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2017年10月16日 (月)

パーヴォ・ヤルヴィ バルトーク 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 ほか N響 Cプロ 9/28

【息をするように新しさを醸し出す】

パーヴォ・ヤルヴィとN響のスクリャービンが素晴らしかったこともあり、券を買い足して、バルトークのコンサートにも足を運んだ。これはBプロのため、すべて会員で埋まるというシリーズだが、個人売買によって席を確保。チケットの高額転売に強く反対する私としては、定価以上にはならないオケピを用いた。2階席でさらにディスカウントする相手もいたが、この演目では1階席の、通路より前方を確保したい。それに相応しいものがあり、気持ちよく取引が成立した。実際、はじめてのサントリー定期を聴いてみると、N響がまるで海外のオーケストラのように響く。多分、リキを込めて演奏しないと響きが届かない渋谷のホールと比べると、肩の力を抜いて、8割ぐらいで弾けることで、本拠地とは異なるまろやかなサウンドを出すことができるのだ。

さて、演目はオール・バルトークだった。前回の記事でも触れたように、既に『管弦楽のための協奏曲』(オケコン)は演奏しており、今回は弦楽器のアンサンブルを中心とした作品が柱となっている。管楽器を用いる作品は、真ん中の『舞踊組曲』のみだ。チェレスタを用いることなどを含め、この日の演目はサントリーホールでの演奏により適したものでもあり、オーケストラとその演奏環境を知り尽くしたヤルヴィによる、周到な配慮が窺えるのである。しかも、ヤルヴィはバルトークの作品について、我々のイメージとはまったく異なる繊細さを浮き彫りにする意図があった。打楽器を使うからといって、派手なドンチャン騒ぎではなく、バルトークにとって、もうひとつの重大な分野である弦楽四重奏曲のようなクオリティの延長線上に、作品を位置づけるように試みた。この日の演目は、3つの要素をうまく融合したものといえる。バルトークの国民楽派的な独自性と活気のあるアンサンブル。弦楽四重奏曲のようにシンプルに構築されながら、バレエのように、華やかに花開く構造的な優雅さ。そして、なんといっても、N響が誇る弦楽器群の多彩で、力強く、フレキシブルな動きである。

バルトークは、息をするように新しさを醸し出した歴史上、もっとも稀有な作曲家である。ハンガリーにおける国民楽派的な努力、民謡収集のように地道なフィールドワークから、今日の作曲家にも尊敬する人が多いような斬新なクオリティを誇る作品をいくつも遺す成果へとジャンプ・アップしていった。民謡集に始まり、デュオを含む鍵盤楽器のための作品、弦楽四重奏を中心とする室内楽、様々な規模の管弦楽曲からバレエ音楽、オペラまで、後世に通じる爽やかで、濃厚な風を送り続けた。さらに、演奏家としても、教育者としても高度な活躍を示している。戦中期となった晩年には米国へと渡り、慣れない環境に苦労して、寡作となったが、仲間たちはバルトークを再び必要とし、それを感じた作曲家もいくつかの重要な作品を書き残していく。いくつかは未完のまま、世を去ったが、それも後にものとなった。

【音で描くブダ・ペスト】

今回の演奏会では、バルトークが1940年にブダ・ペストを去る前の、実力、気力ともに満ちた重要な時期の作品と、バレエ音楽『中国の不思議な役人』の作曲年とちかい、中期の充実したころの作品が並べられた。スキャンダラスな内容をもったバレエ音楽『役人』は、WWⅠの総力戦がつづくなかで構想されたが、作曲家の祖国は激動のなかにあり、遅れに遅れて、戦間期の初演となった。その後も数奇な運命を辿っていくが、先進的な風刺詩を備えた佳作である。初期作の歌劇『青ひげ公の城』をきっかけに、台本作家レンジェルと出会って創作を始めたものであり、これらの作品は共通して、辛口のアイロニーを伴っている。一方、『舞踊(舞踏)組曲』は、ブダ・ペストの市成立から50年を祝うための作品で、純音楽的な色彩が強い。この日の演目では、『弦楽のためのディヴェルティメント』や『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』ほどの知名度がないが、ヤルヴィは短いものの、これを中心的なプログラムとして印象づけたように見える。

ハンガリーの首都=ブダ・ペストは、元はドナウ川をはさんだ2つの要塞都市だったものが、東側のペストと、西岸のブダ(旧市街オーブダを含む)を統合して、1873年に統一された。当時の政体は、オーストリーとハンガリーの二重帝国である。市域がつながれて発展したブダ・ペストはユダヤ人にとってのイェルサレムのような存在となり、19世紀の半ばに多くのマジャール人が移住して、国民意識が芽生えるきっかけとなった。大河をはさんだ2つの地域はいくつかの橋によって結ばれており、それは大川をはさんだ下町までつづく大江戸の雰囲気とすこし似ている。ヤルヴィの構想は『舞踊組曲』をこの橋と見做して、2つの名曲をつなぐ意図だったと思われる。『舞踊組曲』自体、バルトークが音で描くマップのような構造をもっている。

