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2018年5月10日 (木)

1年後の映画『愚行録』 (石川慶:監督、貫井徳郎:原作) 妻夫木聡&満島ひかり~映画評としてではなく、社会論として

【満島ひかりが目当てだった映画】

石川慶監督のデビュー作となった映画『愚行録』は、直木賞候補作となった長編ミステリーで、貫井徳郎の原作をもとにしています。観た直後は素材はよくとも、映画としてのクオリティは不十分と感じたのですが、2017年2月の公開から1年以上を経て、じわじわと時代を映す鏡として光を増してきています。同時期に話題になったTVドラマに、「ヒットメーカー」坂元裕二の脚本によるTBS系列の『カルテット』がありました。そこで主要キャストのひとりを演じた、満島ひかりを目当てにみた映画でした。

満島は最近、芸能界に多い外国人の血が混じったクォーターの女優で、歌手やダンサーとしても才能があります。その美貌はいうまでもないのですが、個性的な演技力が突出しています。熊林弘高の演出によるチェホフの舞台『かもめ』もBSテレビで放映されましたが、その退屈な演出のなかで、唯一の希望が満島の活き活きとした演技にあったことは明白です。彼女の台詞まわしは演劇のための演劇を舞台で繰り返している役者たちと比べると、きわめて自然なものでありながら、突き刺さるように言葉を生かし、観るものを芯から動揺させます。独特なリズムと、天性の声が素晴らしく、意図されたものでは望めない、神秘的な深さがあります。

私は満島が目当てでしたが、人によっては妻夫木聡かもしれないし、小出恵介ら、8人の主要キャストは皆、人気があります。

【犯行の経緯とメッセージ】

さて、映画のなかで、いまは別件で刑務所にいる満島が殺人犯である展開は、最初から気づくようにできており、いわゆる推理ものとは一線を画す内容といえます。主演は満島の兄で、記者役を演じる妻夫木聡といえます。その妻夫木は足が不自由なのですが、バスの優先席に座っていたのを他の客に叱責され、降りていくときに彼の事情がわかって、周りの人もあたまを抱えるところから物語が始まります。

満島の引き起こした一家惨殺事件は、映画のなかでは未解決事件として残っているようです。妻夫木は、その事件を再調査する記者として登場するのですが、実は妹の犯した罪に気づいており、その犯行に気づく可能性のある人間を消すために行動していた、というのが最大の「ミステリー」となります。しかし、実際には、この作品は社会の下層から頑張って浮揚しようともがいていた女子学生が、慶應を思わせる名門大学で階層の壁に隔てられ、社会的に優越的な地位にある者、つまり、もとから裕福で、家柄のよい他の学生たちから、いいように弄ばれる過程を描くことが主眼となっています。

名門大学では付属校から上がってきて、既に人間関係のできているエリ-トたちのグループと、一般入試からきたフツーのグループがあります。まず、ここに大きな落差があり、ほとんど互いに交じり合わない隔壁が存在するようです。エリート・グループの中心となる学生は、その地位に見合わない贅沢な暮らしをして、高級車を乗りまわし、豪華な私邸でパーティを開いています。経済力や容姿によって、フツーのグループから、エリートのグループに移っていくこともあるのですが、エリート側にもヒエラルキーがあり、それを高めていくもっとも簡単な方法が性的な関係のようです。

ヒエラルキーの低い人たちは、多かれ少なかれ、より高い階層から被害を受けているのですが、ある意味ではギブ・アンド・テイクであり、優越的な地位そのものは冒されないようになっています。もっとも、その最下層に引き上げられた満島は別でした。彼女がもっているのは美貌と明るい性格だけで、もともと孤児の兄妹で施設育ちの家柄ではまったく話になりません。男たちは彼女が自分の相手としては、まったくモノにならないと知っていて、彼女との性的な関係を望み、結局、上から下へと輪姦していくような形になっていくのです。彼女はいわば、エリート・グループのなかの公娼として、人格を破壊されていくことになります。そして、男たちとのつなぎ役になった、もうひとりの美貌の女性の一家こそが、のちに惨殺された一家だったのです。

