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2016年6月28日 (火)

下野竜也 矢代秋雄 ピアノ協奏曲/黛敏郎 涅槃交響曲 ほか 新日本フィル トリフォニーシリーズ(第1夜) 5/27

【矢代祈念のためのドラマトゥルギー】

黛敏郎の『涅槃交響曲』あたりは近年、そこそこ演奏される機会に恵まれてきた様相がある。三善晃の作品は簡潔のため、1曲目に来ることは多い。その日の演奏会を彩る顔役として、三善作品は相応しい特徴をもっている。矢代秋雄の作品は死の直後、特別に持て囃されたようだが、近年はさほど演奏実績が積み上がらず、忘却の弊が心配される。黛や三善と比べれば、矢代は短命だった。この演奏会のメインはバンダを含む大編成のオーケストラと合唱を使う黛作品ではなく、矢代の作品だであると、指揮の下野竜也は述べている。では、矢代が最後に演奏されるのかといえば、そうでもなかったのだ。

これには、ひとつのドラマトゥルギーが潜んでいるものと思われる。やや後輩の三善が前奏をかなでることで顔役を務め、矢代自身の力作を確認したあとに、黛の『涅槃交響曲』によって、盛大に40周忌を祈念する企画であったろう。この3人は日本のクラシック音楽黎明期を経て、戦後、世界的に広がる前衛主義に立ち向かう日本楽壇のなかで、その個性をいかに生かすべきか、苦闘し、互いちがいに実績を競ってきたライヴァルであり、同志だった。例えば、プログラムにも記載があった尾高賞の歴史を辿ってみると、1954年に、3人のなかでいちばん早く(年少の)三善が授賞してからというもの、1974年の『チェロ協奏曲』で三善が3度目の栄誉を受けるまでに、この3人が競うように栄誉を授かっているのである。1976年に矢代が亡くなり、それからは、彼らの後続の世代に主導権が移っていくのは偶然ではないのだろう。

同じ池内友次郎の門下とはいえ、3人の個性は際立って異なっている。三善の完成度、矢代のひねり、そして、黛の率直な表現という具合である。黛にとって、『涅槃交響曲』はもっとも有名な作品であり、天台声明を模した素材がそのまま導入されたことで、目に見える日本的特徴を有しているものの、それは彼の最高傑作であるとまではいえないだろう。優れた作品ということは間違いないものの、三善、矢代、黛による、このあたりの作品はまだ、背をいっぱいに伸ばして、つま先を立て、高い壁になんとか爪痕のひとつでも刻みこんでやりたいという想いが先行しているように思われ、シェーンベルクのいうような内的なものと、どれほど深く照応しているのか、わからないと思われるのだ。

矢代秋雄の作品は1967年の作品で、今日に残された規模の大きな作品のなかでは、最後のものに当たる。寿命はまだ残っていたが、寡作で、本当に納得のいくものしか残さない潔癖症のために、そのような結果となっている。独奏のト-マス・ヘルは、このあとの演奏会でリゲティのエチュード全曲を演奏し、なかなかの評判を得ているが、ハキハキした楷書の、逞しい弾き手である。下野もそれにあわせ、深々としたヴィヴィッドなサウンドを立体的に積み上げ、サウンドの解像度が際立って高い演奏となった。もっとも、その明瞭さは、私に若干の疑問も感じさせるもので、全体的に一本調子のところがなかったとはいえない。フランス帰りの矢代ならば、よりシャンパン的な輝かしいサウンドもあり得たのではないかと夢想させられ、それに見合う小粋な演奏スタイルが可能性として窺えるのである。

ヘルはアンコールに応じて、バッハの『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』(BWV639)を弾き演奏会全体を構成するドラマトゥルギーにも参加している。彼自身が弾いたのは正に全盛時代の、矢代の華々しい作品であり、メモリアル的な意味には馴染まない力作であるが、バッハを演奏することで、掛け替えのない命が喪われたこともまた、イメージのなかに残るだろう。ブゾーニ編の効果により音色は分厚く、よりリリカルなサウンドが構築される。それを上塗りするヘルの分厚い音色にもかかわらず、バッハとしての味わいはいっそう深い。その雰囲気が、後半の『涅槃交響曲』と有機的に絡み合ったのは事実である。

ひとつ遡って、三善の『管弦楽のための協奏曲』は1964年、2回目の尾高賞を授かった作品である。10分足らずの作品のため、メインとしては尺が足りないように思われるが、その分、完成度はとてつもなく高い。その範囲において、この日の演奏は素晴らしかったものの、取り立てて特徴らしきものを指摘することも困難だ。本来は、この作品をメインにプログラムを構築していくと面白いと思うのだが、そのためには相当の工夫と、冒険が必要である。

【聴きたい音も自由に聴けない苦しみ】

後半は、1階席の前方と後方を分ける通路を閉鎖して、バンダが陣取る形で『涅槃交響曲』の演奏がおこなわれたのだが、このようなオーケストラの配置は、それ自体が実験的である。不作法だが、ステージ上のアンサンブルや合唱よりも、あるいはバンダが身近となる、この配置は、幾層にもわたるアイロニーを示しているようだ。そのひとつは、客席がディバイド(分割)されることに関わっている。通常、オーケストラのコンサートは100人足らずのオーケストラと、それに10倍する客席の対応によって成り立っているものだ。交響曲の演奏は歴史的にみても、公共的な意味をもっている。だが、下野はこうした配置を採ることで、客席の一致した反応というのを故意に分断したのかもしれない。

