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2018年10月 6日 (土)

野村誠&中川賢一 生誕50年記念 2台ピアノ・コンサート オリヴィエ・メシアンに注ぐ20のまなざし ほか 9/4

【一期一会の音楽】

台風の影響で交通機関が大幅に乱れ、早めに着いた私たちはあとからくる人たちを待つ間、飲み屋で聞くようなはなしも耳にできて、楽しかった。作曲家の野村誠はとにかく、世の中の役に立つ人だ。論理だけで生み出された目新しさや、美しい旋律などにこだわらない現場主義、できたて手作りの音楽。自らの関心を自由に表現し、そこに乗ってくる人たちを温かく歓待する音楽。その場に集う人々を明るくし、前向きな気持ちで家路につかせる音楽を得意とする。ところが、そうしたものが、例えばジョン・ケージの「チャンス・オペレーション」にちかい形となってしまうようなことも。理論的に構築し、知的に名付けられたものと、開放的な雰囲気のなかで、自然と成り立ってきたものというちがいこそあれ、両者にそれほどの差があるのだろうか。

米国のジョン・ケージは東洋の易占に関心をもって、古いうらないの表に基づき、コインを投げて偶然的に生成する音楽を生み出したという。「チャンス・オペレーション」と名付けられた前衛音楽の試みは、意外と歴史が古い音楽の遊戯の伝統にも則っているのか、私には詳らかでない。つまり、モーツァルトの時代にもサロン向けの遊戯として、小さな舞曲の素材をたくさん用意しておき、サイコロを振って素材を選んで、曲をつなげていくものがあったというのだ。現代の野村誠は相撲をめぐる1日の流れを音楽にし、太鼓の叩き方にも新たな感覚を見出して、ときに人々を参加させ、一期一会の音楽をつくる作品を世に問うている。高い尊敬を集める作曲家たちの偉業からみて、彼の仕事は一歩も後退していないのではなかろうか。

確かに、若干、お茶らけた人物のようではある。いかにも「作曲家」というような、威厳には恵まれていない。子どものころには相撲をやっていたというが、食べても太ることができず、次に関心の深かった作曲の道に進んだのだという。いまでも、身体はひょろっとしている。だが、中学生のころのアイドルが、既にメシアンだったというのは普通ではないだろう。故柴田南雄氏の著作のなかで表現された作曲家に対する解説を読んで、実際の音楽とのギャップがいちばん深いと感じたからだという。当夜は、そのメシアンによる2台ピアノのための傑作『アーメンの幻影』の一部と、野村による『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』のパロディ『オリヴィエ・メシアンに注ぐ20のまなざし』の世界初演がメイン・プログラムになっていた。中川賢一をゲストに迎えている。

【自分にはこう見える】

作品のなかには多くダジャレが潜み、大相撲の星取表がそのまま音楽に加工されたり、ワークショップでおこなわれた音楽的内容が偶然的にまとめられて、ひとつの作品へと生成されたりする。京大の出身で、国内の音大を出た経歴は見当たらないが、独学であっても、その吸収力は並外れて意欲旺盛な学生たちにも勝ることだろう。中川賢一も古典派音楽から現代音楽に至るまで、エンサイクロペディア的な音楽家だが、その彼をも楽しませるような発想の宝庫である野村の音楽を、一言で表現することは不可能だ。クラシックから、伝統音楽、通俗音楽を含む世界の多様な音楽のかたちに精通し、パロディ的な展開力の図抜けた広さをみるにつけても、やはり、天才的な能力をもつ音楽家というほかない。例えば相撲をめぐる音楽的な様相と、信仰と理論に裏打ちされたメシアンの音楽のもつ圧倒的なクオリティに、彼は敢えて差をつけない。対象がもっている面白さを自分なりの感性で捉えなおし、異化する技法はどういった対象を前にしても揺るがないのである。小難しい理屈の金型から音楽を救い出し、自分にはこう見えると主張し、元の位置からずらしてみて、改めて自分たちのものとして見つめなおすという才に長けている。

