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2016年8月31日 (水)

コルネリウス・マイスター ベートーベン ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 ほか 読響 名曲シリーズ @サントリーホール(2日目) 7/19

【マイスターと日本の聴き手との相性は?】

コルネリウス・マイスターについては、私はいくつかの録音を聴いて、質のよい指揮者であるという判断を下していたものの、これまでオペラを含む数回の来日は演目などの関係で、私の気を惹くものではなかったので、生演奏に接するのはこの日が初めてとなってしまった。読響には2014年の客演が初めてであったが、それがきっかけとなったのか、下野竜也の後任として、読響の首席客演指揮者の地位に就くことが今公演の直前に発表されている。注目の若手指揮者マイスターは、楽団トップのカンブルランとも縁が深く、シュトゥッツガルト州立歌劇場のGMDの座をも彼から襲うことになっている。この地位でうまくやれば、読響もカンブルランからの禅定というシナリオが見えてくるのかもしれない。

今回の演奏については、私は後述のように高く評価するものだが、日本の聴き手の傾向を考えると、いささか心配な面もなくはない。例えば、同タイプのクシシュトフ・ウルバンスキは紛れもなく傑出した発想をもつ、現代の鬼才であるが、東響におけるパフォーマンスへの評価は必ずしも熱烈なものばかりでなく、条件付きの控えめな許容を示す人も少なくないようだ。ウルバンスキも、マイスターも、彼らのやりたいことはハッキリとしている。ドイツでは、こうした指揮者が高く評価され、当たり前の音楽にも新鮮なものをもたらす音楽家として期待され、適当なポジションを得ているようだ。

だが、それは必ずしも、日本の、聴き手の期待するものとはちがうのかもしれない。我が国のオーディエンスはどちらかといえば、オーソドックスなものへの親和性が強く、新しいものを積極的に評価するには時間がかかる。自分の発想にないものは、まず疑い深いものなのとなるからだ。面白いように、パッと取り入れることもあるのだが、それは例外的なケースであり、滅多にない。私はここで、同好の士を批判しているつもりはなく、自分もまた、その傾向にあることは認めねばならない。オーソドックスなものは、クラシック音楽のような伝統的な表現においては核となるものであり、それを重視する必然性はあるのだ。さて、マイスターの将来は・・・、というよりも、日本での評価はどのように変わっていくのであろうか。

【書き上げた小説としてのブラームス】

さて、ブラームスは「筋書きのない物語」みたいな自由さがあるが、交響曲第2番については竹を割ったような美しいフォルムが魅力であり、一見、誰がやっても同じような良さが出そうな作品だ。例えば、第4楽章を例にとると、テンポを普通に速くやるか、逆をついて遅くやるかぐらいのちがいしかないはずで、あとはオーケストラの性能とコンビワーク、そして、指揮者がひねるルバートの具合ぐらいの問題になってくるわけだ。それらの具合をどうするか、聴き手は判断材料が少なくて済み、それゆえにわかりやすいのである。マイスターはその点、もっとも大事な「筋書きのなさ」を放棄している。ガチガチにフォルムを決めて、よく練られた小説のようにしてしまうのだ。予定調和的と書く人もいたし、私もリアルタイムで同じ言葉を思いついた。小説はいちど書き上げてしまったら、もう何もできないものだし、勿論、音楽のように、演奏によって変貌することもないだろう。多分、マイスターの音楽は100回やったら、100回とも同じような結果が出ることを目指しているはずだ。あとは、読者のほうが変わってくれることを期待するしかない。

正直、読響がこの若者をポストに就けようと思ったのは、意外なことだと思った。なぜなら、このオーケストラのプレイヤーたちは自由で、挑戦的なアンサンブルをつくる志向が強いと考えていたし、それに相応しい高いアンサンブルの能力を身につけようと努力しているかのように、見えていたからだ。

それでも徐々に演奏が進んでいくと、この小説は何度、読み返してもきっと面白いだろうという確信をもつに至った。かなり意外なところに力点を置き、聴き手を笑顔にしてくれる瞬間もある。例えば、これから打ち揃ってユニゾンに入ってクライマックスを迎えるというところで、その直前のバラバラの状態を強調してみたりするのだ。ブラームスはユニゾンや、オクターヴを隔てたユニゾンを比較的、意識的に狙ってつかう作曲家だと思われる。それは民族糾合の象徴であり、時代的な思潮に沿ったものでもある。アンチ・ブラームスな人からみれば、そうした紋切り型に嫌悪を抱く場合もあろうか。それはそれとして、マイスターはそうなってしまったあとの状態よりも、中心へと向かって凝縮していく直前の、響きや機能がまだ離れている、ギリギリの状態を強調すべきだと考えたようだ。これは紋切り型とはちがい、愉しい発想ということができる。