すこし残念だったのは、途中でチェロの弦が切れて、ヤルヴィが演奏を止めたことと、客席から途中で拍手が起こってしまったことだ。この分断により、演奏意図はやや伝わりにくくなった。プログラムにはひとつづきの作品と書いてあり、これをよく読んだ、ある意味では熱心なオーディエンスが手を叩いたのだと思われる。また、楽器の問題は致し方なく、異変に気づいて、キリのよい場所でクルマを止めたのは逆に、指揮者のよい機転である(自註:後日、初日の放送をみると、特に問題なくとも第3楽章から第4楽章のアタッカは実施していない)。もっとも演奏自体は、主役に相応しいクオリティを示している。オケコンではないが、この作品でも多様な楽器が節々に魅力的な響きを広げてくる。解像度がよく、どの楽器がどのような役割を果たしているのか、よくわかるのもヤルヴィの音楽づくりの特徴である。そうしてみえてきた機能が、この個性的な舞曲のなかで、どのように働くのかが分かりやすいのである。

【弦楽器しか使っていないのが嘘のように】

メインは、『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』(弦チェレ)だった。バルトークが指定したというとおりに、中央にピアノとチェレスタを配し、弦楽器が両翼に分かれての演奏だった。スクリャービンの場合もそうだったが、晦渋と思われる作品を活き活きと聴かせることにも、彼は長じている。各楽器のクオリティが明晰に聴こえてくるとなれば、全体の響きはより明るめに捉えられるものだが、それだけでもなかった。ヤルヴィの解釈はいつも前向きで、未来に向かっている。苦悩し、哀れな思いをした作曲家も少なくないが、ヤルヴィは芸術家として、彼らがそれでも輝いていたことを信じて、演奏するからだ。

ヤルヴィ自身が作曲を習ったということは聞かないが、過去の大指揮者たちは、その多くが作曲に通じていた。作曲家としても有名になったマーラーはもちろんとして、フルトヴェングラーワインガルトナーワルターストコフスキミトロプーロスなど、多くの指揮者は高度な作品を自分で作曲できるほどの能力があった。だから、当たり前のように譜面を修正し、それぞれの作品がより美しく、その意図をハッキリさせるように演奏させることも厭わなかったはずである。それは作曲家の意図を歪める改竄というよりは、美学と美学のぶつかり合いとでもいうべきものであった。近年ではピリオド原典主義が流行し、楽譜のままに演奏するという常識が広がりすぎて、演奏のクオリティは薄っぺらとなり、それ以上の更新ができなくなってしまう傾向にある。オーケストラが多忙で、いちいちやりなおしている暇がないという事情もあるだろう。それと平行して音楽の資本主義・グローバリズムと、楽団の民主的運営が広がった。これらの結果として、その動きを音楽の刷新につなげることができた一部の音楽家がいる一方で、クラシック音楽の演奏レヴェルは総じて停滞ぎみとなり、名前や権威ばかりが跋扈して、本当の活力には欠けるものとなってしまったように思われる。

パーヴォ・ヤルヴィは、その点で昔の指揮者にちかいアビリティを持っているように思えるのだ。この場合、やはり時代の近接する作曲家に対して、深い知識を持っているのは自然な流れであり、例えばN響の前任者であるアンドレ・プレヴィンも、プロコフィエフ、リヒャルト・シュトラウス、ブリテン、メシアンの音楽などに、本来は深い見識を有していた(それがN響で十分に発揮されたとは思われない)。ヤルヴィはエストニアの出身ではあるが、18歳ぐらいで父ネーメについて米国に渡っており、高等教育は米国をベースとし、のちに米国籍を選択している。父親のほかでは、バーンスタインの影響を強く受けていると思われ、それは彼のレパートリーや音楽性、それと社会的な活動に対する考え方にも反映している。なお、師のメモリアル・イヤーと重なる来年3月には、音楽劇『ウエスト・サイド・ストーリー』をN今日で上演(コンサート形式)という話題もある。

さらに、彼は米国で、その地に集まったハンガリー系の指揮者に多く教えを乞うている。彼のプロフィールをあちこち調べていくと、バーンスタインのほか、アンタル・ドラティゲオルク・ショルティユージン・オーマンディなどの薫陶を受けていることがわかり、それらの指揮者はすべてハンガリー系である。このことから、ヤルヴィがハンガリーの音楽、とりわけ、バルトーク(コダーイかもしれないけど)が若いころから大好きで、出会うことのできる指揮者にはすべて会って、その話を聞いたことが窺えるのである。そのこだわりの詰まった音楽は、実に整然としており、明朗な響きをしている。