【実践】

前半のプログラムは、『日本センチュリー交響楽団のテーマ』で始まる。元は「大阪センチュリー交響楽団」といった楽団は橋下徹が大阪市長であった際、市から出ていた補助金を段階的に100%打ち切る決定がなされ、「民営化」された。富豪からの遺贈を得るなどして存続を図っていたが、現在は民間企業や個人などの支援でなんとか活動をつないでいる。これは2015年に楽壇の支援を呼びかけるために、街頭で楽団名を呼びかけるときにつくられた音楽だという。終盤では当時の団員に扮した若者が、客席に基本モティーフ「ニホン センチュリー コウキョウ ガクダン」と叫ぶよう、客席にむかって何度か呼びかける。

『おっぺけぺーの種を蒔け』は明治時代に川上音二郎(浮世亭○○)が流行させた、政府批判を含む風刺的な大衆歌『オッペケペー節』を用いたパロディ作品だ。「パロディ」は現実そのものや、真面目な作品を面白おかしく表現することが多いが、この場合は元来、笑いを軸とした道化風のパフォーマンスをパロディ化しており、マイナスにマイナスをかけて、プラスとも、さらなるマイナスとも見られるような解を引き出す独特の発想である。「権利幸福きらいな人に。自由湯をば飲ましたい。【中略】外部(うはべ)の飾はよいけれど政治の思想が欠乏だ。天地の真理が解らない。心に自由の種を蒔け。オツペケペ・・・」と始まる中身で、冗長な全体のうちで最初の段の文句だけが使われている。オーディエンスへの呼びかけはないが、大音声で奏者がいまの文句を唱えるカタチになっていた。政治の腐臭は明治のむかしも、現在も変わらないのか。これらの文句とともに、野村が関心をもっているのは、ナンセンスなフレーズ「オッペケペー」の繰り言の愉快さだろう。

その後の2曲は、宮城県柴田郡(仙南地域)に位置する「えずこホール」での、独特な活動から生まれたものということだ。同ホールの基本コンセプトは、住民参加型の文化創造施設。ワークショップや講習会などを活発に展開し、住民たちが自分たちでつくり、支え合うための芸術活動が広範に組織されており、全国のアート・マネジメントが見習うべき実績を挙げているそうだ。『テキストのたね』はワークショップのなかで参加者がひとつのテキストをわけあって朗読し、ときには声が重なったりする実践を瞬時に音へと移した即興的な作品で、ごく短いもの。同館の10周年のイベントで、そのハイライトをまとめた『十(テン)年音泉』はワークショップで使われた素材などを散らした作品だという。ジャズ風の部分もあり、なかなかに多彩である。メシアンの生み出した素材にも、ジャズに似たような部分があるといい、弟子には加古隆のような人もいるが、ジャズは野村にとっても身近な素材のひとつだろう。ジャズに加え、ガムランの響きや、相撲といったところが、彼の関心の深いところに置かれている。

既に書いたように相撲取りを志した野村は挫折後も、大の相撲ファンであるようだ。仲間の作曲家、鶴見幸代や樅山智子とともに立ち上げた日本相撲聞芸術作曲家協議会(Japan Association of Composers for Sumo Hearing Arts=JACSHA)では、ユニークな活動が展開されている。夕方4時か5時くらいからテレビをつけ、十両か幕内ぐらいから結びまでの取り組みを見て、弓取式から太鼓の打ち出しを聞いておわるというのが普通のファンだが、そこに至る相撲の一日は長い。朝の寄せ太鼓に始まり、太鼓を用いた音響イベントがいくつかある。そのなかで、力士たちは前相撲から、正午すぎの十両力士の土俵入りを経て、幕下、十両から、幕の内へと取り組みをつないでいくのである。その間にも呼び出しや、行司さんの「残った、残った」など、聴覚に訴えるイベントが多い。私はさほどの相撲ファンでもないので、こうした流れを今回、初めて知った。『相撲聞序曲』は、こうした相撲興行のなかの音響イベントをまとめたものだという。しかし、生のまま写し取るのではなく、太鼓の節が野村には南米の音楽のように聴こえたということから、その雰囲気で楽曲にしている点が面白い。

