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2016年8月19日 (金)

笠川恵 グリゼイ 『プロローグ』 ほか 東京オペラシティ B→Cシリーズ #183 6/28

【平凡なるものの嘆き】

東京オペラシティの「B→C」シリーズで、ヴィオラの笠川恵のリサイタルを聴いた。ドイツのハイテク集団「アンサンブル・モデルン」の所属と聞いていたから、かなりの凄腕だろうと思ってはいたが、それ以上に説得力あるパフォーマンスで、難解な曲でも、よく知られた曲であっても、彼女がそういう(弾く)のなら間違いはないというような信頼感を抱かせる演奏だった。考え抜かれ、研ぎ澄まされたパフォーマンスが彼女の身上だが、とりわけ左手のパフォーマンスは美しく、柔らかみがあって、精緻な音楽に貢献している。ヴィオラらしい、深く、情感に満ちた音色が、楽器の深い部分から自然に奏でられている。

ワーグナーの歌劇『トリスタンとイゾルデ』第1幕で、イゾルデを貶める(ものと本人は受け止める)合唱に素材をとったバーグスマのヴァリエーションからして、僕には衝撃的なものだった。歌劇には多くの名場面があり、愛の二重唱や、愛の死などが特に有名だが、そのなかで選りに選ってこの場面かと思う素材ではあるのだが、これほど見事に素材と、その再構成を弾かれてみると、バーグスマの真の主張が明らかになってくるだろう。端的にいえば、彼が描いたのは平凡なるものの嘆きとでもいべきものだ。これはのちに、神聖なる凡人「マルケ王」の嘆きに直結するものとなる。粗野で、攻撃的な支持音と、情念的で官能的な主声部の対応は、歌劇全体のモティーフを端的に立体化すると思われる。もっとも、その構造は徐々に見えにくくなっていき、笠川たちのように、最初から最後までを堂々と語りきるには厄介だ。

NMLに録音があったので、事前に耳にしてはいたが、その印象はやや退屈なものとして残り、笠川のような常に骨組みの明らかなメロディ、もしくは、それに準じるラインの構築、くっきりしたリズムと、歯切れの良い動きに満ちたものではない。作曲のウィリアム・バーグスマは1921年生まれ、ジュリアード音楽院で教え、代表的な弟子にはミニマリズムで有名なスティーヴ・ライヒがいる。この作品はヴィオラの持ち味である音色というよりは、その歌う技術に着目したものであり、やや難解な展開がみられるが、演奏者の巧みな咀嚼によっては、まったく別物の表情を獲得する作品とは知れた。「平凡なるものの嘆き」は、歌劇の主要主題にひとつであり、音楽の背景にいつも映り込んでいる模様のようなものだ。そして、その模様はいつの時代でも、我々を変わらず飾っているのである。

【聖画のようなプロローグ】

2番目のグリゼイの『プロローグ』は、壮大なオーケストラ作品『音響空間』の一部として知られ、その冒頭でソロ・ヴィオラだけによって演奏されることから、単独での演奏機会も少なくない。『プロローグ』から徐々に編成が拡大し、最終的に大編成の作品への変貌することは周知のとおりだ。いまや、コンペティションでも課題になることが多いが、この日、白眉となる圧巻の出来もあって、これまた別物のパフォーマンスとなっていた。左手の美しい動きと、次々に意味ある言葉を奏でるフレーズの作り方が綿密に検討され、精確に実践されるや、単なる音が生きもののように生気を帯び、私は思わず耳を疑った。この作品は、左手の表現力がほとんどの印象を左右する。アーティキュレーションとか、別の要素にあまり拘泥せず、いま、そこにある素材をいかに響かせるかということのほうが重要だ。逆にいえば、その点で奏者が正しい答えを導いたとき、ほぼ自動的に音楽はつながっていく構造になっている。右手は多分、ねじを巻くような役割にすぎない。音を出すために形作られる、左手の形までがなにか彫像のように音響空間を飾っている。笠川のパフォーマンスは作品の動的な、破壊的な特徴は幾分削って、聖画のように静謐な時間を作り出すことに成功している。

【言語と音楽】

田中吉史の作品はその衝撃と比べれば、桁違いにシンプルだが、ベリオに対する日本人研究者のインタビューを五線に採譜し、ピアノとヴィオラによって再現した響きは、言語的表層から音という形に変換されたとき、まったく異質な、予想不能で、見慣れぬ素材として驚異的に再生された。古楽において、音楽は言語機能をもっていたと言われるが、しかし、実際に我々が喋る言葉は、五線譜に記譜される西洋音楽の体系にはもっとも嵌まりにくいもののひとつであり、パーソナルな癖なども影響してくる。ここではベリオのはなすイタリア語、さらに、インタビューする日本人話者の癖が二重な皮肉を生んでいる。もっとも、私が仮にイタリア人であったとしても、この音楽から言語的なものを掴み取るのは簡単ではなかろう。面白いアイロニーを多分に含んでいるものの、今後の進化に期待が寄せられる試みだ。