この日のプログラムには、『弦楽のためのディヴェルティメント』と弦チェレが並んだが、これらは作曲年にも連続性があり、特徴がよく似ていて、書誌的にも同時代の名だたる芸術プロパーで、音楽家、パトロンでもあったパウル・ザッハーの依頼によるものという共通点がある。自由奔放なリズムや、明暗の自在なコントロールによって、バルトークはハンガリー音楽のもつ特徴を生かしながらも、時代に相応しい複雑さをもつ深みのあるミックスとして作品を.成立させる。しかし、ヤルヴィの指揮で聴く場合、これらの作品はまったく異なるといっても過言ではない。ディヴェルティメントはより純粋な凝縮の音楽であり、弦チェレはより拡散的である。のちにトーンクラスターという考え方が生まれたが、中央に鍵盤を配し、巧みな楽器配置で意図的に響きのズレを生み出したバルトークの意匠は、彼による独創とは言いきれないものの、いまでもきわめて新鮮に響くだろう。

この演奏で特に目立ったのは、やはりチェロの藤森で、そのパフォーマンスは全体のなかに溶け込んではいるものの、それでも飛び抜けた存在感を示している。作品の性質からもわかるように、演奏のクオリティはリズム的な深い遊びや、野性的なエネルギーをもつ弦の鮮やかなコントロール。要所で一挙に凝縮していく精細なアンサンブルに加えて、各楽器の放つ個性的な響きに負うところが大きい。ヤルヴィは、(ほとんど)弦楽器しか使っていないのが嘘のように、N響の弦から実に充実した響きのヴァリエーションを引き出している。この作品が、まるでストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』のような響きに聴こえたのは驚きであった。

【循環的な3プログラム】

ディヴェルティメントは、バルトークの弦楽四重奏曲での深い実践がそのまま、生かされた傑作だ。編成が大きくなったにもかかわらず、エネルギーが凝縮し、より精緻なアンサンブルを要求している。この点は、ヤルヴィがもとより得意とするところである。また、弦チェレと比べれば、より古典的で、基礎となる響きがゆたかである点も無視できない。弦チェレが『ペトルーシュカ』と対応しているとするなら、ディヴェルティメントはストラヴィンスキーの新古典主義に対応している。例えば、ペルゴレージの音楽に基づくバレエ音楽『プルチネッラ』だ。N響が本拠地の過酷な環境ゆえに身につけた重みは、いずれの作品でも独特の立体感を付け加える。ただ、ディヴェルティメントのもつ辛口で、古典的な素材集めのような遊びのある構造美は、ショスタコーヴィチとも響き合っている。Aプロの内容と、ここで響き合うものが生まれたといえるだろう。

私はあとの2つを聴いたわけだが、3つのプログラムは相互に関連しており、ある時代のスパンを自在に行き交って、その空気感を漂わせるシリーズとなった。時代的には、社会的にも文化的にも、難しいときに突入していた。だが、反面では、音楽の目新しさと愉悦がまだ分離していなかった最後の時代ともいえる。リヒャルト・シュトラウスやコルンゴルト、あるいはショスタコーヴィチはときに時代遅れと見做され、後世からはそれなりに面白くても、斬新さが足りない印象で見られ、新ウィーン楽派の場合は一挙に進みすぎた印象をもたれたのだが、その点、バルトークはほとんど誰にでも好かれている。最適の場所で、音楽の喜びを世界に伝え続けることのできた稀有な位置に立ったのだ。同じような立場でも、まったく独特の立場に飛翔したクリエイターとして、スクリャービンがいるが、彼に対する支持は限定的である。

時代に順応した才能において、ヤナーチェクとバルトークはこの時代の双璧にあると見做してもよい。前者の真似は誰にもできないが、後者は型を抜いて、なんとなく似たものをつくることができる点で師匠としては相応しい。結局、現代音楽で最後に残ったのはリズムと和声、そして、歌だった。このうち、リズム的な音楽の祖先はバルトークである。ラフマニノフはリズムの上で、相当に質の高いクオリティを生み出したが、協奏曲第4番のバックに聴こえる和声の発想は明らかなモダーニズムを示している。スクリャービンは交響曲第2番において、多くのクリエイターがやがて無視しはじめる旋律についての、圧倒的な個性を示した。旋律の「超新星爆発」といってもよい。バルトークはさらに、音楽の空間性や、オーケストラの機能について、より多義的に考え始めた人物である。彼の発想は後世に、多くの点で受け継がれていき、あるいは、もとはといえば、縁もゆかりもないようなところから再生した。

ヤルヴィの指揮は、こうしたバルトークのもつ歴史的な意義を踏まえながらも、アカデミズム的な響きの硬直を生まず、音楽家がナチュラルに生きていた印象を損なわない。スクリャービンを上回る見事なパフォーマンスで、見えない糸で束ねられた3つのシリーズを締め括った。

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