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2017年1月15日 (日)

現代音楽演奏コンクール 「競楽XⅡ」(本選) 12/16 

1945年以降の室内楽作品(クラシック音楽)で、そのパフォーマンス、演奏家としてのセルフ・プロデュース・スキルを競う「競楽ⅩⅡ」の本選会を聴いてきた。「競楽」はいわゆるコンペティションの一種ではあるものの、若手音楽家の発掘やプロデュース、教育的な効果や、音楽家どうしの交流をテーマとした一般的なものとは、いささか毛色がちがうものだ。私はこのコンペティションは、既にコンペティションのクラスからはみ出た、優れて個性的な表現意欲をもった音楽家たちの限界と可能性を問うものであると認識している。それは過去の入賞者、参加者をみれば一目瞭然であり、例えば、いま話題性の高い作曲家で、ピアニストの新垣隆も、第4回にヴァイオリンとのデュオで参加して、審査委員特別奨励賞を授かっている。

初期は弦楽四重奏を中心に、アンサンブルでの参加が多かったようなのに対し、近年の傾向はソロでの参加がほとんどで、せいぜい伴奏付きのデュオというところが、ある意味では現代的であろう。演奏家どうしの横のつながりが表面的なものに止まっていて、こうした機会に一緒に目標をつくって取り組むということが難しくなっているのかもしれないと思う。第12回はとうとう、すべての本選参加者がソロとなった。もっとも、録音を用いた作品を扱うことによる擬似的な室内楽作品の演奏割合は高く、自らの楽器一本で徹頭徹尾やってみるというわけでもなかった。

コンペの方式については、前回からセミ・ファイナルが排されて、予選からなるべく多くの参加者が本選に臨んで、一般の耳に聴いてもらえるようにしたが、これは今回も継続されている。その結果として、第11回は高いレヴェルの奏者が本選で多く聴ける結果をもたらしたが、今回はやや弊害が出て、参加者のレヴェルに差が出てしまった。一方で審査委員の構成をみると、前回はすべて作曲家であったのが、今回は2人の演奏家が加わっており、これは公平な審査という観点ではプラスに働いたのではないかと思う。

このページでは、多少の差はあったものの、各参加者の独立した表現意図に配慮して、ときに簡単であっても、できるだけ、ひとりずつを評していくことにしたい。

【S2:林 賢黙 pf】【R4:鈴木 友裕 pf】

最初の2人のピアニストは残念ながら、このコンペティションに相応しい実力を備えていないように思われた。林は、湯浅譲二の『内触覚的宇宙Ⅰ』とピエル・ヨドロフスキ(Pierre Jodlowski)の”Serie Noire”(リンク先:冒頭の破裂音に注意)を弾いたが、前者はそこそこの出来で弾いており、演奏に必要な技能が備わっていることは間違いない。Jodrowskiの作品はテープの音声にあわせて演奏される作品だが、作品自体、かなりアクの強いフィジカルな特徴をもっている上に、会場のけやきホールには埋め込みで性能のよい再生装置が備わっており、そこからホール全体に広がる大きな音と、細工されたピアノから発する生の音量のバランスが悪く、パフォーマンスが緩く感じられてしまう。鈴木はブーレーズの”Incises”と、メシアン『鳥のカタログ』からの構成だったが、申し訳なくも、あまり印象がない。2人とも自分にあった曲目とは思えず、功名心が先に立った構成が感じられた。

【Q2:安曽 絢香 pf】

安曽からが、この大会の本番とみても差し支えない。彼女はリゲティの2つのエチュード集から、6曲を選んでの演奏だったが、時間ぎれの鈴が鳴らされ、予定された演奏を終えることはできなかった。ひとつひとつの作品に深い思い入れがあり、コンペティション特有の緊張感もあって、たっぷりと間を置いて演奏していったこと、中には驚くほどテンポの緩いものがあった点で、そのような予想外の事態が生じたのであろう。しかし、演奏自体は清楚なもので、リゲティのイメージを広げるような可能性を示していた。演奏が打ち切られたときには、フロアからそれを惜しむ雰囲気が感じられた。

