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2017年9月26日 (火)

第7回チェコ音楽祭「ヤナーチェク・ナイト」 歌劇『イェヌーファ』(抜粋) ほか 9/7

【顕微鏡で覗いたような緻密さ】

第7回を数える「チェコ音楽祭」だが、今年はオール・ヤナーチェク・プログラムで、歌劇『イェヌーファ』の抜粋公演がメインという意欲的なものだった。歌劇はピアノ伴奏に、一部にヴァイオリンが参加。キャストはイェヌーファのほかに、コステルニチカとラツァだけに絞られたが、予想以上に素晴らしいパフォーマンスとなっていた。前半の室内楽プログラムも含めて、どの演目も顕微鏡で覗いたような緻密さを示している。よく考えられ、限られたリソースでも、それをどのように使うと、作品の魅力がもっともよく伝わるのか、考えた人のアイディアが素晴らしいというほかないのだ。

例えば、『イェヌーファ』についていえば、実はこの3人だけによって、作品を覆う重要な内面的モティーフが構築されていることがわかるだろう。シュテヴァや、その母親であるブリヤ家の女主人(イェヌーファとシュテヴァの祖母)、村長父嬢、牧童ヤーノ、バレナといったような小さなキャラクターたちが作品のリアリティを生む細やかなポエジーや社会背景を肉づけしていくものの、それらの要素は本質的に、イェヌーファ、コステルニチカ、ラツァの過酷な運命に影響を与えるものではなく、微妙にすれちがって配置されている。最初から最後まで鍵を握るシュテヴァの存在さえもが、これらの人物とは交わらずに存在している事実は意外であった。もっとも、企画チームはシュテヴァの存在をまったく無視するのではなく、その音素材が現れるヴァイオリンをところどころ、ピアノ伴奏に加えるところまで配慮している。

私のイメージとは若干、異なっているが、まことに面白い。私はこの作品をよく知っているつもりでいたが、この日、初めて作品の内面世界に深く寄り添った感じがしないでもなかったのだ。簡単にいうと、ヤナーチェクはもっと、広い世界をめざしていると思っていたのだが、実際には、ごく狭い世間をさらにフォーカスして見せているようにも思えた。例えば、レオンカヴァッロの『道化師』のようなヴェリズモ・オペラでは現実に起こった事件などをもとにして、ことの顛末が想像を交え、深々と描かれているように見えるのだが、実際には音楽やプロットの煽情的な飾り立てがメインとなってしまい、心理的な機微などは意外と大雑把にしか描かれていないものなのだ。さもなくば、旧来の歌劇で用いられていた型を現実の事件で塗り込めたようなチレアの『アドリアーナ・ルクヴルール』のような作品があるのみだ(例えば、その点でいうと、J.シュトラウスの喜歌劇『こうもり』のような作品のほうが、人間の生き様をしっかりと描いていると思う)。ヤナーチェクの作品もヴェリズモ的な世界観をみせているが、しっかりと人間が描かれていて、それに寄り添う緻密な音楽がある点で、オペラ史のなかに燦然と君臨する傑作として存在感があるのだ。

『イェヌーファ』の場合、そこに命という大事なテーマがあって、全編を貫いていくことになる。しかも、親などの保護者に生命そのものが左右されるほど、幼い命(嬰児)のゆくえが鍵になっている。既に登場のときから、イェヌーファの腹のなかには彼がいた。不実な父親と同じ名前の「シュテヴァ」となる子である。だが、結局のところ、その名前は意味をもたないままにおわることになった。その惨めな運命は第1幕で厳格なコステルニチカによって、やや高慢に決定され、次の幕では命さえも奪われてしまうことになるからだ。ラツァはそのことには直接、関係していないはずだが、イェヌーファを刃物で傷つけてしまうことでシュテヴァとの関係を完全に断ち切ってしまうことと(シュテヴァは林檎のようなイェヌーファの頬を好む)、嬰児を殺すコステルニチカの決断の原因となった(ラツァと結婚してもらうために、彼の異母兄弟シュテヴァの血を引く子の存在は邪魔)ことで、間接的に関与している。嬰児を連れ去る前の、イェヌーファとコステルニチカの対話は既に継母がとる、ごくちかい未来の行動がわかっているだけに、命をめぐる最後の対話とも受け取られ、胸に迫ってくる。ここには、いわば舞台をみる我々と、コステルニチカによる共犯関係があるだろう。自ら腹を痛めたイェヌーファだけが何も知らないでいることが、また何ともいえず、哀しいのである。

第1幕は宙ぶらりんな胎児を抱えての不安な雰囲気、第2幕は既に運命の定まった幼子のためのリリックな悲しみ、そして、終幕は事件が発覚して、シュテヴァは立身の道を絶たれ、咎人のコステルニチカが破滅するが、残ったイェヌーファとラツァは裸のまま、悲壮ながらも頼もしい決意を高らかに歌う。