この作品のテーマは、今日の社会そのもののなかにある「愚行」、明らかな悪徳や薄っぺらな正義に至るまでを、ストーリーに沿って、ひとつずつ摘発していくことにあります。そのなかで最大のテーマは、有利な立場にいる側の者たちは自分たちが「多少」とみる悪を見過ごし、決して、優越的な地位を手放そうとしないということです。そして、そこで弄ばれるものを嘲笑うことで、自らの慰みにしているという事実です。この映画を観る人たちに、監督は作品を通じて語りかけているように思えます。確かにあなたたちは、ここで描かれている人物のことをよく思わないでしょう。しかし、あなたがたがこの人たちのように、有利な立場に立っていたとしたら、あるいは、まだ有利だと思っているとしたら、理想的な行動がとれるのでしょうか。

記者によって、もっとも危険な人物として成敗されるのが、エリート・グループのひとりだったカフェの女性オーナーです。その前にもうひとり、妹の犯行の可能性に気づいていた子連れの主婦がいたのですが、彼女は同じ記者と話しながら、惨殺のシーンはありません。シーンの外で殺された可能性はありますが、多分、それはないだろうと思えます。彼女は秘密を喋ろうとして、寸でのところでやめているからです。記者からの無言のメッセージに気づき、何も喋らないのであれば、彼が罪を犯す必要はありません。多分、大学の同僚と記者の姓が同じであることに気づいて、証言をためらったのでしょう。一方、カフェのオーナーはそのことにさえ気づかず、かつての友人に対して、悪口雑言を並べています。そして、兄は凶行に及ぶのです。このカフェのオーナーは、前半の場面で自分のところの従業員のミスを厳しく咎めているシーンがあるように、ある意味では社会的なモラルの高い人物といえます。優先席の記者を叱責した人物と、同じ種類でしょう。ところが、一見、正しそうに見える行動も、あまりにいきすぎたものは他者への攻撃性を帯びたものとなります。このことは、我々もSNSなどをみていて、よく感じることではないでしょうか。

最後のほうで、満島は笑いながら、自分の犯行を自白しています。この彼女の姿は、それまで嘲笑されながら生きてきた、彼女による「軽い」復讐であることを示しています。実際、彼女が犯行を決意したのは商店で、かつて自分に卑劣な振る舞いをした女性が、自分にまったく気づかなかったことによっています。軽い理由なのです。ところが、その行動を紐解くためには、私たちが容易に想像もできないほどの重みがあったということです。だからといって、罪を犯してよい理由にはなりません。しかし、彼女の声には聞くべきものがあります。そんな告白のメッセージを聞くべき医師は肝心なところで、別の用事で中座しており、この大事な証言を聞くことができません。これも、決定的な問題のひとつです。ほぼ見えている事実に目を閉ざす。大事なことは聞いていないのですから。

【この時代】

これと相反する爽快な場面は、兄の復讐ではなく、満島がまだ希望に溢れていた時代の姿です。彼女がひたすらに走る場面は、この映画のもっとも美しい場面といえますし、この妹のもっていた人間的な魅力をすべて物語っています。同時に、その走りは不幸をもたらし、罪につながっていくものです。ただ爽やかに走るだけの女性が、知らないうちに悪徳や罪に流されていくのが、この時代なのです。

1年後、私たちはこの映画に、もっと相応しい事実に直面しています。当時はまだ疑惑であった安倍総理のスキャンダルが、いまは、より明確に表に出てきました。本日、5月10日には、その秘書官である柳瀬氏が加計学園獣医学部をめぐる問題で、ほとんどクロといえる証言を、シロである証拠として話しています。もう、みんなが、何が起こったかは分かっています。森友・加計、略して「もりかけ」問題で、一貫して総理がシロだと強弁する人も含めて、不正があったことを知っているのです。事実の認定よりも、自分がどうすれば有利な立場にとどまれるのかが、この問題の行く先を決めているように思われます。政権の中枢がこうであれば、官僚、法曹界、地方行政、警察、治安部隊(軍隊)、大企業、メディア、教育現場等で、どんなことが行われているかは目に見えています。