【R2:小倉 美春 pf】

小倉は、石島正博の”REQUIEM”を演奏した。曲目に対する解説はないが、2011年の作品で、レクイエムということから、東日本大震災と大津波に関する作品であることは想像に難くない。あとで調べたところ、案の定、作曲の石島は津波の被害が大きかった石巻の出身であるようだ。

レクイエムとはいうものの、一貫してドラマティックな悲劇性がうたわれているわけではなく、衝撃的な音やアタックといったものも、そう際立たない。月夜、静かになった波の底から人知れず響いてくるような感覚が感じ取れる部分が大半で、「現代音楽」としては珍しくない「普通」の風景のなかに地震や津波を思わせる悲劇的な象徴が置かれるにすぎない。小倉の演奏はいっそう美しく、優しい表情で響き、作品が正に、作曲家にとっての日常から生まれたことを想像させるのだ。彼にとっての「日常」を継続するように、冷静に構成されているところをみると、かえって、この曲をつくらねばならないと考えてから、完成に至るまでのこころの葛藤が聴こえてくるようだ。あのようなことが起こり、地元の作曲家としてなにかしたいという使命感とは裏腹に、当時、よく言われた日常の大切さというのが、作品のなかで鬩ぎ合っている。そして、実際にあの地震や津波も無論、人々の日常のなかに突如として、入り込んできたのだ。

小倉はこの作品と、シュトックハウゼンの”KlavierstuckXⅣ”を組み合わせた。当然だが、これら2つの作品に直接的な関連性はみられない。しかも、この作品は録音音源とあわせる複雑な構造を有している。小倉はそうであっても、最初の作品を背負って、あとの作品を演奏するという意図を明確に示した。シュトックハウゼンは2007年に亡くなっており、将来、日本で起こる悲劇を知る由もないが、石島作品がつくるパズルの形に合わせて、シュトックハウゼンの音楽が見事に嵌まっていくのをみると、思わず鳥肌が立った。最初の衝撃が去ると、小倉のつくる音楽も次第に、また日常の響きへと還元されていく。しかし、私たちはあの打ち震えた想いについて、忘れはしないものだ。見事なパフォーマンスだった。

小倉と彼女に協力した音響エンジニアは、録音音源を用いたコンテスタントが複数いるなか、自前の音響機材を持ち込んで、演奏者本人がなるべく馴れている音響で演奏する環境を準備した唯一の存在となった。まったく異なる素材を組み合わせて、神秘的なパズルを完成させ、それらの演奏を自らの個性に合わせた優しげなものとして表現したことのほかに、既知の音響環境を利用して、緻密に構成していった演奏パフォーマンスを、本番の会場で見事に再現させた点も、彼女に対する評価につながったものと思われる(第2位を獲得)。

【T1:井上 仁美 mba】

このマリンバ奏者も魅力的だったひとりだ。近年は、若い女性のマリンバ奏者が次々に評価されてきているが、井上の場合は、まず透明で、まっすぐな音楽性に驚かされる。パフォーマンスは三木稔『マリンバの時』がメインとなり、イヴァン・トレヴィーノ(Ivan Trevino)の音響テクノロジーを使った作品が花を添えた。三木作品は弱奏の美と、衝撃的なダイナミズムがキーとなる作品で、あとで探してみると、動画もたくさん見つかる。マリンバの少ないレパートリーのなかで、よく知られたもののうちに入るのであろう。井上の演奏はダイナミズムの面では、なるべく薄く、ナチュラルな層をつくり、聴き手の集中力を拡散させない知的な表現である。

トレヴィーノの作品は、これも動画でいくつか確認できる。井上はヘッドセットのイヤホンをつけて演奏していたが、多分、自分の叩いた音の一部が電子的増幅され、それとのリアクションで構造をつくっていく最初のパートと、ムーディな録音伴奏と、マリンバ奏者がスポーツ的に対話していく2つのパートで構成されている。最初のパートは集音マイクに伝わってくる音響が、その人の叩くスタイルによって、若干揺らぎ、その点で個性のちがいが出る点で面白みがある。井上のパフォーマンスは三木作品で示したような素直さが効いており、総じて魅力的なのだが、背景音そのものに深い個性があり、それと張り合うだけの奏者のアイデンティティが示せていたかについては疑問も残るところだ。この印象には先に述べたような、音響機材との関係もあり、彼女が普段から馴れている環境を準備することで、彼女らしい繊細な表現をより完成に近づけることもできたのではないかと思う。

