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2017年4月10日 (月)

古楽アンサンブル コントラポント with ヴォーカル・アンサンブル カペラ モンテヴェルディ ミサ「イン・イロ・テンポレ」 ほか 3/17

【概要】

クラウディオ・モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』、通称して『ヴェスプロ』は、古楽の演奏家や研究者、愛好家にとっては、特別な意味をもつ大曲である。歴史的にも音楽の系統の「汽水域」に位置し、その原点において圧倒的な新しさを示した、作曲家の物凄さを象徴する作品である。宗教的な興趣に基づく純粋な感動、多様で味わいぶかい独唱および合唱と、器楽のゆたかなヴァリエーション。楽器構成の今日にはない特徴と独特の魅力を含めて、この作品を知って、深く愛さない人はないというほどである。

ところで、「フォンス・フローリス」はグレゴリオ聖歌と、ルネッサンス・バロック期の音楽を真摯に学び、その普及のために実践をつづけてきた団体である。合唱およびアンサンブルと、定期的な古楽講習によって結びついてきた集団は各専門を絞り、いくつかのグループに分かれて、ここ数十年もつづけて活動してきた。古楽アンサンブル「コントラポント」は2015年に自身の結成10周年を祝う形で、ヴェスプロの公演を繰り広げ、最新技術のハイレゾで録音もされた。この噂は、私の耳にも入ってきている。それ以前から、このグループの活動のどれかに接する機会を伺ってもいたのだが、多少はマニアックなところのある私にとっても、彼らの活動はやや専門的な趣を示しており、タイミングもうまく合わなかったことで、「延期」がつづいてしまった。2年後の今年、モンテヴェルディの生誕450年のアニヴァーサリー・イヤーにあわせて、彼らは5月に『聖母マリアの夕べの祈り』再演を控える。その公演に先駆け、同じ作曲家のミサ「イン・イロ・テンポレ」を中心とする公演をおこなったのを、ようやく聴きにいくことができた。

題名の「イン・イロ・テンポレ」は、「そのときに」という意味になる。「(そのとき、)イエスがこれらのことをお話しになっていると、ある女性が群衆の中から高らかに声を上げるのが聞こえました。『なんと幸いなることでしょう。貴方を宿したおなか、貴方が口にされたという乳房は!』。そこでイエスは仰います。むしろ、幸いなのは神のお言葉を聞き入れ、それらを守られる人のことであると」。イエスの言葉から、マリアに対する深い共感(敬意)の意味がこめられているのは明らかで、ヴェスプロと同じテーマをもっていることが理解できる。また、ヴェスプロは聖務晩課であり、ミサ曲である「イン・イロ・テンポレ」が対になっているのも理に適っているというわけだ。

なお、このミサ曲はヴェスプロと同じ曲集に収められて出版されたが、形式的にはまったく対照的であるという。当時の先端エリアであったフランドル地方から伝えられてきた、旧来の手法を以て書かれ、ヴェスプロのもつ革新的なイメージとは対を成していると彼らは言う。これが真実ならば(真実であろう)、いわばミサ「イン・イロ・テンポレ」を踏み台として、モンテヴェルディは従来、規範的とされた音楽を超克し、ヴェスプロのような新しい世界へと踏み出していったことになるのだろうか。モンテヴェルディは一方では、オペラという新しい表現形式も確立している。無論、オペラはモンテヴェルディの独創ではないだろうが、その確立期において、今日まで残る『オルフェーオ』『ポッペアの戴冠』『ウリッセの帰還』といったエポック・メイキングな作品を次々に生み出すことで、その名声を不朽のものとした事実は変わらない。

【時代全体を浮かび上がらせるミサ形式】

今回のミサ「イン・イロ・テンポレ」の公演は組曲的に作品を割り、実際のミサの形式に合うかたちで配置して、グレゴリオ聖歌や同時代イタリアの作曲家の作品などと組み合わせることで、その時代そのものを浮き上がらせようとする意図をもっていた。教科書的にみる「古さ」や「新しさ」と、今日、改めて耳にする音の感覚は異なっているときもある。2つの作品を聴いた人が、ヴェスプロよりもミサ「イン・イロ・テンポレ」のほうが古い形式に基づくと直ちに(耳だけで)判別できるわけではなく、むしろ、聴き慣れない古い響きのほうが現代的で、新鮮なものと思える場合もあるものだ。例えば、現代に流れている音楽こそが「新しい」ものだと判断する基準を採るならば、むしろ、グレゴリオ聖歌が圧倒的にモダンなものと判断されるかもしれない。