【キャストとナレーターの活躍】

この日の公演では、藤原歌劇団の実力ある歌手たちが顔を揃えた。題名役はこれまでにも重要な役を多く歌ってきた小林厚子。長身で、気高い淑女の気品をもっている。歌もノーブルで、雰囲気に満ち、新国立劇場の公演で評判をとったミヒャエラ・カウネと比較しても遜色ない詩情を醸し出していた。コステルニチカは過去、多くのイタリア・オペラ作品などで技巧的で厚みのある歌唱を重ねてきた森山京子が、誇り高い田舎の淑女をド迫力で表現する。ラツァの琉子健太郎は技巧的にも安定しているが、いかにもモラヴィア(若干、スロヴァキアも想像させる)の田舎町にいそうな素朴な雰囲気をもっていてよい。ピアノの北村晶子がほとんどの譜面を再現するが、ところどころで、山﨑千晶のヴァイオリン独奏が混ぜられたアンサンブルが格別の味わいを生み出していた。シュテヴァのモティーフがヴァイオリンに出るところから、出演者の欠損を補うものとして構想されたようだが、多くの場合、このような上演ではピアノ伴奏のみになるところ、弦楽器が1本でも入ることで得られる効果は思う以上に大きかった。

さらに、上演を助けた機知は、この作品をよく知るメンサー華子さんのナレーションだった。このイベント全体のホスト役として、司会役も務めた彼女は、前半の演奏会では作品のポイントを話したりする解説者の役目も果たしている。例えば、「発話旋律」というヤナーチェク独特の技法について説明を加えたりした。なお、この公演の客層は私のような音楽バカというような人は少なく、チェコ文化に関心のある多様な層というほうが正しかったようだ。後半のオペラ上演では字幕のない公演において、これから演じ、歌う場面の筋書きを読んでくれる役割を果たしていたのだが、その原稿の内容が、この舞台の素晴らしさを端的に物語っていたといっても過言ではないほどだ。ただの筋書きの要約ではなく、ひとつの批評的観点に基づいて公演は組み立てられている。そのイメージは既に述べたとおり、私の思うようなものと比べると剥き出しだが、真実の一端を衝いていた。

背は小さいが、姿勢よく、品のよいヒールを履いて美しく逍遙したり、椅子にかけたりしながら、いつも厳しく舞台を見守る彼女の目が、言語・音楽指導+指揮の西松甫味子さんと同様に、公演の緊張感を引き締めたといっても過言ではあるまい。

【前半のパフォーマンスがもつ意味】

前半は、この公演の扇の要となっている山﨑の演奏で、ヴァイオリン・ソナタによって幕を開けた。伴奏はチェコからのゲスト・ピアニストであるヴァーツラフ・マーハ。技術的にはもっと巧みな人もいると思われるが、ヤナーチェクの音楽の特徴をよく捉えた演奏に感心した。先に出した「顕微鏡で覗いたような」という表現は、彼女の演奏を通して思いついたキーワードだ。「発話旋律」の特徴を織りなし、ひとつひとつのフレーズを言葉のように感じさせて、演奏できるヴァイオリン奏者といったら、実は多くないのだと思う。例えば、五嶋みどりさんの演奏で、この作品に接したこともあるが、今となっては、その印象は少しもからだのなかに残っていないのに対して、今度の演奏を通してはどの音にも、何らかの意味や重みを感じ、細かなフレージングのひとつひとつさえも、いつまでも胸に残っているのである。

続いては、マーハの独奏で『草陰の小径より』の抜粋で3曲。これだけのパフォーマンスで、ピアニストについて語るのは乱暴だろう。しかし、演奏会の構成からみて、(第1集)10曲中3曲であっても、この作品を取り上げておく価値は高い。つまり、この作品と、歌劇『イェヌーファ』の作曲は、ヤナーチェクが愛嬢オルガを若くして喪う時期と重なっているからである。ただ、面白いことにマーハは作品集のなかでは、どちらかというと内面的な悲壮さを押し隠したかのようなナンバーを選んでおり、作曲家の複雑な創作の哲学を感じさせてもいる。つまり、亡き娘のための哀悼を企図してつくられたとしても、それだけではない不思議な美しさや、モティーフの複雑さがヤナーチェクの作品にはこもっているのだ。歌劇はオルガの死よりもずっと前から苦労してつくられたものだが、同様にテーマは錯綜しており、現実世界のあらゆる背景や関係に光を当て、この日のような3人の想いや、関係だけに絞られてはいない。