井上の器用なマレットさばきや、ナチュラルなトーンは既に完成の域にちかい。しかし、まだ教わってきたことを、丁寧にこなすとみえる点も若干だが、消えてはおらず、さらに演奏家としての個性を増し、ときに玄妙な雰囲気も加わってきたときには、替えの効かない特別な奏者にもなれるのではなかろうか。

【E3:井上 ハルカ s-sax】

井上ハルカは、サックス奏者である。彼女についても事前に動画をみることができ、かなり高い評価で臨んだのだが、この日の実演ではやや下方修正となった。最初のジェルヴァゾーニの作品は、冒頭のキー操作から意外な響きが出現し、開放的でメロディアスな用法が広まっているサックスの印象を大きく変える作品であり、そのことが井上の動画からも想像できた(よく探してみると、作曲家本人のアカウントで彼女の演奏がアップされているぐらいだ)。だが、当日のパフォーマンスは衝撃的な場面が日常のなかに溶けてしまい、全体のなかに強く位置づけることに成功していたとは言い難く、狙ったコントロールを得られなかったのではなかろうか。

動画のなかにいる彼女は、もっと柔らかく、サックスのもつ多彩な表情を自由自在に引き出している。ところが、その同じ井上ハルカが、随分と縮こまって見えてしまったのだ。これほどの才能の持ち主にして、意外というほかない。コンペティションのパフォーマンスと結果は流動的なものであり、ジュリーとの相性、演目の選び方(課題曲の内容)、精神状態、それに体調等によって大きく左右される。この日は彼女にとって、良い日ではなかった。オーディエンス賞の獲得も、楽器の人気に負うところがつよいかと思う。

【U1:古川玄一郎 perc】

古川玄一郎は前回の「XⅠ」に出て、入選しているパーカッショニスト。福士則夫のマルチ・パ-カッションを組んだ技巧的な作品を、格闘家のような技のキレで颯爽とこなしていったイメージが残っている。今年も最初の作品は、マルチ・パーカッションを組んだシュトックハウゼンの『ツィクルス第9番』だった。古川のパフォーマンスは前回のものを含めて、硬軟織り交ぜた高い技巧を精確にこなすだけでなく、そこに人柄やユーモアを絡めていくものである。福士の作品は普通、クラシック作品のなかに取り込まれないジャンクなものを使ったところに面白みがあったが、シュトックハウゼンの場合は、「硬軟織り交ぜた」ところに特色があるといえるだろう。こんなに弱く打っても、はっきりと特徴のある音を出せるのかという部分が多いのだ。呆れるほどに繊細な、古川の腕(かいな)から手首、指先の柔らかさというのを、この作品では楽しむことができる。

一方、Matthieu Benigno,Alexandle Esperet,Antoine Noyer の3人共作による”Ceci N'Est Pas Une Balle”(これはボールではない)は、正にボールを使った大道芸のようなユーモアを放つ作品である。実際にボールは使わないが、宇宙人が落としたかのような、不思議なボールがバウンドし、飛遊し、跳ね返る様子がキッチュな音で表現され、それに相応しい動きをパーカッショニストがとることで、作品が構成されている。バウンド中やキャッチの瞬間などに、効果音を発したりするヴォイスやタップ・ワーク、ボディ・パーカッションを主体とした音響パフォーマンスと、コミカルな演技性、舞踊性を組み合わせたパフォーマンスであった(動画では複数人で演じるものもある)。この作品がクラシックな音楽作品としてみえるかは、なかなか微妙であろう。枠を決めて、そこから敢えて弾き出す理由もないが、あまりにもギミックが勝ちすぎている印象は拭えない。

もっとも、私はこの作品が大いに気に入ったから、そのように言うのである。この日のいくつかのパフォーマンスはある意味で、既存の音楽の形を問いなおすような作品が多かったこともまた確かなのだ。演奏家たちは、自分たちのやっている音楽の素晴らしさを信じながらも、また別のアクセスが、世の中との関係では必要ということを身を以て感じているにちがいない。

