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2017年12月14日 (木)

デニス・ラッセル・デイヴィス プロコフィエフ 交響曲第6番 ほか 新日本フィル JADE #581 11/29

【フランス6人組とその時代】

デニス・ラッセル・デイヴィスが新日本フィルに初登場したが、なかなかの好相性であった。現在、楽団の体制は上岡で固まっているので、変更の余地は少ないが、可能性があれば、客演を重ねて関係を温めてほしいと願う。それにしても、珍しいプログラムが並んだ。演奏会を貫くキーワードは孤独と協働(他者、もしくは、過去の自分と)、未来への予言と抵抗、本当の愛国心、隠された楽器の役割と関係、2つの戦後と軋む社会、明朗な悲しみ、信仰と平和といったところであろう。これだけのことが、パッと思いつくほどの優れたメッセージに満ちたコンサートだったのである。

まずはいわゆる「フランス6人組」のうち、5人の作曲家による唯一の協働作品となる『エッフェル塔の花嫁花婿』が、名刺代わりのニュアンスゆたかな演奏だった。周知のように、6人組というのは、ロシアの「5人組」と対置する形で、愛国的な批評家グループにより、やや強引に結びつけられたフランス近代の作曲家グループのことである。オネゲル、プーランク、ミヨーといったような超大物から、個性的ではあるが、それよりはひとつ退いた器用さをもつジョルジュ・オーリック、ジェルメーヌ・タイユーフェール、そして、ルイ・デュレといったメンバーが加えられている。後援者としては作家・批評家にして、マルチ芸術家のジャン・コクトオがいた。

彼らは当初、いくらかの協力関係を結んでいたことが窺えるし、例えば、パリ音楽院で同窓だったオネゲルとミヨーは個人的に仲が良かったということもあるようだが、6人のキャリア全体としてみれば、ほとんど何の関係もなかったというほどに、その後、別々の道を歩んでいった。コクトオの滑稽な脚本に基づくバレエ作品『エッフェル塔の花嫁花婿』は彼らの共作としては唯一のものだが、この作品ですら、既にデュレが南仏に去っていて、自らの役割を放棄している。本来は2人のナレーターが入り、舞踊がつくという作品だが、今回は音楽部分だけを組曲的に演奏するパフォーマンスとした。

個性的な作曲家たちが集っているため、作品には様々な味わい方がある。例えば、どの音楽が、どの作曲家によるものかを予想してみるのも楽しい。もっとも、オネゲル、プーランク、ミヨーといったところは特に個性抜群なので、予想は難しくなく、あとはオーリックとタイユーフェールのナンバーを穴埋めするだけなのであるが。ただ、第1曲はオーリックの担当なのだが、デニス・ラッセル・デイヴィスの重い解釈だと、オネゲルが出したアイディアを、オーリックが拾ってつくったようにも聴こえたのである。最初の曲だけに、その後は各自のアトリエに戻ったとしても、作曲家たちが互いにアイディアを出しながら、試行錯誤していた風情が窺われ、この1曲が特に想像力を喚起した。音楽的にはストラヴィンスキーの影響なども聴こえ、WWⅠの総力戦がおわったばかりのグロステスクな社会風景が、ぱっと視野に浮かぶ。

また、デュレがリハーサル直前に完成を放棄した「電報のワルツ」(第6曲)は、全体としてタイユーフェールが手掛けたが、ミヨーがオーケストレーションを助けたという協力関係が露骨に聴こえる。ミヨーは近代以降では珍しく、バロック的な多作家であって、最後の作品に振られたナンバーは443であったという。彼がその天才によって筆を滑らせれば、自ずからユーモア溢れる、個性的な響きのブレンドが織り成す明るい、室内楽的な佳作が生まれるのであった。

