐ不安定な精神風土から生じていたのは偶然ではない。こうした流れはすぐには受け容れられなかったものの、1914年にWWⅠが勃発し、時代的な傾斜がいっそう強まることによって、一挙に主流へと成長していったように思われる。1914年、ゲオルク・ビューヒナーの戯曲に接してイマジネイションを得たアルバン・ベルクが、1917年に『ヴォツェック』をものにするのは象徴的な出来事である。しかし、ノットはさらに歩を進めて、作曲家最後の作品である『ルル』へと焦点を合わせた。オペラは未完で知られているが、組曲版は一応の完成をみて、師匠のシェーンベルクの前でも披露されているため、いかなる二次創作の必要もない(オペラを補筆完成させたツェルハは才能ゆたかな作曲家であるにもかかわらず、この補作の評判の悪さゆえに、プッチーニのフランコ・アルファーノと同様に、大きな誤解を受けることが多いものだ)。

歌劇『ルル』は題名役に関係する者がルル自身を含めて、死ぬか、殺すかのどちらかに与するまったく救いのない衝撃的な話である。ルルを殺す切り裂きジャックは、正に19世紀末からやってきた使者のようである。あのときの亡霊がいまや、世界を覆ってしまったのだ。切り裂きジャックとは、誰なのか。それは、世界が鏡に映った姿にすぎない。ところで、ベルクの作品も、『ドイツ・レクイエム』も、そうした鏡の役割を果たしながら、まったくみたこともないもうひとつの世界を映しているという点で、鋭く対応している。

演奏面でいえば、あの異様なまでに柔らかいアンサンブルには、耳を疑った。ワルソーの段階ではまだ謎が多く、素材の厳粛さが粗削りに、だが、ずっしりと響いたものである。それに魂を入れたのは、『ルル』の最初の数音で感じた、信じられない柔らかさである。霧の向こうから響いてくるような響きは初め、フランス的なものと感じられたが、のちには、バロック的な味わいに転じていく。かつて「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン」の舞台でベルリン古楽アカデミーの演奏に接したとき、イソギンチャクのように自然な動きで深く連動する奏者たちの動きに感銘を受けたものだが、ベルクの序盤において、東響が示したパフォーマンスはそれに大きく迫るクオリティを有していた。もしも、これが1曲を通して表現されたのであれば、それこそ恐ろしいことになったであろう。どのあたりからか、演奏は徐々に「いつもの感じ」に戻り、それでも感嘆すべき出来は維持したけれども、特別な成功とまではいかない落ち着きに至った。チェン・レイスの透き通った歌声だけが、聴き手の印象に残ったとしても不思議ではない。

【特別な日】

この演奏会を読み解く鍵は結局のところ、いくつかのキーワードに収斂されていく。死と生、鏡、自然、そして、祈りである。そうした意味においても、前半の2人(の独唱者)が、そのまま『ドイツ・レクイエム』の独唱に入ることは象徴的であるが、そうはいっても、私はそのことをあまり強調しすぎるべきでもないと思う。官能的な赤いドレスから、黒い服へと変えてきたソプラノのデリカシーの深さは、それぞれの作品が関連づけられながらも、あくまで個々の作品として存在することも象徴しているのだろう。

なお、合唱は、先日のフィンジと同じく冨平恭平がベースをつくったが、東響コーラスに対しては、まったく別の抽斗を開けて、仕事をしたとしか思えない。アマチュアということもあり、この作品に関わったコーラスの人数は驚くほど多く、この規模で作品に相応しい凝縮が得られるかは不安に感じたものだが、実際にはガッチリとまとまって、作品を成り立たしめる力強い構造と向き合わせるには必要な数を揃えていたといえそうだ。しかも、ただ強靱なだけではなく、必要なときには、ひとりひとりが想いをもって歌っているのが伝わってきたのが大きい。