古川は結果的に、3位の評価を下された。前回「XⅠ」からは一歩の前進だ。彼をベンチマークにすると、この結果は2つの大会で、上位のパフォーマンスに関してさほど差はなく、同様に優等であるという分析が成り立つだろう。もしも2つの大会で大きく差があるなら、いつも自分の能力を精確に発揮できるらしい古川が1位、2位で評価されることが当然だからであり、それにもかかわらず、今回、彼はポジションを1つ上げたにすぎなかったからだ。

【E4:鈴木 あや fl】

鈴木あやは、日本の作曲家であり、フルーティストとしても草分け的存在である福島和夫の『冥』を吹いたことで、まず話題になるだろう。審査委員の講評にもやはり、そのことが話題に出ていた。多分、鈴木の指導者が福島作品を大事にしており、そのまた弟子が自分にとって大事な場所でこれを演奏した・・・という雰囲気が想像され、いわば献奏的な雰囲気で始まった。

2番目のイアン・クラーク(Ian Clarke)は、主にフルート作品で数多くの精華を放つ作曲家と思しき人物で、フルート奏者にはよく知られた存在であるようだ。この”The Great Train Race”は正に題名どおりの、空想的な描写性をもった作品で、フルートという楽器をもつ個性を目一杯に詰め込んだユーモア小品だ。鈴木のパフォーマンスは、この作品のもつワイルドな特徴を表現するには、あまりに大人しかったというべきだろう。この2曲のパフォーマンスで印象づけられた、巫女的な鈴木のキャラクターは決して、この場で有利に作用しなかったと思われる。マグナム・トリオで活躍する多久潤一郎の『虹』も、その神秘的で、カラフルな特徴を完全に生かしきっていたとは言い難い。

しかし、私は彼女のパフォーマンスからネガティヴな印象ばかりを受け取ったのでは決してないことは明言しておくべきだ。どのような曲でも、まず自らの想像し得るレヴェルに裏返して、身近な表現に作り替えるという感覚は無駄なものではない。その道をさらにきわめて、作品を根本から作り替えるようなパフォーマンスに昇華させていくことができれば、ようやく彼女らしい個性を確立したということになるのだろう。

【T2:西村 薫 cl】

申し訳ないことだが、あまり印象ぶかいパフォーマンスではなく、憶えていない。

【D5:永野 雅晴 perc/S.Dr】

スネア・ドラムで予選を勝ち抜いて、注目された永野だが、1曲目は敢えて、マルチ・パーカッションの作品に取り組んだ。北爪道夫の『サイド・バイ・サイド』はコンガやボンゴを中心に(リンクの池上英樹はジャンベを使用)、足で操作する大太鼓を組む比較的、小規模なセットで演奏される作品だが、元来はオーケストラと共演する作品だったようだ。永野は若さからくる野心よりは、どこか謙虚さを感じる人柄が滲み出ていて、このような作品でも、ひとつひとつ丁寧にテイスティングをしながら、慎重に仕上げていくクオリティを感じた。

しかし、やはりスネアの作品が得意のようで、2曲目のケイシー・カルゲローシ(Casey Cargelosi)の”Tap Oratory”のパフォーマンスが優れていた。この作品はバックに流れるパッチワーク的なクラスタ音源に合わせて演奏していくもので、組太鼓のように、外見的なスティック・ワークも組み込んだ自由なクオリティをもつ作品だ。多彩な作品であるだけに、スネア・ドラムのもつ生の響きの味わいが、それらの音彩のなかで、どれだけ本質的なものとなり得るかが課題である。その点において、永野のパフォーマンスは文句なく、水準点を超えていた。動画をみると、この作品は多く取り上げられているが、ライヴ・パフォーマンスというよりは、効果をかけて、加工した音響として披露されることが多く、今回のように、スネアの響きをむしろ前面に押し立てて演奏する例のほうが珍しい。

永野は現時点で、まだ大人しい印象があるものの、彼のパフォーマンスから得るインスピレイションは決して小さくない。彼が入選となり、入選・入賞の4人のうち、2人がパーカスによる大道芸人的パフォーマンスだったことは、なんだか微笑ましいような気がした。

【D3:中山 加琳 vn】

競楽ⅩⅠでは、レヴェルの高い奏者が集った上で、最終的に、弦楽器の奏者のレヴェルの高さというのが、やはり目についた結果となった。どの楽器にもうまい人はいるが、もっとも多くの人が習う弦楽器で、上澄みのほうの演奏家は、本当に半端ではない実力をもっていることを証明した。それと比べると、中山は際立っていない。

