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2016年7月14日 (木)

第25回記念ヴィオラ・スペース~ヴィオラの誕生!バロックへの回帰 5/31 コンサートⅠ「バロック音楽の夜明け」

【メッセージ満載】

今年のヴィオラ・スペースは25周年を記念し、「原点に返る」と言いながら、蓋を開けてみれば、これまでにない新しい試みが満載だった。ヴィオラのほかに、ヴィオラ・ダ・スパッラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、それにバロック・チェロなどが登場する多様な楽器の饗宴であったと同時に、従来、それを使用してこなかったアーティストもバロック・ボウ、ガット弦を全員が使用、ピッチは(a’=415hz)のカンマ-トーン(バロック音楽のピッチについては、リンクのブログ記事が面白い)に調整するという徹底ぶりである。私が聴いたのは、『ヴィオラの誕生』がサブテーマとなった5月31日のコンサートである。毎年の恒例だが、東宮も今年は単身でご臨席という演奏会だった。

最初のテレマンの曲(TWV40より2曲)では、4人の独奏者は客席前方中央のブロックを囲んで、1人ずつ四隅に立ち、組み合わせを変えながら、2人ペアで演奏する。いま述べたようなマテリアルの意味と、アーティストそのものを身近に感じてほしい意図が如実に窺われ、演奏会は初手からメッセージ満載で進むことになった。ここにはいくつかの矛盾と、視点がある。例えば、ヴィオラ・スクウェアに囲まれた席にいる人たちは、視覚的には何も見ることができないが、音響的にはもっとも幸せなポジションにいる。一方、その外側に位置する聴き手は、視覚的にはアーティストたちの演奏姿を身近にみることができるものの、演奏者からの距離によって音響的にはムラがある。もっとも、その場合でも、いちばん近くにいる奏者の響きを、普通なら、あり得ないほど身近に感じることができるメリットもあった。私の傍にいたのは、前回コンクールの覇者であるアンドレア・ブルガーで、引き締まった彼女の背中越しに聴く音楽はいっそう興味ぶかいものであった。

【第1部】

この日のコンサートはちょっと早めの18:30にスタートし、2度の休憩を挟んだ3部構成とみてよい。アカデミックな面もある第1部は、大槻晃士のヴィオラ・ダ・スパッラ演奏が目玉である。スパッラは現存する楽器があまりなく、古楽演奏家でも新しく復元された楽器を使っていることが多い。素朴で穏やかな響きをもっており、ある種の古楽ムーヴメントにマッチする鋭い動きには適さない。懸田貴嗣の弾くバロック・チェロと組み、この楽器の味わいを無理なく引き出すために、大槻によって「趣味の融合」として特別に編まれた曲目は、以下の通りであった。

1、D.ガブリエリ 2つのチェロのためのカノン
2、F.クープラン 「コンセール第13番」サラバンド、ジーグ~『趣味の融合、または新コンセール』
3、ボワモルティエ 「ソナタ第3番」モデラート~『チェロ・ソナタ集』(op.5)
4、M.コレット 「ソナタ第6番」アリア、ジーガ~『孤独の快感』
5、L.N.クレランボー 二重奏曲~『第1旋法による組曲』
6、バッハ 「二重奏曲第3番」~『クラヴィーア練習曲集第3巻』(BWV804)

【第2部】

新鮮な発見を与え、もっともドラマティックだった第2部は、独奏楽器として初めてヴィオラが取り上げられたという東条&ブルガーが弾くゲオルク・ダニエル・シュペーアの作品を枕に取り上げる。ココからは出番が済むと、いままで舞台上にいた人たちが、急いで客席へと戻り、互いに聴きあうという光景も窺えて、いかにもフェスティヴァル的な風景が拝めたことも楽しかった。シュペーアの作品では2本のヴィオラが華やかに競演するだけではなく、ヴィオラ・ダ・スパッラが低音を担当し、第1部とはまた異なる役割を披露している。ブルガーと東条は、あとで音楽を聴いている姿を眺めていると感性にちがいもあったようだが(端的にいえば、ブルガーは音楽を楽しむ無邪気な良さがあり、東条は日本人らしくまじめな音楽職人というべきだ)、舞台上のパフォーマンスでは息が合っていた。