また、確かにモンテヴェルディは歴史的な偉人にはちがいないが、それと同時に、今日、さほど広く名前を知られているとはいえない作曲家であっても、当時のイタリアにはそれと匹敵する鋭い表現力をもった音楽家がたくさんいた。彼らにとって、音楽は現代人からみたら、とても想像がつかないほど大事なものであって、それだけに、その表現はどれも命がけで、隙がないものになったのだと想像する。優れた作品は、たった数秒で聴き手に涙させるようなものをもっているのだが、この日の演奏会では、そんな体験が幾度も訪れることになったのだ。そのような時代であればこそ、モンテヴェルディも現れることができたのであろう。

この演奏会は、「コントラポント」から器楽奏者が5名(ヴァイオリン、コルネット、ドゥルチアン、リュート、オルガン)が演奏に参加し、ヴォーカル・アンサンブル「カペラ」が合唱を担当した。大編成によるよりも、この程度の構成による室内楽的なパフォーマンスのほうが、演奏の素晴らしさは顕著に感じられる。もっともミサ曲はアカペラ合唱によるものであり、この公演は一応、「コントラポント」の第23回定期演奏会となってはいるものの、実質的に中心となるのはカペラのほうだった。いずれにしても、これらのグループの指導者は花井哲郎氏であり、彼の関わってきた活動の集大成ともいえる。ヴェスプロはそれ自体で偉大な作品だとしても、今回のミサのほうがより広範な関係性を構築でき、ミサを構成する他の曲との組み合わせによって、知的な変容を起こすことができる点で、殊の外、興味ぶかいものとはなった。私はこのグループによるヴェスプロの演奏を聴くべきだと感じていたが、ミサ「イン・イロ・テンポレ」を聴いた今では、そちらの方が余興のように感じられなくもないほどになった。それほどに、今回のプログラム構成は、恐ろしいほどに決まっていたのである。

【グレゴリオ聖歌からクレドへ】

まずは、器楽のみでフランチェスコ・ロニョーニの『ソナタ第2番』によって幕が開いた。早速、まったく知らない作曲家だった。彼は1570年頃の生まれで、ミラノ宮廷で活躍した音楽家の家系に属していたようだが、その活動範囲はイベリア半島や東欧にも及んでいたという。深く包み込むようなバッソとヴァイオリンの出だし数秒で、私は早くも釣り込まれた。その上に、上野訓子の吹く素晴らしいコルネットの響きが重なる。このコルネットの響きは、圧倒的に輝かしい音響をもつ会場の東京カテドラルマリア大聖堂(正式には、カトリック東京カテドラル関口教会マリア大聖堂)とは母子のように響き合う親密さで、演奏前にちょっと響いただけでも、周囲から「素晴らしい・・・」という嘆息の声が漏れてきたほどのものだ。弦の丹沢広樹という名前は不明にも、聞いたことがなかったのだが、日本にこれほど瀟洒なヴァイオリン弾きがいるとは畏れ入った。ロニョーニの音楽は技巧的なパッセージでも、ゆたかで情感に満ちた歌唱性に基づき、胸に刺さる響きをもっていた。

2曲目でカペラが立ち上がり、グレゴリアン・チャントで入祭唱『めでたし、聖なる産みの母』を歌う。ソナタでオルガンを弾いていた花井が、コーラス・グループの音頭もとっていた。ただ、このグループの歌唱は変わっており、大きな楽譜をやや高めの譜面台に掲げ、密集した声楽アンサンブルがそれを仰ぎみながら歌うかたちになっていた。指揮といっても手もとで拍子をあわせる程度のもので、声楽家たちは時々、手を揉んだり、擦り合わせてお祈りをするような仕種で、リズムをとっていた。こうした隊形での歌い方は当時の絵画などに残るものを模したものということであり、中世のコーラスを体験した人などにとっては、特に珍しくもないのだろうが、少なくとも私にとっては初めての体験だ。「コワイヤブック」と呼ばれる大判の楽譜は恐らく、当時、まだ紙が高価で、印刷術も発展していなかったことから生まれた知恵と思われるのだが、グレゴリアン・チャントのような限られた声部をうたう場合には、この密集隊形も歌唱的にメリットが大きいことも推察されるだろう。そして、リズムの取り方などを含む歌う雰囲気そのものが、彼らの表現を構成しているのは疑うべくもなかった。

