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2017年6月 1日 (木)

フェドセーエフ チャイコフスキー 交響曲第4番 ほか N響 1861st定期 Cプログラム

【錆びついたエンジンも輝かしく再生】

N響の再構築は、2015年に首席指揮者となったパーヴォ・ヤルヴィによって急ピッチで進んでいるようだ。5月の公演は、ピンカス・スタインバーグとウラディーミル・フェドセーエフの指揮によるもので、熟達した彼らの統率力の凄さというのもあるのだろうが、それ以上にオーケストラのコンディションの良さが際立った。近年は実力ある若手・中堅の奏者を集めながらも、全体が活き活きと機能しないN響というイメージだったが、いちどは錆びついたエンジンも輝かしく再生を始めたのだ。アシュケナージやプレヴィンが悪かったというわけではないが、2003年にデュトワが退任したあとは、もう一手を欠いていた印象がある。デュトワは一口にいえば、N響を一挙に現代化した功績がある。オペラを含むプログラムの幅をワイドにし、アンサンブルの質という面でも、伝統的なドイツ的な堅固さを一部削っても、よりしなやかな表現力を手にできるようにした。ところが、彼が音楽監督を辞したあとは明確な方向感を打ち出せずに、あまりにも音楽の「民主主義」が進みすぎたように思われるのだ。

パーヴォは、日本のオーケストラの特質をよく理解している。そして、その良さをねじ曲げて、欧米的なスタンダードを追うのではなく、まったく別の種類のハードワークを導入したというべきだ。日本のオーケストラに対してよく向けられる「真面目すぎて、融通が利かない」という論難を、彼はもっと真面目に徹することで克服しようとした。それは例えば、N響のパリ公演に対する現地誌の批評で、明らかに効果を表していると確認できるだろう。著名な専門誌ディアパソンの記事の和訳が”Philharmony”にも載っている。「驚くべきは各パートとオーケストラ全体に行きわたる並外れた規律、そして指揮者の逼迫した振りに反応する俊敏さだ」。この日の演奏を聴く限り、この評言はきわめて適切なものだったと思われる。

フレーズごとにちがう表情が表れ、一瞬のうちに別の顔がしなやかに顔を出す。柔らかく立ち上がった音が、ここというタイミングでふわりと膨らむ。指揮者が細かいイメージをもっていればいるほど、それを思い通りに実現できるのだ。ここは、指揮者たちにとってのパラダイスにちがいない。フェドセーエフも、その手応えを楽しんで振っているようだった。私が聴いたのは2日間の日程の初日だったが、既に、そのイメージの多くは美しく、パワフルに形を成していた。ふんだんに用意されたメッセージも、逐語的に伝わっていく。まるでスピーチのように!

【中西欧クラシック音楽とロシアの出会い】

演奏は、グリンカの『カマリンスカヤ』(2つのロシア主題に基づくスケルツォと幻想曲)で始まった。日本の舞台にかかることは少ないが、グリンカはロシアのクラシック音楽の原点とも評される存在だ。そもそも、ロシアに中西欧のクラシック音楽の風を運んできた最初のムーヴメントは、英国から渡ってきた(イタリア人の)ムツィオ・クレメンティと、その弟子ジョン・フィールドだったといってもよい。彼らの目的は、急速に力をつけたロシアの皇族や貴族たちに向けて、ピアノ音楽を普及して、そのピアノを裕福な人たちに売りつけるというところにあった。この商法は英国で成功を収め、今度は成長著しいロシアに持ち込まれたというわけだ。ピアノの製造と販売は当時の基準でいって(今日でもそうだが)、各国にとって重要な産業となっていた。ベートーベンの弟子で、世界のピアニズムの源流のひとつに位置するクレメンティは、その名声を含めて、世界に通用する優れたビジネスマンでもあったわけである。

現在は「ノクターン」の創始者として知られるフィールドは、ともにロシアへの営業を始めた師が去ったあとも、ロシアに残って活動を続け、多くの弟子に影響を与えた。そのなかのひとりに、グリンカがいたのである。グリンカはコスモポリタン的な教養家でありながらも、ロシアの民謡や、民族的アイデンティティをあからさまに織り込んだ創作をおこなった最初の人物で、歌劇『ルスランとリュドミラ』などは日本でも序曲だけはよく知られているが、これが世界的には、記念碑的な巨編として評価されている。この日のプログラムに登場した『カマリンスカヤ』は対照的に、10分にも満たない小品だ。それほど、よくできた作品という感じもしない。ちょっと面白い序奏部分があって、あとはインターヴァルを挟んだオスティナートで、しまいまで行くだけである。