つづく2つの演目では、ディレクターのアントワン・タメスティが責任を引き継ぎ、マレのヴィオール曲集とビーバーの作品について、心をこめて奏でるスペシャル・プログラムが用意されていた。マラン・マレでは櫻井茂の弾くヴィオラ・ダ・ガンバが登場、チェンバロが通奏低音をつくり、いよいよ響きが豊富になっていくなかで、燦然と登場したヴィオラの発する響きの多様さが眩い。しかし、タメスティが奏でているのは、単に「ヴィオラ」という「楽器」ではない何かだった。マレはバロック時代を通じて、もっとも情感ゆたかで、人々に親密な反省を与える音楽を書いた人と思っていたが、タメスティの演奏はそうしたことさえも忘れさせるほど、分厚い楽器の履歴を内包する玄妙なパフォーマンスになっていた。音色も、アーティキュレ-ションも、音の厚みも、すべてが1ランクちがう深みに到達していて、同じ楽器でも、まるで異なる別世界を感じさせてくれるのである。一部抜粋だが、プレリュードのあと、アルマンド、クーラントを外し、ジーグを弾いてから、いったんサラバンドに戻って、最後にガヴォットで締めるという演奏順の遊びも効果的なものだろう。ガヴォットはこの曲集のなかで、もっとも新鮮な動きをもったパートであり、形式的なメヌエットを省いて、そこでおわろうとするあたりには工夫が窺える。

ビーバーの名高い「ロザリオのソナタ」の結尾に置かれるパッサカリアはいわば、バロック・オペラの最後にしばしば、バレエでハイライトをやるようなイメージだったと思われ、10分弱ぐらいの世界に凝縮して、人生が詰まっているような名品であった。タメスティは照明を落とさせ、暗闇から登場し、徐々に明転、最後には再び暗闇に帰る演出付きだ。ヴィオラの誕生に始まり、死によって締める意味をもつ特殊なシーケンスは、明らかに宗教的なものと関係している。ただ、演出の遊びはついても、タメスティはそうしたドラマトゥルギーを声高に語ることは控え、ただ楽器の音色をうまく引き出そうとするだけだった。そして、実際に出てきた響きは、誰にも真似のできない深みと、コクをもっており、独特の筋書きを語る。確かに、ここには多くの優れたヴィオリストが集っているのだが、彼の出す響きには舌を巻くしかない。見習うところはあっても、真似はできないパフォーマンスだ。

【第3部】

フェスティーボな第3部は、この音楽祭のもつ教育的な意味も踏まえたもので、学生のなかには初めてバロック・ボウ、ガット弦に触れた者もあったにちがいない。独奏者にしても、同じことだろう。彼らのために、日本じゅうの音楽家から伝統的なボウと弓を拝借せねばならず、彼ら協力者の名前が列記してあった。ヴィオラ演奏の道を究めようとする者たちが、よく悩むことの答えのひとつは、こうした体験によって、百万回のレッスンよりも雄弁に実感できるはずだろう。誠実きわまりない日本の音楽家に足りないところがあるとすれば、こういうところなのだ。音楽の柔らかさや、独特の流れ方、音色、作品が示すような雰囲気が開いてくれる風格や、独自のルールを、ガット弦やバロック・ボウ、ピッチといったマテリアルが教えてくれるのである。このことは例えば、モーツァルトの鍵盤作品を時代的な楽器で演奏した場合に、よく理解しやすいだろう。ヴィオラでも、同じなのである。

このパートではまず、東条慧がテレマンの協奏曲(TWV51:G9)で独奏を務めている。バックの学生オーケストラはいつもながら色とりどりだが、前述のようにボウと楽器の弦はすべて同時代のもので統一。今回は、オーケストラが弦楽合奏のみになっている点が特徴的だが、そのことでいっそう、特徴を感じやすくなっている。つまり、明るく肉感に満ち、全体的に柔らかい響きがするのだ。特に前者の特徴は若い奏者たちに相応しく、祝祭的なムードを盛り上げる糧ともなった。また、今回は(本番では)指揮者も置かずに、独奏者と学生たちが直接、向き合うのも新機軸である。