演目は近年、世界的に注目されている若手の作曲家=藤倉大と、その師で、本年に亡くなったブーレーズとのコンボだった。注目の藤倉作品”Samarasa”はサンスクリット語で「こころの平衡」を意味し、機敏に動く部分もあるが、私としてはチベットや原始仏教のイメージからくるものと感じられる、大部分で動きの少ない音楽を中心的なフォルムとしている。1曲目は緊張もあり、すべてのアクションがもっさりと、緩く聴こえ、作品のもつ個性的な味わいを出すには至らなかった。そこへもってくると、2曲目の”Anthèmes I”でようやく本領を発揮したが、それまでの印象をすべて覆すほど、インパクトのあるパフォーマンスもなく、この作品がもつ不思議とふくよかな音響的特質を感じさせる点でも不十分だった。

【C1:鈴木 真希子 hp】

鈴木は、3つのプログラムを上手に結び合わせたことで評価され、優勝を勝ち取った。もっとも、私の個人的な評価としては、4-5番手である。ハープも近年、女性の若い奏者に高く評価される人が多く出て、国際的に活躍するタレントも出てきた。そのなかで鈴木の技巧的な面だけをみると、この日のパフォーマンスを見る限り、圧倒的なものではないように思えた。もっとも在学中にアンサンブル・アンテルコンタンポランのアトリエに出入りしたという経歴が示すように、既に折り紙付きの実力者ではあろう。ベリオの『セクエンツァ』という各楽器にとって、不朽の名品を基底に置きながらも、ベッツィー・ジョラス(Betsy Jolas)、棚田文紀と、世代にとらわれない幅の広い選曲を、ひとりの奏者のインスピレイションによって、うまくまとめ上げていた点が印象的だった。

ジョラスは1926年生まれと年齢を重ねているが、今度のことをきっかけに勉強しなおしてみると、燻し銀のキャリアを築き、近年、再び注目を集めつつある女性の作曲家ということになりそうだ。自身はミヨーやメシアンの弟子のひとりで、母校のパリ音楽院では後進の指導にも貢献した。我々に身近なところでは、野平一郎の作曲の師でもある。自由なイマジネイションをもつ彼女の作風を一言で表現することはできないが、岡本かの子の小説の題名に寄せていえば、「生々流転」である。弾け飛ぶような生気溢れる曲調。鈴木の演奏が、その個性に勝っていたとは思えないが、同じ姓をもつコンテスタント=鈴木あや(福島和夫)と同様に、その作品を取り上げた時点で、まず加点が貰える(具体的な加点はなくとも、つよく印象づけられる)というような要素もあったのではないかと想像する。

棚田文紀は50代の作曲家で、フランスを拠点としている。今度の競楽でも2人のコンテスタントが取り上げているように、演奏家から寄せられるフィーリングの良さに定評がありそうだ。棚田の作品は母国で取り上げられることは稀だが、ベリオの『セクエンツァ』と同様、この”Mysterious Morning”のシリーズも、いろいろな楽器のために書かれている(サックスの井上も、Ⅲを演奏した)。ハープのための’Ⅰ’は、いかにもフランスらしい涼やかな質感のある、彩色ゆたかで、穏やかな作品である。例えば、グサヴィエ・ドゥ・メストレなどが弾いてくれたら素晴らしかろうと思うイメージだが、鈴木はやや硬質なところに美点があって、その点とのマッチングで私は評価しなかった。

【審査順位まとめ】

第1位 鈴木 真希子 hp
第2位 小倉 美春 pf
第3位 古川 玄一郎 perc
入 選 永野 雅晴 perc
聴衆賞 井上 ハルカ s-sax

【アリスの評価】

第1位 小倉 美春 pf
第2位 古川玄一郎 perc
第3位 永野 雅晴 perc/S.Dr
第4位 鈴木 真希子 hp
タ イ 井上 仁美 mba

いずれにしても、上位5-6人は、個人のリサイタルに行っても、かなり面白い体験をさせてくれることが請け合いである。室内楽なども含めて、幅広い活躍に期待したい。

 於:古賀政男音楽博物館(けやきホール) 2016年12月4日

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