グリンカは先に述べたように、古典派から徐々にロマン派へ移行する時代を生きているが、実際に生きた時代よりも古めの印象をもたらす。『カマリンスカヤ』も、非常に原始的な音階の上下行から、音楽が動き出す仕掛けになっている。そして、オルガン・・・といっても、足踏み式のようなオルガンの音色が、ときどき模されているようにも感じた。いずれにしても、彼の音楽から想像できるのは、ある晴れた日曜日、教会に集った人たちが地元に伝わる民謡なども交えながら、気兼ねなく踊りや歌を楽しむ風景である。序盤に民謡の挿入が窺われるが、やや宗教的な感じもブレンドされ、まことに印象ぶかい音のイメージが広がる。ハイドン風ともいえる明朗な舞踊的素材が現れると、そこからは前述のように、間を置いての繰り返しがつづく。

確かに繰り返しではあるのだが、フェドセーエフの場合、極端にいえば、各回とも素材は同じでも、微妙に形が異なっている。この「同位体」のコレクションで、作品ができているような感じもあり、予期に反して、まったく気を抜くことはできなかった。同位体が異なれば、それと手をつなぐ素材の形もまた異なってくる。この連鎖的な反応によって、作品は事前の下見とはまったく異なる印象を残した。また、オスティナート的な繰り返しは、右肩上がりのダイナズムを自然に呼び込むことになるが、フェドセーエフの場合、これも慎重に忌避された。むしろ、終結の部分では、口もとを押さえながら風船の空気を次第に抜いていって、シュッと鋭く萎ませるような様子が再現された。これには正直、鳥肌が立つ。短い曲だが、熱心な聴き手は指揮者のことを2度、ステージに呼び戻すほどに感嘆を受けたようだ。

【ボロディンの発想力】

最高のオードブルに口腔内は爽やかに香り、ボロディンの交響曲第2番を迎える。前菜のあとで口にするには、いささか重い素材とも思われたが、またも予想とはちがう展開が待っていた。この作品は、アマチュアでは比較的、よく取り上げられる演目だが、プロの演奏会では、なかなか耳にすることはない。アマチュアに人気のあるカリンニコフやボロディンといった作曲家は、ボルシチやピロシキを口にする感覚で、ロシア音楽の魅力を端的に味わえる作品ということができる。しかし、本当のところ、かなり難しい作品だということもわかった。この作品はボロディンの最後の時期にあって、結局、未完におわる歌劇『イーゴリ公』と平行して作曲が進んだ。死ぬまでアマチュアだったボロディンは、歌劇のために用意した素材を惜しげもなく交響曲に横流しして、この作品を編んでいったということだ。多分、歌劇の完成には現実的なビジョンをもっていなかったのだろう。

作品のそこかしこには、元はアリアの素材であったような構造の部分などが見て取れるのである。そのため、例えば中間楽章では一本の旋律が純朴に中心を横貫し、ワイルドな印象を与えるような面もあった。しかし、よく聴いていると、もしもその部分が声であり、言葉が載ってきた場合には、驚くほど多彩な表情が生まれるであろうことにも想像がついたのだ。このような形でみられるように、今回の演目に共通するキーワードは「単純さ」や「素朴さ」ではあるものの、そこから生じる時代ごとの新鮮さというものが、同時に訴求されているのであった。

グリンカの作品は原始的な音階の逍遙、ルネサンス・バロック的なものや、古風な聖歌の模倣から始まり、古典派の音楽に範をとったような音楽から、同時代に流行ったヨハン・シュトラウスの舞曲のような世界までひとっ飛びにする。つづいて、ボロディンが古典派からロマン派の時代に生じた形式の爛熟を如才なくこなすのだが、彼の音楽的発想からは時折、グリンカ以降、育成されてきた音楽的エリートのアイディアを超えるであろうものもまで見出された。そのため、稚拙な単純さはときに残っているとしても、リムスキー・コルサコフのようなプロ中のプロでさえも、ボロディンが次にどのような発想を生み出すかについては関心の的だったのである。交響曲第2番についてみると、後世のショスタコーヴィチやラフマニノフといった作曲家は、彼の作品を知っていた上で模倣したのだとしか思えないような部分がある。一方で、有名な「韃靼人の踊り」に聴かれるような独特なサウンドの特性も生み出している。これを聴けば、ボロディンだとわかるような部分が必ず存在するのだ。