つづいて登場の今井信子も自ら責任をとり、企画意図に従ったヴィヴァルディ『ヴィオラ・ダモーレ協奏曲』(RV394)で勝負した。この楽器は名前と、見てくれがまずもって象徴的である。元来、あまり太い音の出ない楽器として知られているが、今井はフレーズをふっくらととり、弱々しい感じがまるでない、十分な厚みをもたせて演奏することに成功した。作品は10分余りしかないものだが、身体の小さい今井が、(楽器の色と形から)悪魔の子でも抱えるようにしてヴィオラ・ダモーレを弾く姿を拝めるだけでもレアというところ。それに止まらず、第3楽章に出る独奏部などでは、この曲がヴィヴァルディのものではないような深々とした奇跡の音色をみせてくれ、私たちをたちまち楽器の魅力の虜としてくれる。古楽の専門家だったら、かえって出せないような響きの鮮やかなコントラスト、ふくよかで、幻想的な雰囲気を紡ぎ出してくれたのは、さすがに今井信子の凄さというべきだろうか。この響きなら、後世、ヤナーチェクが弦楽四重奏曲でその楽器を指定したことにも説明がつくかもしれない。

N響の佐々木亮を中心に、学生からも3人の独奏者が立った最後のヴィヴァルディ『4本のヴィオラのための協奏曲』(RV580)がこの日、最高の興奮を与えてくれる。まだ名を成していない学生たちが、紛れもない名手である佐々木と同じくらいに、自由に羽ばたいて1つ1つのパートを輝かせたとき、このイベントを構成するいくつかの柱がようやく完成したのだと気づくのも困難ではないだろう。客席も大きな盛り上がりをみせ、最後は出演者全員が横に並んで賞賛を受けた。

【補足】

また、タメスティはイベントの一環として、期間中に子どものためのワークショップを実施していた。彼の弾くバッハの音を、絵に描いてみるという試みがなされ、まず色に譬えてみてもらったところ、緑とオレンジというカラーに答えが集中したというのである。子どもたちの描いた絵が展示されていたが、なるほど、すべての絵に木が描かれていた。1点だけ、木そのものは描かずに、風に舞う葉だけを描いている子がいたのには舌を巻いた。葉っぱのうち、一部は雲よりも高く舞っていて、その子の素晴らしい発想力を象徴していたのである。

今年のイベントは25周年のアニヴァーサリーとはいえ、リソースを多く使うコンペティションの翌年でもあり、若干、イベントは縮小気味の構想になっていたが、蓋を開けてみると、ぎっしり実が詰まっていた。このイベントは従来、どちらかというと、未来の可能性に注目し、それを積極的に開いていく企画が多かった。ヴィオラの重要なレパートリーは、前/後期ロマン派から20世紀初頭、前衛の時代に多く書かれており、加えて、優れた演奏家が現代の作曲家と協働することで生まれる新しい可能性が開けていた。しかし、より古い時代にもまだ十分には見出されていない可能性があり、それとの対話によって、ヴィオラ奏者は再び、自分でも知らなかったような自分(キャラクター)に出会うことができるかもしれないのだ。今度のイベントは、そうした視野の拡大を図る好機でもあったろう。ヴィオラのもつ表現力には、まだ限界が見出されていないのである。

【プログラム】 2016年7月14日

1、テレマン カノン風ソナタ第1番、第4番 TWV40:118、121
 (va:アンドレア・ブルガー、東条 慧、佐々木 亮、鈴木 学)
2、趣味の融合~バロック・チェロ二重奏選 *本文内参照
 (b-vc:懸田 貴嗣 ヴィオラ・ダ・スパッラ:大槻 晃士)
3、G.D.シュペーア 2本のヴィオラのためのソナタ
 (va:アンドレア・ブルガー、東条 慧 ヴィオラ・ダ・スパッラ:大槻 晃士)
4、マレ プレリュード、ジーグ、サラバンド、ガヴォット~ヴィオール曲集第1巻
 (va:アントワン・タメスティ ヴィオラ・ダ・ガンバ:櫻井 茂 cemb:桒形 亜樹子)
5、ビーバー パッサカリア~『ロザリオのソナタ』
 (va:A.タメスティ)
6、テレマン ヴィオラ協奏曲 TWV51:G9
 (va:東条 慧 cemb:桒形 亜樹子 orch:桐朋学園オーケストラ)
7、ヴィヴァルディ ヴィオラ・ダモーレ協奏曲 RV394
 (ヴィオラ・ダモーレ:今井 信子 cemb:桒形 亜樹子 orch:桐朋学園オーケストラ)
8、ヴィヴァルディ 4本のヴィオラのための協奏曲 RV580
 (va:佐々木 亮 cemb:桒形 亜樹子 orch:桐朋学園オーケストラ)

於:上野学園石橋メモリアルホール

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