なお、エッフェル塔自体は1889年のパリ万博の目玉に据えられ、今日でも同市の象徴として、ナポレオンの凱旋門や、ルーヴル宮、オペラ座などとともに有名だが、その奇観にはモーパッサンをはじめとする同時代の芸術家による批判的な見方もあった。コクトオもその作品や、音楽的な内容から察するに、決してエッフェル塔を無批判に美しいと思っているフシはなく、むしろ、あまりにも高く、威圧的で、グロテスクな存在とみているように思われる。後世、画家のロワール・ロドネーはエッフェル塔の連作で知られ、また、マルク・シャガールもエッフェル塔をよく描いているのだが、これらが実は、浮世絵における左右対称の富士山にエッフェル塔を擬したものであることは、最近の『北斎とジャポニスム』展において、大々的に取り上げられていた。均整のとれた美しさと、市域のなかでひときわ高く、バベルの塔のごとき醜悪さが、先進都市パリのなかで角突き合っていた事情は面白い。

私が特に感心したのは、オネゲルによる「葬送行進曲」だ。ほんの数分の作品ではあるが、同団がアルミンク音楽監督時代に上演したオラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』を思い出し、その密度の濃い響きに陶然としてしまった。のちに調べてみると、デニス・ラッセル・デイヴィスはバーゼル交響楽団の自主レーベルより、オネゲルの交響曲集をリリースしており、定評があるようだ。

既に述べたように、この指揮者による作品の音楽的な解釈は、時代的な重みをしっかりと吸収したものである。しかしながら、音色が豊富であり、個々のナンバーのもつキャラクターを軽妙に生かした点についても強調でき、柔軟なアプローチを示しつつ、作品が示す風刺性が多様に表現されていたと思う。指揮者はアメリカ出身のユダヤ系だが、緻密なヨーロピアン・スタイルが身についており、キャリア初期に積み上げたカペル型の経験からくるものか、豊富なメッセージを滲ませる演奏はたちまちのうちに、聴き手のこころを捉えたものだ。

【未来を予言するプーランク】

最初の作品を歌枕のようにして演奏したプーランクの協奏曲で、思わず涙が出ようとは思わなかった。6人組のときから時代は下り、1938年の作品で、オルガンとティンパニ、弦楽器による編成で、管楽器を用いない。パイプ・オルガンを用いる曲ということで、サン・サーンスの交響曲のように豪勢な味わいがあるように想像され、また、プーランクという作曲家のイメージからは、いかにも酒脱で、前を向くような響きが期待されるのだが、この作品はときに宗教的な威厳を力強く示しながらも、全体的には質素で室内楽的な味わいが深いのである。そして、時折は、そこにないはずの楽器の響きが聴こえてくる。あるいは、目の前ではチェロを弾いている姿が見えるのに、まったく別の神々しい響きがそこから聴こえ、おかしな気分になったりもするのである。

多分、この作曲家はちかい未来、フランスがどうなるかをよくわかっていた。いま使えるオーケストラが半分になったとしても、喪った半分を感じながら、欧州の教会ならどこにでもあるオルガンを使って、音楽の神さまといつでも語り合える作品をイメージしたのだ。そういう意味では、ストラヴィンスキーの『兵士の物語』と発想が似ているのかもしれないが、そこで出現するのは意地のわるい悪魔である。さて、5番目の Tempo de l'allegro initial の部分で、急にプーランクらしい明るい響きになった瞬間、平和で華やいだころの燃え尽きたパリの夢が再現するところで、私は深々と泣いてしまった。芸術家の愛国心とは、正にこのようなものでなければならないだろう。弱く、力のない者の傍につき、すぐには手に入ることのない理想をうたうのだ。

なお、作品の制作に当たっては、のちの大作曲家でオルガニストでもある初演者のモーリス・デュリュフレも助言したということで、独奏の松居直美が披露した短くも、堂々たるカデンツァのような部分に2人の関係が滲んでいる。カデンツァ的な部分は壮麗なものと、静かなものと2つの顔があったのも興味ぶかい。最後は信仰心に溢れるフィナーレが、平和を祈り、困難な時代ながらも、それがつづくことを信じる気持ちに通じているようだった。松居の演奏は以前、ミューザで耳にしたときにはさほど印象に残らなかったのが、この日のパフォーマンスは文句なく、素晴らしいものだった。師のジグモンド・サットマリーを通じて、この時代のフランスで活躍した作曲家については、多くの知見を得ているはずで、予め、それを知っていたわけではないが、ちょっと意外だった彼女の起用は結果的に当たったことになる。