交響曲の始まりは、演奏によってはベートーベンの模倣とも聴こえるが、あくどいまでのアーティキュレーションの切り方と、居丈高に震える響きによって、正に今日までロシアを覆ってきた力の支配そのものの精神化と思われた。多分、このような響きは宗教(正教)的な空恐ろしい権威に包まれた、強大な実力を二重写しにした音楽だ。しかし、それとは対照的に生じる田舎の祭りのような明るさが、魔法のように軽く生じる部分の美しさは信じられないほどのしなやかさである。対位法なども用いて、風刺的に描かれる音楽が意外に図太く、長く継続し、ときにチャイコフスキー風の流線型の音楽と対比的に、パターンを構築していった。

フェドセーエフの演奏は知的で、過剰な趣味の強調を赦さない。ところが、そのほうがかえって、ボロディンの作品を図太く、鋭い音楽へと印象づけることになるのは不思議だった。全体は美しく、切れ目なく流し、冒頭部分のように独特な味わいが必要な場合だけ、これでもかと深い色合いをつけるのだ。そのバランス感覚が、彼の場合は異常に優れているというわけである。その結果として、全体が軽いつくりに思えるというわけでもなく、後世、ショスタコーヴィチがよく生み出したような豪快な風刺が活き活きと展開するのであった。

第2楽章はトリオで、明らかにオペラからの転用と推測できる独特のサウンドが窺えた。第3楽章は、最初のハープの響きと、フルートのコンビネーションだけで涙を誘うことができる。これらに導かれるホルンのソロも見事だったが。これらの楽章は、もっとも繊細な情感をうたう歌謡的な部分で占められており、1つの旋律にユニゾンする一見して単純な構造的美観がある。プッチーニのオペラのアリアとか、二重唱を思わせる歌い方や旋律の雄渾さがあるとはいえ、交響曲作曲の1869年には、プッチーニはまだ10代になったばかりだ。表面的な旋律美もさることながら、どちらかといえば、そのバックで結びついたアンサンブルの美しさに主眼があるとも見られるだろう。そうした絆が、いつか表立ってくることにもなる。そして、そのまま第4楽章の祝祭的な舞踊楽章による終結を迎える仕掛けになっているのだ。

【別次元の新しさ】

ボロディンの交響曲は、例えば、太鼓のリズムに必ずしも既存のリズム感に乗らない部分があるなど、細部において独創性を感じやすい。しかしながら、作曲年としては僅か1年しかちがわないとしても、チャイコフスキーの交響曲第4番は、それとは別次元の新しさに満ちている。チャイコフスキーにも、彼が「音階の作曲家」と揶揄されることもあるように、単純な部分はある。豪華な旋律へのユニゾン、華々しく瀟洒な盛り上げなどは、ときに通俗的な印象も与えかねないものだが、指揮者のアレクサンドル・ラザレフは、その新しさがシェーンベルクにも劣らないと主張していた。そして、この日のような印象を聴く限りにおいては、彼の発言はまったくもって正しいのである。グンリカというロシア音楽の原点からスタートし、アマチュアながら、最高の専門家も一目置いたボロディンの実験的発想を横目に、チャイコフスキーの作品を聴いたこの日のプログラムでは、彼の作品がまるで宇宙人の書いた音楽のように聴こえるのだ。当時の人たちの身になれば、一層、その印象は強かったはずだ。

作品はご存じのように輝かしくも、若干、悲劇的な印象も帯びる、いわゆる「運命のファンファーレ」による序奏から始まる。その後、第1主題が始まるが、これらの過程は総じて遅く、重々しい。私はこの作品について、テミルカーノフ(サンクトペテルブルク・フィル,2003年,サントリーH)の演奏によって畏怖を感じ、その呪いは、2016年3月のエリシュカ(札響)の演奏によって、ようやく解かれたので、いま、この場にいるわけだ。それがまた、フェドセーエフの演奏は再び畏怖を思い出せるように重苦しかった。ロシアの冬は、すべての歩みを妨げるかのように重く、暗かったのである。私はエリシュカの演奏に感謝し、録音が出たこともあり、その細部まで記憶して、アーティキュレーションまでをも憶え込んでいたつもりだが、フェドセーエフの演奏はまた、まったく別物として聴かなければならない。