実演で見てみないとわかりにくいこともあるもので、声楽のヴィブラートにぴったりあわせて、弦がヴィブラートをつくり、それが太鼓にまで伝播すると、いよいよ響きが崩壊し、新しい世界に突き進むというような細部は、こうして目にすることで、はっきりとわかる(第2曲)。ノットの表現はまず、言葉に焦点を絞ったもので、無数の細部に聴き手を向き合わせ、結局のところ、楽曲全体を大きな鏡のように聴かせてしまうところに特徴がある。この世に生きる人間の声を第一、それと共に歩む弦楽器と管楽器の演じる精霊の声が第二、金管群、打楽器、オルガンによる超人的な神的威圧はなるべく表には出さないようにして、大事にとっておく。このバランスが徹底されていることも、十分に強調しておかなくてはならないだろう。そして、言葉を話すようなアーティキュレーションの繊細さ。だが、それを忘れさせるほど鋭い、響きの風格やドラマティックな情感もあった。巨匠的身振りはなく、素朴で、それだけに味わい深い時間がつづく。ただ荘厳で涙ぐましいのではなく、聴き手を優しく包み、いたわりながらの進行がよい。

ただし、単に声の優位が優先されていたというわけではなく、カンバスは丁寧に白く染められているという前提に立っていなくてはならない。目立たないが、確実に厚みをもつこの層は、全空間をエーテルのように満たしているものだ。声楽につよい指揮者が陥りがちなことに、この作品では言葉や音楽の切れ目で、ブツブツと音楽が切れては、生じなおすという現象がよくある。ノットはこうした弊を避け、彼のオーケストラと合唱とが互いを埋めあう努力を常に求めて、全体がばらばらにならないようにこころを砕いている。あまりにもコーラスの存在感がつよくなり、彼もまた、英国人的だと思わせた瞬間は僅かしかない。

それにしても、最初のほうに書いたようなノットの表現の決定的な新鮮さとは、一体、何だったのであろうか。それは恐らく、文字として、言葉で表現するにはもっとも難しい要素のなかにあったような気がするように思われる。つまり、それは細かな音楽の区切りや、フレーズの組み方のことであり、それが別のものとは比較にならないほど研ぎ澄まされていて、言葉としての立体感を極め、音楽の内面的な質を深々と抉りもするのであった。あるいは、そうしたものだけが音楽のすべてとも言えるわけで、結局のところ、音楽はあまりにも精緻であって、言葉で語るには難いというわけである。正直、いま、こうして書いていることを読み返してみても、あのときの深い感動がそのまま伝わらないように思えることは、書き手としての力不足というほかはない。

それはそれとして、この日の演奏会が、我々にとって「特殊な環境」のなかでおこなわれたことは、やはり、重要な要素として挙げておきたいと思うのだ。私が初めのうちから、この作品を愛して止まなかった最大の理由は、まったく異なる劇的な要素が曲ごとに積み上げられ、第6曲でいったん頂点を迎えたあと、終曲では一転して、静かで優しい曲調が、対照的な前曲に勝るとも劣らない厳しさで奏でられる不思議さにあったはずである。終曲の素晴らしさは、この作品の正に核心をいく部分であるが、ノット&東響の演奏ではいくらか・・・しかし、確実に太い線で、言葉が音楽とともに上昇し、どこかへ旅立っていく様子を描き込んでいる。これはもちろん、演奏にこめられた祈りの情念とエネルギーがなんとか「熊本に届け」という想いからくるものであったろう。 

この日、演奏された『ドイツ・レクイエム』は、ここ10数年、東響がせっせと積み上げてきた演奏伝統の総決算であった。スダーン、ノットだけではなく、秋山時代の経験もちゃんと生きているからこそ、こうした難しいプログラム構成が可能だったのであろう。そして、これに満足せず、彼らはまた新しい道を歩み始めている。ノットの長期契約が、その道を予め踏み固めることにつながっている。演奏はこの上もなく素晴らしく、この日、やっと初めての生演奏を経験したというのに、今後、もう10年は聴かなくていいという気にもなっている。それだけの華々しい成功だったのだ。オーケストラ、指揮者、独唱者、合唱が、これほどのパッケージで美しく揃うことはない。しかも、その前に、シェーンベルクとベルクが並ぶことも金輪際、ちょっと期待しにくいことだ。それらが十分な均衡を得て、効果的に演奏されるということも!また、その祈りの声と、熊本の被災地がどこかで結びつくというようなことも。

明らかに、特別な日だったのである。

【プログラム】 2016年4月24日

1、シェーンベルク ワルシャワの生き残り
2、ベルク 歌劇『ルル』組曲
3、ブラームス ドイツ・レクイエム

 S:チェン・レイス Bs:クレシミル・ストラジャナッツ

 chor:東響コーラス(cond:冨平 恭平)

 於:サントリーホール

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