なお、新日本フィルはこの演奏会にティンパニ首席2人を投入し、協奏曲では名手の近藤高顕を起用していたが、同時にソロ・コンサートマスター・豊嶋泰嗣が率いる弦楽器の健闘も光るところであった。

【歪んだ時代に】

最後は、プロコフィエフの交響曲第6番だ。前半のプログラムは戦間期の歪んだ明るさや、不安定な時代を象徴していたが、この作品は一応、戦後になってから書かれた作品である。とはいえ、WWⅡがおわり、ナチスが一掃されたといっても、ファシズムが世の中から完全に消え去ったわけではない。例えば、フランコ政権のつづくスペインや、貧しさのなかで独裁者がポコポコと生まれる中南米諸国などにおいて、地域的には独裁の火種が保存されてしまったのだが、その歴史の一端は今季の別の演奏会で、ロドリーゴの『アランフェス協奏曲』や、グラナドスの『エスタンシア』の演奏によっても体験できたところである。ロシアのスターリニズムもそのひとつであったが、プロコフィエフは1936年に望郷の念やみがたく、帰国を決意し、独ソ戦やスターリン独裁の時代を雪の下で過ごすこととなった。交響曲第6番は1946年から47年にかけて作曲されたのだが、1948年に始まるジダーノフ批判に曝され、僅かな間しか演奏されなかった数奇な運命を辿る。

批判は容易に取り消されず、プロコフィエフはスターリンと同じ日に亡くなるのであるから、この時期の体調悪化とともに、大きな痛手となった。作品は3楽章形式で構成され、晦渋な最初の楽章から始まって、交響曲第5番と同様に、同時期、もしくは過去のバレエ音楽や交響作品の素材などを踏まえて、第3楽章では急に明るくなる。だが、それも実は見せかけであった。私は前列のほうに席をとり、弦楽器の響きがよく届く場所にいたのだが、序盤では、その塊をまるごとパッケージしてしまうような金管の響きが印象的だった。あれこそが抑圧の響きの象徴だったとするなら、そこから脱け出して、自由に演奏することの大切さを、プロコフィエフは訴えたかったのかもしれない。

この演奏会に直接は登場しないのだが、フランス組とロシア組をシームレスにつなぐキーマンとして、ストラヴィンスキーの影が感じられる。だが、プロコフィエフとストラヴィンスキーでは、あらゆる意味で対照的だ。ストラヴィンスキーは国を出て、二度とロシアに戻らなかったが、プロコフィエフは祖国の酷い状況を知りながら、敢えて帰国した。ストラヴィンスキーは時代状況に順応して、最終的に便よく米国まで渡っていき、若いご内儀をもらって何不自由なく過ごす。初期の『春の祭典』のような作風から、新古典主義を経て、新ウィーン楽派の音列技法までマスターし、自由な表現を貫いた。一方、プロコフィエフは衰退していく肉体を抱えるなかで、社会主義の厳しい批判に堪え、その作風にも影響が見られるようだ。ストラヴィンスキーに対して、ショスタコーヴィチは厳しい見方をとっているが、プロコフィエフに対しては共感している。彼は困難に堪えながら、祖国のために賢く生き抜くという人生に価値を見出していたのかもしれない。