私の場合、グレゴリオ聖歌を生音で聴くことさえも、実は初めてだったかもしれない。グレゴリオ聖歌には単純素朴なイメージがあるが、必ずしもそれだけでなく、歌詞を鮮やかに描写する表現に美しさを感じるものだ。その意味では、既に「うた」としての複雑な表情づけが存在し、単純だからこそ、むしろ、難しいコツのいる歌いまわしが隠れているという風にいえそうである。グレゴリオ・チャントからさほど間を置かず、いよいよモンテヴェルディのミサ曲「キリエ」に突入するが、その移行は驚くほどスムーズであった。しかし、それはカペラのような優れたグループだからこそできた演出であり、よく伝わる空間の味わいを生かしながら、しんみり、ゆったりと歌っていくスタイルが決め手になったといえるだろう。また、情念を赤々と燃やし、内々には熱く秘めながらも、よく抑えて、暖炉に火を閉じ込めるような響きが独特の膨らみをもたしていたのかもしれない。

キリエからグロリアは、同系列の表現が貫かれている。しかしながら、グロリアともなれば、グレゴリアン・チャントとは異なる特徴がみえてきた。モンテヴェルディはこの作品で歌詞の繰り返しは採らないが、その構成を螺旋状にクラウドな構築として、聴き手が努力しなければ聴き取れないような音楽をつくることで、新しい音楽のコミュニケーション、それまでにない芸術的な地平を開こうとしていることは明らかだった。宗教曲ではしばしば繰り返しが大きな意味をもつが、モンテヴェルディのこのミサ曲では、歌詞を追いあうような構造はあるものの、一応、一回的にまっすぐと進行する。このあと、ダリオ・カステッロのソナタ第10番が器楽で差し挟まれ、再びグレゴリアン・チャントで、アレルヤ唱「エッサイの若枝が花開き」が歌われたあと、壮大なクレドの歌唱が切り開かれて、一旦、休憩となる。

クレドは、すなわち信仰告白であり、ミサの言葉による典礼を締め括る大事な部分となっている。どのミサ曲でも、作曲家たちはこのクレドにおいて腕を競い、より神秘的に、鮮やかな響きをつくることに身上を賭けているようにも映るほどだ。モンテヴェルディにおいても、1曲のミサ「イン・イロ・テンポレ」の核心となるべき深みを示し、言ってみれば、そこだけが圧倒的に複雑であり、あとの部分はグレゴリオ聖歌からストレートにつながっているようにも感じられるシンプルさを示している。このことの宗教的、音楽的な意味を論じるのには、私にはいささか材料がなく、割愛するしかないのは残念だが。

【カテドラルについて】

休憩時には、カテドラルのなかを歩いて1周してみた。ここの教会は、東京におけるカトリックの司教座教会で、ほかとは別格の権威があり、敷地も広大で、建物は豪華絢爛だ。信仰に必要と思われる全ての施設があり、割礼を行う場所や、聖職者が告解を聞く場所もあった。いくつかの見事な偶像がみられ、カテドラルの名称どおりにマリア礼拝の空間もある。当たり前だが、こんな場所が日本にもあるのだと実感した。建物はモダーニズム建築家=丹下健三のデザインによる独特なフォルムだが、天井が高く、中央高所に設えられ、螺旋階段を上って演奏席に到達するオルガンの場所などをみても、設計時から音楽がひとつの重要なファクターとして位置づけられたことは想像に難くない。このような奇跡的な音響を実現する空間があることで、コントラポントやカペラの演奏もまた、何倍にも美しく響くことになるのだった。