もう書き上げられた小説として読んだときに、ブラームスの音楽がどのように聴こえてくるのか、マイスターの実験はなかなかに興味ぶかいものであった。

【鮮度の高いベートーベン】

ブラームスの曲目については、それでもガリガリやる部分があまりにワイルドな印象を残し、多少、粗削りだったことも否定はできない。私はこの曲を聴けば、大体、指揮者の善し悪しは見当がつくと思っている。マリン・オルソップや、マイケル・ウィグルスワースはみるからに落第点だった。エリシュカはもちろん、素晴らしい出来だった。この基準でいえば、マイスターは一応、合格のレヴェルに入ってはいる。だが、彼の指揮する場合、先述のようなアンサンブルの地がもろに出てしまうのは避け得ないことのようで、誠実なパフォーマンスに感心はしても、こころから感服するような印象をもたらすことはないのだ。そして、マイスターはあまり地をつくるスペシャリストとはいえないかもしれない。読響は古典派の素養が必要な演目においては、まだ、ときに課題が多いように見受けられ、そうした課題は簡単に克服することはできないものだ。

その点で、前半のべートーベンは私の発想を芯から転換してくれた、ウルバンスキの「英雄」と甲乙つけがたいほど、発想の勝利を印象づける成功を示していた。有名なニ長調のヴァイオリン協奏曲を弾いたソリスト、バイバ・スクリデはミッコ・フランクが東響に出演する予定だった際、体調の問題で、練習だけをつけて本番を振れなかったときに、シベリウスの協奏曲を弾いた独奏者と同じだった。当時の感想が素晴らしい印象として残っており、10年ぶりに聴くのを楽しみにしていたはずだが、当日、彼女が誰か、本当は忘れていた。イザベル・ファウスト?ユリア・フィッシャー?そんな名前が浮かんでは消えたが、もしも同じようにドイツ人で、それらしい名前だったなら、もっと高い評価も得られたにちがいない。あとでプログラムを覗き、ハッと胸のつかえが下りるようだった。あのときの彼女が、本当に美しい音楽のガーディアンとして、大成してくれたことを知り、こころから嬉しく思った。

弱音の美しさに溢れ、これほど繊細なフォルムで縫い合わされた演奏は、どのような録音にも残っておらず、正に新しいものを聴いた感動で一杯だった。スクリデの発想を生かし、マイスターも昨今のピリオド・アプローチから、なんとなく勢いでいってしまうようなところを全部、優雅にコントロールして、単純にロマン的でもないし、流行りのバロック風でもない。超バロック的、もしくは、ハイパー・ロマンティックなパフォーマンスに仕上げていたのである。第1、2楽章が遅い場合、第3楽章が速いという演奏はコンペティション等ではよくあることで、予想の範囲内だった。スクリデのつけた弱音の解釈に、すべてスコアから来る根拠があるのか尋ねてみたいところだ。第3楽章は遅くも、弱くもなく、そのなかを前2楽章と同じクオリティで、見えないトンネルを潜るように表現を伝えていくあたり、息を呑んで聴いていた。

この日のメイン・プログラムは、ベートーベンだったのかもしれない!

スクリデは多分、当代を代表するヴァイオリン奏者のひとりとして、既に地位を築いている。彼女は母国ラトビアの首都リーガで基礎を習い、ドイツのロシュトックでペートル・ムンテアヌ教授の手解きを受けたというが、その音楽がアカデミーで習ったものとは全くの別物であることは明らかだ。想像するに、彼女は自分と共演する指揮者や、アーティストからより多くのものを受け取ってきた。コンペティションで活躍する時代がピークになってしまう才能の持ち主もいるが、彼女はある程度、プロとして身を立てたあとも、自らの奏でる音楽の磨き上げをいっそう厳しくしたにちがいない。当夜の彼女は良い意味で、昔、聴いた彼女とは別人になっていた。

【最後に】

マイスターと、スクリデの成長力は同じくらいかもしれない。彼はまだ若く、1980年生まれの30代半ばを過ぎたばかりの新鋭であるが、私はそのポテンシャルに疑いをもたないのである。そして、彼がスクリデと同じように、従来は想像も及ばなかった鮮度の高い表現を、本場ドイツの最前線から届けてくれることは間違いない。その役割は、カンブルランと共通している。あとは、我々の問題なのかもしれない。

なお、この日のコンサートは2曲構成だが、ともにニ長調で書かれているという共通性があった。

【プログラム】 2016年7月19日

1、ベートーベン ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 (vn:バイバ・スクリデ)
2、ブラームス 交響曲第2番 ニ長調

 コンサートマスター:長原 幸太

 於:サントリーホール

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