まず簡潔に述べておくが、フェドセーエフの演奏には3つの大きな特徴がある。最初に、ひとりの主人公を想定した物語のようであること。オペラ的で、繊細な内面描写があるが、完全に個人の物語というわけでもない。ときに病的ともいうべき描写の深さがあり、それらはまるで夢をみるかのようだ。しかし、最後はそれらが一挙に克服される神秘性を帯びている(後述)。次に、楽器の音色が中西欧クラシックのそれとは別のように響き、まったく異質である感じがある。民族音楽や、古来からある宗教音楽の響きを模した強烈な愛国的記念碑ともみられるし、あるいは、それまでの伝統的規範のなかでは標準的とされるような、楽器の響きに対する強烈な違和感としても、音楽が表出されているのに気づくだろう。最後に、フレーズごとに異なる顔をもつ響きの表情と、その多彩さである。そうした表情は音響素材によって連鎖的に変容し、最終的に物語性が崩壊し、ドラマトゥルギーを解消させる結果を生み出している。最後の楽章の終結部分など、単なる舞踊的な印象をも抱かせ、その弾力的な響きは信じられないほどのリアリティを生み出すのである。

第2楽章には、ごく象徴的な音響的神秘が仕掛けられていた。オーボエの独奏を受けて、弦楽器がうたうときには、響きの結び目をしっかり出さずに、ふわっと拡散させて、オルガンのつくる和声のような響きを聴かせた。エリシュカの演奏では、ことに拍節感に厳しい彼のこと、ぎゅっと玉結びして、そこから響きの躍動感を出しているのだが、フェドセーエフはそこを曖昧にするのである。そのため、きっちりした構造から生じる響きの勇壮さはどこか中心をもたず、空間に拡散されていく印象になった。例えば、物語の主人公がプロコフィエフの歌劇『戦争と平和』(つまり、トルストイの巨編的小説から生み出されたもの)に出てくるアンドレイのように、ひとりの高貴な兵士だとするなら、彼の内面的な襞がそのような音響によって、見事に描き出されていることになる。このように、フェドセーエフはコケオドシの響きの立派さをとらず、作品が描く情念に焦点を絞った表現を渾々とつづけていくのだ。その結果として、ときに生じるソット・ヴォーチェの凍りつくような響き、あまりにも深いパウゼなどは、この作品に想像もしなかったほどの奥行きを与えるのである。第2楽章のおわりで、急に出現する切断的な和音は、先に述べた曖昧なオルガン的和音と響き合い、いかにも神秘的な印象を生じさせる。あるいは、苦々しい夢の途中で苦しげに喘ぐ主人公の寝顔を想像させはしないだろうか?

テミルカーノフは、長い第1楽章から第2楽章をアタッカにし、壮麗で空恐ろしい交響曲のもつ背景を増幅してみせたが、フェドセーエフはここで、つまり、第2楽章から第3楽章をアタッカにして演奏した。第3楽章から第4楽章へのアタッカもよくあるが、この部分でのアタッカは珍しいのかもしれない。もっとも2つの夢がつづけて描かれるのは十分に示唆的であり、合理的でもある。第2楽章が悪夢であるなら、第3楽章はやや温かい思い出というような雰囲気になろうか。ピッチカートの表情づけは総じて緩く、抑圧的であるが、フレーズ終盤のところで急に立ち上がるときのダイナミズムのつけ方が、そのことによって、かえって印象的である。抑圧はあってはならず、その時点において苦しいものだが、それだけに美しいものを生み出す源泉とはなるのかもしれない。その意味で、トリオの活き活きした表情は、そのときにはまだ気づかなかったものの、終楽章での美しい「破綻」を先取りして、予告するものだったのかもしれないのだ。

第3楽章から第4楽章は構造的にもよく似通っていて、アタッカにする意味もある。第2楽章から第3楽章がアタッカで演奏された時点で、私は第1楽章以外のすべてが連結するイメージを即座に思い浮かべた。しかし、フェドセーエフは仕切りなおして、第4楽章を堂々と据えた。この楽章は交響曲の形式に準じて、これまでの素材が回顧され、対位法などを交えて表現されている。その点、若干、抑圧的な息苦しさを伴いながらも、多彩で華やか、推進力に溢れる急展開がつづく。一方、ドラマトゥルギーの点でみると、夢か現実かがよくわからない世界が宙吊りのまま、拡大していく。ベッドの上での出来事か、けたたましい戦場での場景か、あるいは、また、豪華な舞踏会のサロンでの光景なのか、判然としない。多分、それらすべてがテーマであり、「運命のファンファーレ」のあと、それらは完全に融合されてしまう。ドラマトゥウルギーは消滅し、華々しく疾走する音響素材だけが残って、活写されるのだ。