【終結】

後半は、それまでの感動的な気分を一旦、掃き清めるような美しい器楽曲2つと、グレゴリアン・チャントによる叙唱から始められた。再びモンテヴェルディに戻り、サンクトゥス(+ベネディクトゥス)と、アニュス・デイは、前半と比べれば、寛いだ雰囲気が感じられる。繰り返さない直線的な構成は、いよいよ下り坂にさしかかって、勢いつけて進むようになった。グレゴリオ聖歌を挟み、第14番目に置かれたジョヴァンニ・アントニオ・ベルトリの作品が、このシーケンスのクライマックスを刻む。それはこの日のメイン・ゲスト楽器ともいうべきドゥルチアンのソロを、バッソが飾る作品である。このドゥルチアンとはファゴットの先祖に当たる楽器で、その説明はリンクを参照されたい。音が震えるコミュカルさと、サックスのような自由で広がりのある音色が特色で、ファゴットやバスーンもアジな楽器とはいうものの、それより表現の幅があるようにも感じられる不思議な魅力を秘めた楽器。それを演出する奏者は、鈴木禎という優れた音楽家で、この公演に出てくる人は誰も彼も、いちいちが名手なのであった。

カペラとコントラポントは見てきたように、両者が重なって共演する部分はなかった。しかし、グレゴリオ聖歌による閉祭唱から最後のロドリゴ・ダ・ヴィアダーナによるカンツォンに移行するところでは、一瞬、両者がコラボするムードを見せて、今度こそ、両者ともに向き合うことになるであろうヴェスプロの公演に向けて、残り香を残すようだった。終曲に選ばれたダ・ヴィアダーナの作品も、短いが、詩情が凝縮して印象ぶかく、この公演を締め括るには相応しい作品だったかもしれない。

【同時代の群像】

既に触れたロニョーニ以外で、この演奏会に登場した作曲家たちを、改めてまとめてみよう。ダリオ・カステッロはおおよそ1590年ぐらいの生まれで、モンテヴェルディと同じヴェニスの聖堂で活躍した。今回の演奏会ではソナタ・コンチェルタンテ集の第2巻から、前半に第10番、後半に第1番が演奏された。第10番はバッソ付きの激しいヴァイオリン序奏から、ドゥルチアンとの活気ある対話となり、中間にはレチタティーボを挟んで、後半は入り組んだ展開となる。荘重なテーマでも、ときに快活で、やや厚みのある音楽が印象的だった。グロリアからアレルヤを結び、音楽的な情感をゆたかにする役割を果たしていた。第1番は、コルネットとバッソのつくる穏やかなアリアだ。前曲のバッサーノの技巧的な作品とコンビを組み、休憩後の「第2幕」の音楽的風景を拡張する役割を果たす。序盤から目立っており、もはや驚きはないが、上野訓子の颯爽とした楽器のコントロールは、見事というほかなかった。まるで、この楽器が簡単に吹けるもののように錯覚するほどだ!

ジョヴァンニ・バッサーノはコルネットの演奏に通じ、ディミニューションと呼ばれる器楽演奏の(音の分割による)装飾的な奏法において大家であった人物とされている。「王はわたしを導き入れ」は偉大なるパレストリーナのモテットに基づくもので、今回はドゥルチアンがバッソに加わり、緊張感に満ちながらも穏やかなベースの上で、コルネットは野鳥が羽ばたくような細かい動きをみせる。後半の幕開けに使われ、朝陽が薄くさすような明るさを感じた。バッサーノの作品にはシンプルだが、味わいぶかい工夫があり、キルトのような温かみを内包する音楽を書く人という印象をもつ。

ジョヴァンニ・アントニオ・ベルトリは北イタリアから、ハプスブルク宮廷にも呼ばれて活躍した人物だという。ファゴットの名人であって、はじめてひとつの楽器だけで楽譜を出版した。前述のように、第14番目に置かれたソナタ第1番では、いよいよドゥルチアンの音色を心おきなく楽しませる趣向となり、好奇を喜ぶ聴き手としてもテンションが上がる。終曲に置かれたダ・ヴィアダーナは1560年生まれ、托鉢運動に加わった修道士のひとりで、かなり純粋な宗教家であったことが推測できる。イタリア各地で幅広く尊敬を集めただけでなく、中欧にもその影響を及ぼし、数字のついた音を左手で押さえ、右手を(即興的に)動かす通奏低音の奏法を確立した人物ということでもあるらしい。