プロコフィエフも、ストラヴィンスキーと同じ新古典主義を通過して、前衛的な手法に至った。彼は過去の素材をよく参照し、それが自分の作品であっても、ほかの作品と共用した20世紀のバッハ的な存在でもある。ストラヴィンスキーもペルゴレージに代表されるイタリアのバロックの作曲家に憧れを抱き、『プルチネッラ』のような美しい作品を編み上げたのだが、その後の身の処し方は大きくちがっている。音列主義などに進み、抽象的な表現の純化に向かっていくストラヴィンスキーと比べて、プロコフィエフがもっともよく、自分らしく書けたのはWWⅠより以前のことであり、特に帰国以後はロシアの文物や、その他の古典文学をもとにしたロマン派のような仕事や、おとぎ話に基づくような具体的な仕事、さらに旧作の固執した改訂作業などが多いのである。

交響曲第6番・終楽章の明るい秩序に満ちた音楽は、彼の将来を逆さまに予言するかのように響いている。そして、太鼓の活き活きとした響きだけに真実があるのだ。ロンド・ソナタ形式を選んで、同じ素材が繰り返す仕掛けには意味があった。一見、同じ素材のもつ意味は、中間に挟まれた音楽の雰囲気から繰り返されるごとに変わっていき、序盤から頻りに後方から誘っていたティンパニの響きに象徴されるような、無秩序の織り成す対位法へと次第に解放されていくドラマが隠されていたのである。当時のプロコフィエフはまだ政府からの批判を受けていなかったものの、社会の雰囲気を肌で感じ、このあと、自分たちがどういう音楽を書くことになるのかを思い描きながら、創作を進めたかのように感じる。他の部分が巧妙にダミーとして組み立てられ、一見、何の意味もない打楽器の野蛮な響きだけが意味をもっているという音楽の構築は、非常に示唆的である。

ここで思い出すのは、モスクワ放送響の顔にもなっている打楽器奏者アレクサンドル・サモイロフの、逸脱的なパフォーマンスだ。例えば、ハチャトゥリアンの音楽において、彼がスコアに示された以上の奔放な演奏で聴き手を魅了するのは、恐らくは、指導的な中央とは異なる民族主義が許されないソヴィエト時代の名残りである。表向きに表現される音楽の整然とした美しさに対して、サモイロフはそこで抑圧され、隠された民族の響きを人知れず再現していたのだ。同団を長く率いたウラディーミル・フェドセーエフのような優れた指揮者は当然、それに気づきながらも、彼の自由を赦していたのである。政治に関わる以外のことでは、音楽に関心のない役人や治安担当者には到底わからず、音楽家と、関心の深い聴き手だけに伝わる秘密のメッセージがそこにあったのだ。プロコフィエフがやっていることは、正にそういうことの先駆けだったのかもしれない。

例えばムラヴィンスキーのように、流線型のフォルムを整えず、頑固にテンポが抑えられるなかで、一時の無音から河村(fg)→金子(ob)→重松(cl)と継ぎ、全体にモティーフが広がっていくときの印象が、同様にクライマックスを成していたことは言うまでもあるまい。これは正に、人知れぬ誘惑のメッセージが実現した結果だからである。デニス・ラッセル・デイヴィスは、この作品にこめられた本当のメッセージを見つけ出し、見事に蘇らせてみせたといえるだろう。それから、バス・クラリネットの素晴らしい音色なども華を添えた。深く、地獄に我々を引きずるような響きが、どれほど作品のもつ味わいを明確にしただろうか。とはいえ、最後は派手に演奏がおわるのだが、5秒くらい、しっかりと作品の意味を受け止める沈黙があったのも嬉しかった。それは、表現が確かに客席まで伝わったということを意味するからである。

どの曲も、この先、なかなか聴くことはない作品であろう。それを最高のパフォーマンスで見せたオーケストラと、指揮者の手腕に敬服しないわけにはいかないのだ。

【プログラム】 2017年11月29日

1、フランス6人組(-1) バレエ音楽『エッフェル塔の花嫁』
2、プーランク オルガン、弦楽器とティンパニのための協奏曲 FP93
 (org:松居 直美、timp:近藤 高顕)
3、プロコフィエフ 交響曲第6番

 コンサートマスター:豊嶋 泰嗣

 於:サントリーホール

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