1曲目の音楽的モティーフと、2曲目で示された内面的モティーフが、歌劇『イェヌーファ』を進める2つの車輪だった。モラヴィアでも、ブルノなどは洗練された都市だが、すこし郊外に出ると、緑また緑の田園風景が広がる。そうした場所に響くべき音楽は、ハプスブルク帝国の時代には都も置かれたプラハ=ボヘミアのような土地とはまたちがう構造をもっていなくてはならない。そんな雰囲気を感じさせる作品のひとつに、チェロとピアノによる『おとぎ話』があった。もっとも、作品はロシアの素材に基づいている。この3曲目はマーハとともにやってきたチェコからのゲスト・チェリスト、ヴァーツラフ・ペテルが弾いた。ペテルは「弦の国」ともいわれるチェコ・フィルの首席奏者だけあって、音楽をよく知っているだけでなく、技術的にもやはり、特筆すべき才能をもっている。チェコ人としてはやや小柄なためか、深く楽器を傾げて弾くことで、若干、ハイ・ポジションの響きが硬くなる憾みはあるものの、それを補ってあまりある中低音域の深い音、しなやかな音の運びは最高級のチェリストのものと呼んで差し支えないものだ。

2人は祖国の著名な作曲家で、ドヴォルザークの女婿であったヨゼフ・スクの名前を冠した室内楽アンサンブルで活躍したこともあったため、アンコールとして、スクの作品をサービスした。彼らにとってはモラヴィアの作曲家も誇りではあるのだろうが、やはり、ドヴォルザーク、スクといったボヘミアの音楽への愛着が自然なのか、(op.3-2)の『セレナード』はひときわ素晴らしく、深々と響き、これには「ジェクイ・ヴァーム」の想いで一杯だ。最後に繰り返し奏でられた、音階的な旋律がいまも耳に残る。

【まとめと補足】

再び、全体を見つめ直してみよう。会場には私のような音楽のファンだけでなく、チェコの文物に造詣の深そうな多様性のある客が訪れている。まずはヴァイオリン・ソナタで、山﨑がどの音にも意味がありそうな「発話旋律」のエッセンスを感じさせながら、見事な音楽を奏でる。ピアノのマーハは、ヤナーチェクが愛嬢オルガの亡くなった時期に書かれた作品を演奏して、この作曲家を取り巻く当時の雰囲気を再現してみせた。チェリストのペテルが加わるが、その表現はやはり、山﨑のパフォーマンスと通底する部分も多かった。後半の歌劇は、これらの要素を溶け込ませながらも、声楽家の厚みのある表現が迫力と立体感を加え、メンサー華子のナレーションにはひとつの解釈が宿っていた。この作品は厳寒の川に流された嬰児という衝撃的な象徴を止揚して、人間的に成長した2人がロマンティックな絆を編み上げるという形になっている。咎人のシュテヴァとコステルニチカは退場し、イェヌーファはラツァの短気な傷害を許して、彼のもつ誠意を解放した。人間にはよい部分と、悪い部分がある。当たり前のことなのに、悪い部分を赦すのは難しい決断だ。

歌劇の筋は愛嬢オルガの死を乗り越えて、ヤナーチェクが悲壮な大作を仕上げたことにも通じている。ヤナーチェクはオルガがまだ幼いころに作品を書き始めて、彼女が20代そこそこで亡くなった直後に書き終えた。まるで、彼女の命が、歌劇に乗り移っていったかのようにもみえる。そのほか、イェヌーファやコステルニチカ、ラツァというキャラクターには、オルガやヤナーチェク、その周りで関係してきた現実の人々と重なる部分がある。「対話旋律」の技法を用いることで、音楽と物語のリアリティは自ずから増していったが、特に作曲家にとっては、いまは亡きオルガ等と交わした言葉の端々が譜面から思い出されるような、抜き差しならない作品だったにちがいない。だが、同時に、そのような作品だからこそ出すことのできる特別な感情というものもあった。この公演では北村の弾くピアノに加え、山﨑のヴァイオリンの参加によって、姿のないシュテヴァが関係し、多くの場面に立体性が増した。

このように深い研究成果に基づいた哲学、もしくは批評性の生きた公演、よく準備され、多様なアイディアが閃き、作品に対する素直で、厳しい愛情と、敬意に満ちみちた表現の場に接する機会は、1年のうちでも、それほど多くあるわけではない。出演、企画の皆様に深い敬意を捧げるほかはないだろう。そして、メンサー華子女史の言葉によれば、この音楽祭は来年以降も、まだまだ続けたいということである。かげながら、応援したい。

【プログラム】 2017年9月7日

1、ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ
2、ヤナーチェク 『草陰の小径より』(3曲)
3、ヤナーチェク おとぎ話
4、ヤナーチェク 歌劇『イェヌーファ』(抜粋)

 於:目黒パーシモンホール(小ホール)

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