こうしてまとめてみると、モンテヴェルディの同時代人たちも、その後の音楽の発展には欠かせない役割を果たしていたことが知られるだろう。そして、これらの天才たちとともに、モンテヴェルディはヴェスプロのような新世界を発掘し、また同時に、フランドル楽派以来の手法を刷新する両方の役割を果たしたのであった。当時としては、どちらが正しいかは、まだ判然としなかったはずだ。ヴェスプロが新しいのと同様に、ミサ「イン・イロ・テンポレ」もその分野における最新を更新していたにちがいない。

今日的にいえば、将来のOSはリナックスなどで新しくつくりなおすのか、あるいは、ウィンドウズの更新でいくのかというところなのであろう。当時におけるシリコンバレーはフランドルであり、ビル・ゲイツに当たるのが、この作品の原曲をつくったニコラ・ゴンベールであった。ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナの名前は比較的、よく知られているのに対して、彼らの間に位置すべきゴンベールの名前は今日、一般にはあまり通用していないようにも思われる(日本だけ?)。その原曲が、アンコールで演奏されたものだったらしいのだ。今度はカペラが横一線に広がり、普通の隊形で歌われたのにも意味があったのだろうか。ゴンベールの作品を聴くと、グレゴリアン・チャントと、イタリアの17-18世紀の作曲家たちの仕事の間に、より堅固な橋が構築されるような気がした。

そして、この演奏会全体は、モンテヴェルディとその時代から、私たちの時代へと渡された橋だったかもしれないのである。その橋はごく知的に・・・というべきか、ある意味では当然というような自然さで以て、架けられたものであった。その点で、この演奏会を構築した人たちが素晴らしいキュレーターであったことも知られるだろう。それぞれの作品は適切なところで、適切に選ばれて、適切に表現された。これが初めてだからといって、何の疑いを差し挟む余地があろうか。当夜の演奏は、世界のどこに出しても恥ずかしいものではなく、賞賛されるべきものであった。+αとして、この教会の雰囲気と最高の音響は一流のものを、超一流と聴かせる役に立ったはずだ。まったく贅沢な時間を過ごしたのである。近い将来、ここでヴェスプロが聴けるなら、それほど幸福な時間もあるまいと思った。

【プログラム】 2017年3月17日

1、F.ロニョーニ ソナタ第2番
2、グレゴリオ聖歌「めでたし、聖なる産みの母」(入祭唱)
3、モンテヴェルディ キリエ~ミサ「イン・イロ・テンポレ」
4、モンテヴェルディ グロリア~ミサ「イン・イロ・テンポレ」
5、D.カステッロ ソナタ第10番~『ソナタ・コンチェルタンテ Book2』
6、グレゴリオ聖歌「エッサイの若枝が花開き」~アレルヤ唱
7、モンテヴェルディ クレド~ミサ「イン・イロ・テンポレ」
8、G.バッサーノ 王はわたしを招き入れ
           ~『モテット・マドリガーレ・フランス風カンツォン集』
9、D.カステッロ ソナタ第1番~『ソナタ・コンチェルタンテ Book2』
10、グレゴリオ聖歌(叙唱)
11、モンテヴェルディ サンクトゥス(+ベネディクトゥス)~ミサ「イン・イロ・テンポレ」
12、モンテヴェルディ アニュス・デイ~ミサ「イン・イロ・テンポレ」
13、グレゴリオ聖歌「幸いな御胎」(拝領唱)
14、G.A.ベルトリ ソナタ第1番
           ~『ファゴット独奏で演奏するために作られた音楽作品集』
15、グレゴリオ聖歌(閉祭唱)
16、L.ダ・ヴィアダーナ 対話によるフランス風カンツォン~『100の教会コンチェルト』

 合唱:ヴォーカル・アンサンブル カペラ
 
 (古楽アンサンブル・コントラポント)

 バロック・ヴァイオリン:丹沢 広樹  コルネット:上野 訓子

 ドゥルチアン:鈴木 禎  リュート:金子 浩  オルガン:花井哲郎

 於:カトリック東京カテドラル関口教会マリア大聖堂

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