構造的にはベートーベンとバッハ、それに心理的なベルリオーズの作品と、終結あたりはもろにロッシーニなどを組み合わせたような走句が踊る音楽だが、これらの作曲家が彼にとってのアイドルであったことは間違いがない。とりわけベルリオーズは1847年に初めてロシア遠征を成功させて以来、ロシアと関係が深い作曲家となった。晩年の1968年にも2度のコンサートを開き、チャイコフスキー等も歓迎したというほどだ。そのベルリオーズが深く敬慕していたのがベートーベンであり、ロッシーニの作品については、『ギョーム・テル』の第2幕を(ロッシーニではなく、)「神が書いた」と評したのが有名なエピソードである。もっとも、その作品を最後にロッシーニは筆を折って、個人的な趣味的創作と、ときに宗教的な作品の創出だけに仕事を絞ってしまったために、それ以上の深い影響は見出せないのだが。

テミルカーノフの場合は、どれほど明るい素材が生起しても、最終的にファンファーレから先は恐怖しか残さない演奏だった。エリシュカは、それをずっと爽やかな表情に変えた。しかも、この日の(東京)公演は独特な祈りに包まれた特別な機会であり、終演直後、これほど豪快な曲にして、僅かながらも聴き手はしんと静まり返る時間があった。多分、あのとき、エリシュカの放つメッセージに深く聴き入り、正しく理解したオーディエンスのあり方も賞賛に値するだろう。フェドセーエフは、この作品に含まれる熱狂的な終結を拒みはしなかったが、その明るさはあらゆる意味で、解放というキーワードに向かっていた。そして、最後には喜びと、尊敬の念だけが聴こえたのだ。タイムマシーンに乗ったような弦の躍動感は象徴的で、N響の巧さを、この日ほど強く実感したこともない。思い起こせば、そういう瞬間が何度もあったのだ。

【補足】

この日の演奏を通して、もっともつよく感じたのはロシア人がまったく何もない状態からもたらされた中世音楽の素
晴らしさにつよく感動しながら、同時に、必死に自分たちの知るものと近づけて、かつ、急速に追いつき、追い越して、斬新な音楽を生み出すに至った歴史だった。チャイコフスキーという突出した存在のおかげもあり、ロシア音楽はあっという間にオリジナルの世界を追い越していたのだ。もっとも、チャイコフスキーとブラームスのどちらが斬新であるのか、なかなか簡単に決められるとは思わない。ロシア音楽にブラームス的な構造的な洗練、つまり、普遍的な技法の確立は望めなかった。反対に、彼らは一見して単純なものを、そうではない新鮮さとして生まれ変わらせることを得意としたようである。グリンカ、ボロディン、チャイコフスキーといった作曲家たちは、また、すべての楽器を何かちがう楽器のように扱うことができた。そして、それを自分たちが知るロシア的な素材と絶妙に調和させたのだ。

フェドセーエフは、そんなロシアの音楽の凄い歴史を、最高の響きのなかで主張してみせたのである。彼はウィーン放送響を率いるなどして、インターナショナルな活躍をみせた洗練された音楽家である。しかし、それゆえに、いっそうロシア的なもの、あるいは、巨大なロシアのさらに細分化された部分ごとの良さに、無限の愛情をもつ音楽家でもあった。それだからこそ、ウィーンは彼を受け容れていたのである。それと同じように、この日の演奏には深い感謝を感じ、ひれ伏すより他になかった。この名匠が少しでも長く、日本との関係を保ちつづけてくれるように祈るが、さしあたって、この秋にモスクワのチャイコフスキー・オーケストラを率いて、フェドセーエフの指揮によるオペラの公演があるというのは千載一遇の好機だろう。しかも、作品はプーシキンの原作に基づくものだ。申し分ない!

【プログラム】 2017年5月19日

1、グリンカ カマリンスカヤ(2つのロシア主題による幻想曲)
2、ボロディン 交響曲第2番
3、チャイコフスキー 交響曲第4番

 コンサートマスター:篠崎 史紀

 於:NHKホール

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