例えば、私は下手の後方側座席にいた。バンダを身近に見下ろし、一部の音が至近から襲いかかることで、私たちのブロックは前方ステージ側のパフォーマンスと分断され、音響的に封じ込められた状態になった。モニタに映る下野の、精緻な指揮姿は、私たちが全体の構造の一部のなかで、音楽を聴いていることを感じさせた。だが、舞台上の響きは、必ずしもよく聴こえない。ところが、この状況を私は不快には思わなかったのである。そんなことよりも、私は瞬時にイメージできたからだ・・・前半の矢代が既に病床にあり、もはやいつ亡くなってもおかしくない状況にある場面について。彼が本当の作曲家ならば(無論、それは間違いない)、最後の瞬間まで切実に聞きたいと願ったのは、音であるはずだろう。だが、病床では聴きたいものも自由には聴けないだろうし、それまで心地よいと思われたものも苦痛に変わることは想像がつく。例えば風邪で体調を崩しただけでも、私などは音楽など聴きたいとは思わないのだし、死病の苦しさを思えば、もはや絶え間なく自分を襲い、金輪際、逃れ得ないであろう痛みや苦しさに耐えて、音を楽しむなどということは難しいだろうと想像するのも、また容易いのである。

だが、同時に、作曲家が音と離れて生きることが難しいこと、これもまた想像に難くない。彼は、矛盾した状態にあるようだ。非選択的に封じ込まれた空間で聴く音は、こうした人が聴きたい音も自由に聴けない状況を象徴するものとして受け取られた。人はいまわの際に、こんな風に音を聴くのであろうか。私は想像した。

それと同時に、私はこのプロジェクトが十分に吟味されたものであることも感じていたのである。なぜ、この場所なのか。下野はとりあえずプログラムを決めて、あとで仕方なく、こんな風に配置をしたのだとは思われない。ここに配置することで響きがどのように伝わり、その結果、人々がどのように考えるかをイメージして、パフォーマンスを組み立てたのは必定である。演奏会後の反応をみると、そのイメージを具現化した場合の、聴き手の側からみた感想は様々だった。予想どおり、舞台上の響きが聴こえにくいという批判もあるにはあるが。

私はこの一回的な試みに、こころからの賛意を示すものである。ひとつには先述したようなイメージが喚起できたことがあるし、それは作品の示すモティーフと直接的に関係している。また、この配置は空間に対して素直なもので、音楽に対しても十分、誠実な特徴をもっていた。舞台上のオーケストラ本隊と合唱、バンダの間に適切な距離と、ちょうどよい関係性があり、それらの関係性の変化から、音楽に動きと立体性がもたされる仕掛けはわかりやすい。ついでにいえば、こうした音響的な実験は、クセナキスの『ノモス・ガンマ』のパフォーマンスなどにおいて、楽団がここのところ、積極的に試してきたものの成果の一部である。一方、舞台が遠く感じられることで、声明が及ぼす効果はより冷静なものとなり、過剰なカタルシスを生じさせない点も評価できる。それでもクライマックスでは天が割れ、死者(もしくはそれに類する高尚な知性)が涅槃に至る過程を感じ取るには十分だ。

この音楽は、独特の重みをもって響く。この作品が傑作だとしても、それによって「黛さん、天才だ」「ブラーヴォ、素晴らしい作品だ」という種類の共感を呼ぶものではない。私はむしろ、ゲッソリとするのみである。だから、悪い音楽だといっているのではない。この作品にはまだ日本が貧しくて、必死にもがきながら、自分たちを沈めようとする海の波にも裸で立ち向かった時代の息吹がつよく感じられるのだ。本当にこの時代の日本人は、いまとはちがう。なんにでも、本気でかかり、半端な妥協もなく、自分を痛めつけながらも、一方では静かに我を貫いている。また、3人が非常によい仲間だったというのもテーマのひとつで、彼らが互いにないものを補い合いながら、日本楽壇の基礎を積み上げてきたという事実は決して忘れられてはならない真実だ。そうした意味では、じんとくるものもあった。

【最後に】

もっとも、当夜に演奏された作品は、いずれも傑作揃いとは言いながら、先にも述べたように、まだまだ自由な表現には至っておらず、我が国の作曲家たちが本当の意味で自由に、我を世間に問うような音楽が書けるようになるのは、まだ先の出来事だったと思われる。武満にしても、完全にインディペンデントな創作であるという風にはいえない。学術的にどこからというには研究が足りないが、ごく最近であることは間違いない。だが、今日、私は日本の作曲家が・・・必ずしも世界的に広く認められているわけではない、作曲家でさえも、世界的に活躍する著名なヘッドナイナーに劣るとは断じて思わないのだ。例えば、マグヌス・リンドベルイと、新井健歩の規模の大きな新作が同時に出たとすると、それらのどちらが聴きたいかといえば、私は後者のほうを選ぶだろうから。

とはいえ、この演奏会で取り上げられた3人が・・・特に三善晃が、この世にもうないということは、どうも信じられない思いがするのも事実だ。どこかにひょっこり、生きていはしないか?それほど自然に、彼の音楽はこの世の中に生きているのではなかろうか。ひょんなことから新しい扉が開いたが、あるときまで報われない境遇にあった新垣隆氏も、例の事件の発覚直後には、三善先生に顔向けできないと言っていた記憶がある。彼の存在感は我々にとって、依然、無視できないほどに大きいのだ。彼らの仕事をレパートリーとして、定期的に追っていくこと。ときには、まだ知られていない作品も調べてみることは、今後の成長力と、その維持にとっては不可欠な要素と思われる。

当夜はともかく、限られた時間のなかで、最高のパフォーマンスだったことを喜びたい。

【プログラム】 2016年5月27日

1、三善晃 管弦楽のための協奏曲
2、矢代秋雄 ピアノ協奏曲
 (pf:トーマス・ヘル)
3、黛敏郎 涅槃交響曲
 (chor:東京藝術大学合唱団)

 コンサートマスター:豊嶋 泰嗣

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