『愚行録』に描かれているように、レヴェルの差こそあれ、みんなは事実をみているし、何が起こっているかを知っているのです。しかし、目を閉ざし、耳をふさぎ、口を閉じて、自分が有利になる方法を無意識に選択しています。徳川家光は、祖父を祭る日光東照宮に三猿を彫って、このような世間の真実をみごと浮き彫りにした左甚五郎を咎めようとはしていません。江戸時代は、そういう時代だったといえます。

先に示したような監督の問いには、誰も答えることができないでしょう。自分が有利なほうにつく、違法行為があろうがなかろうが、得なほうにつくという人がほとんどです。本当に、そこにつくことが、それぞれの利益にかなっているどうかはわからないのですが。幸い、徳川時代は200年の矛盾がつづきましたが、そのなかで、江戸は庶民レヴェルでも、世界でも有数な知能の集積地となり、それが明治維新以降の激動で日本を守ることにもつながっていきます。現代のピッチは、それと比べてずっと速いのが特徴でしょう。恐らく、このようなことをつづけていけば、日本でも遠からずスラムが生まれ、反社会的勢力が伸長し、一部は外国の凶悪な組織と結びついてしまうことになります。不満を持った人たちの一部は、テロリストになっていくかもしれません。妹を守るために、記者が実力行使に出たのと同じ論理です。普通の人よりは発信力のあるはずの記者ですら、もはや暴力でしか、対抗の手段がないように思われてしまったのでしょう。

【ジャーナリスト】

真実を知るジャーナリストが、罪を犯すということも矛盾のひとつです。最近、テレビの報道記者が高級官僚によるセクハラ行為を他社の週刊誌に売り込んで、問題になりました。これは女性の所属社が高級官僚との対決を避けたことで、行き場のなくなった被害者のとったやむにやまれぬ行為として理解はできますが、明らかな悪徳として、このような行為がおこなわれる可能性もあります。例えば、妻夫木の演じる記者はその立場を私的に利用し、真実を握りつぶして暴力によって復讐を果たすのですから、この作品のなかで、もっとも罪の重い人物ということもできます。ただ、それを強いる悪臭のほうが、はるかに罪深いという、もうひとつの矛盾を伴っています。

メディアにはまだ、選択権があります。その行使が正しくおこなわれていると信じている人は、日に日に減っています。右巻きも、左巻きも、いまやメディアによる報道姿勢に満足している人は一人もいないでしょう。また、日本では新聞社や出版社といった会社の握る主導権が強すぎて、ジャーナリスト個人の地位が上がることを妨げてきたと言えます。その分、ジャーナリストの資質や教養が有効に蓄積されていないことは否定できません。

私はクラシック音楽が好きですが、この分野のジャーナリストは典型的ともいえます。それぞれが専門の分野で持っている基礎的な知見はあるのですが、メディアのなかにいることで、それが研磨されることはなく、付け焼刃の素人のほうがよいことをいう場合も多いのです。来年の仙台国際音楽コンクールでは、日本のコンペティションでは珍しく、ボストン・グローヴ紙で長く論評を書く記者のリチャード・ダイヤー氏が審査に参加しますが、こうした外国の評論家と同じだけのステイタスを備えた評論家、もしくはジャーナリストは日本に存在しません。長くいる人はいますが、ただ長くいるだけで、それに応じたスキルの研磨に欠けているのです。

【補足】

映画としての『愚行録』は、音楽や映像の素晴らしさも内包している作品です。しかし、「録」という作品の性格が、いまひとつ響かなかった原因だと思われます。設定の問題もありますが、キーマンである満島ひかりも、その才能を遺憾なく発揮しているとは言えません。彼女らしいのは、たったの数秒で、そこがもどかしく感じました。あとになってじわじわと、この映画にはすべてが描かれていたと感じることになったのです。映画として、もういちど観たときに、私は何を感じるでしょうか。興行収入は1億2500万円と、商業的に当たったとは言い難いレヴェルでしょう。キャストなどから想像できる高額の製作費を考えると、不十分といえそうです。映画ドットコムなどのサイトやヴィデオの評価は3.5-3.6程度となっており、嫌悪感を与える暗い内容の映画ながら、そこそこの共感を得ていると思われます。しかし、より多くの人に見てほしい価値のある映画だったと評価を見直します。

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