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番(ヴィオラに編曲)の演奏は構造を厳格にとり、それ自体がアメージングなパフォーマンスでありながらも、次のハーヴェイの作品にもつなげていく発想までが窺える。第2楽章フーガは抜群のスケール感で、たっぷりと演奏され、胸に響くものがあった。この作品はもっとも緊張して弾いているようで、彼女にとって、いちばん気を遣うプログラムだったことが窺えるのだ。やはりバッハを弾くということは、演奏者のクオリティを聴き手に曝すいちばんの素材である。

もっとも、会場の雰囲気もピンと張り詰めたのは、次のハーヴェイの作品が始まるときであった。一体、どんな音楽が繰り広げられるのか?ジョナサン・ハーヴェイの、『ヴィオラとエレクトロニクスのためのリチェルカーレ』は、2012年に亡くなった作曲家にとって、それほどよく知られた作品というわけでもない。「リチェルカーレ」というところから、ルネサンス、バロック様式を何らかの意味で参照する意図は窺えるのだが。亡くなる2年前に、ハーヴェイはサントリーホールのサマー・フェスでテーマ作曲家となり、来日している。ここに来ている聴き手の多くは、そこでハーヴェイの優れた作品をいくつか耳にしたであろう。ところが、思ったよりは簡潔な構造であり、拍子抜けな感じもあった。常に自らのドッペルと向かい合う鏡のような前半部分、電子音が外れた隙間から、やや意図的に歪められた音像が背景に来る後半部分との対比がすぐれて示唆的だった。私は前半部分で、弾き手が一瞬も隙なく自分自身と向きあわねばならない構造にこそ、恐ろしいほどの厳しさを感じる。

最後はプレッシャーから解放され、(多分、)彼女が大好きなシューマンで締め括った。楽章を区切らず、構造を大きくまとめた見事な形式観だったが、ボウイングの点で唯一、私には若干、疑問に思えるポイントもあり、フルマークではなかった。具体的にいえるほど深い技術論があるわけではないので恐縮だが、これまでのパフォーマンスと比べると、構造の中心を深く突きながら、面白いように反発をとっていくような彼女の演奏からすれば、こぢんまりとした表現に落ち着いているように見えた。それも部分的な話で、シューマンらしい知性と、情熱的な感性をともに思わせるフレッシュな演奏であった。

多層的なメッセージを感じる演奏会だが、そのひとつには言葉と音の関係がある。面白いのは現象面だけではなく、それらの機能という点にも議論が及んでいた点であろう。バーグスマは歌や噂といったものを、器楽的に変奏しており、そこで直接的に表現されているものが、歌劇という背景を大きく照らしている(または、その逆である)ことに気づかせてくれた。バッハや、それに範をとったハーヴェイは、古くからある音楽の言語機能に依拠した作品であるが、バッハも、ハーヴェイも、その枠に嵌まらない新しいクオリティを出そうとして苦悩している様子も窺える。シューマンは作曲家でありながら、言語によって音楽を語った哲学者のひとりでもある。もっとも彼の音楽はロマン派に分類され、それに裏打ちされた音楽の表情は決して論理や言語に依存したものではなく、情感的なリアリティをもっている。田中作品は生きた人間の対話を採譜するという、現代までにありそうでなかった形で、言語と音楽のパイプをつなぐ試みを成している。

【補足】

なお、笠川の今回のプログラムについては、エレクトロニクス・アーティストの野中正行と、アンサンブル・モデルンでの同僚ピアニスト、ウエリ・ヴィゲットが共演。スイス出身、ハンガリーでクルタークとコチシュに学んだピアニストの堅固なパフォーマンスにいても特筆する必要があるだろう。ドイツのアンサンブルのメンバーは、本当に迷いがないように弾く。表現が明快で、それだけに主張が聴き手へとしっかり伝わるのだ。笠川もそうした部分を見習っているが、日本人らしく謙虚に、コツコツと磨き上げていくこころも忘れない。そういうリサイタルだったのではないかと思われる。

【プログラム】 2016年6月28日

1,バーグスマ 歌劇『トリスタンとイゾルデ』の主題による幻想的変奏曲 
2、グリゼイ 「プロローグ」~『音響空間』
3、田中吉史 ヴィオラとピアノの通訳によるL.B.へのインタビュー
4、バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番
5、ハーヴェイ ヴィオラとエレクトロニクスのためのリチェルカーレ 
6、シューマン 幻想小曲集

 pf:ウエリ・ヴィゲット エレクトロニクス:野中 正行

 於:東京オペラシティ(リサイタルホール)

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