彼らは大相撲だけではなく、地域に伝えられるような古い相撲の楽しみにも通じている。『相撲の譜』の一部ではそうした一地域のイベントで、子どもたちが土俵に上がる、それを親がスマホで撮影するという光景を、聴き手を巻き込んで実現している部分もあった。演奏の模様を携帯電話(スマートフォン)で撮影させ、それを再生させて、ズレを楽しむところは不思議な雰囲気だが、「動画が残った」の文句には苦笑する。前方の客席にはなにやら紙が流されて、そこに客が適当に書き入れた要素を入れて即興的に演奏するシーケンスから、最後は手近な聴き手を引き入れて、鍵盤を叩かせる自由なパフォーマンスまで加わって終止となった。

【メシアン作品との対話】

メシアンの『アーメンの幻影』がメイン・プロを飾るはずであったが、諸事情で終盤の3曲のみとなり、野村が新たにパロディをつくって、フィナーレとした。日本でも上から数えたほうが早い巧者である中川賢一のどっしりした音圧と、多様な表現の抽斗が、野村の素朴なパフォーマンスを下支えする格好の演奏になった。野村は普段よりも椅子を上げ、対応したという。技術的なものでは確かに中川に分があるが、謙遜するほど、野村もアップアップではない。普段とは異なる高さで演奏するのは弾き手に対して相当の負担を与えるはずだが、彼は一見、苦もなく演奏をつづけていた。そして、彼の演奏を観察することはときに、作曲家独自の観点を感じられることでもあり、すこぶる楽しい演奏ぶりだったのである。全体のうちの後半3曲だけで、メシアン独特のやんわりと、静かに発展していく段階的なプロセスを欠くものの、巧みな事前の解説も手伝って、この日、もっとも熱い賞賛を浴びた。

この完璧な調和と、独特な発想を伴った作品と比べれば、野村の新作がどれほどの価値があったかについて、言及することは難しい。前半の曲目ほど、(異)端的な特徴をもたない内省的な作品は、彼にとって大きな挑戦だったにちがいない。メシアンの偉大さとは、かくも内省的な声を巧みにカタチにし、独特のルールで結びつけていく技術と表現の優雅さにある。これは読響を指揮するカンブルランの演奏で、顕著に感じたことのひとつだ。野村はもっと、わかりやすい造形を好み、自己の内面の深々とした表現よりは、その交流に身上があるとみてよい。『アーメンの幻影』には基本的に偶然性は想定されていないが、2人の奏者でまったく同じ動きを重ねるような場面では、鍵盤楽器でさえも、決してひとつにはならない人間の個性、もしくは、楽器(ピアノ)そのもののちがいを予期しているようにも思えた。野村の創作においては、そうした微細なちがいこそが決定的なモティーフとなり得るのだ。実際に響いてくる音のカタチや重なりよりは、それが寄ってきたるまでに使われた発想や、精神の葛藤、あるいは、賽子を振るような感覚で飛び出すダジャレのほうが大事な作品で、そこに集う演奏家と聴き手の感覚が鍵を握るなかでは多くの言葉は必要ない。

【まとめ】

パフォーマンス全体を振り返ってみれば、例えば相撲への思い入れの差において、2人の演奏者の個性は決定的に分けられている。力士のポーズをとり、鼻息もあらく相手と向き合う作曲家に対して、それを最後にはいなしながらも、いちどはバチンと音を立ててぶつかる中川の、懐の深さがゆたかなパフォーマンスにつながった。もしも相撲が好きなもの同士、僕たちが昔、小学校のひと隅で友達と相撲を取ってみたように、無邪気に音楽してみたとしたらば、どれだけ面白いファンタジーが生じたのであろうか。それとは別のものだが、作曲家の自由を横綱のように受け止めた中川には、野村もまた大きな畏敬を感じているように見えた。彼のようなパフォーマンスは、不可欠だった。

一見、脱力を誘うようなシャレであっても、その意味は二重三重にかかっていて、彼の音楽の大事な部分と必ずインターフェイスをもつ。いまは、下らないと思うかもしれない。だが、仮に200年後に彼の作品が残っていたとして、後世の人々がダジャレで音楽の秘密を紐解いていく様子などを想像してみると、もう、笑顔しか浮かばないのである。近年、作家の町田康が古典の『宇治拾遺物語』を訳して話題になったが、その種のユーモアを感じないだろうか。単に面白おかしいというだけでなく、ときどき、そういう部分にこそ現れる、人間の隠された真実とでもいうべきものが浮かび上がることもある。彼のもつ独特の感覚は音楽的に味わい深いだけでなく、社会的にも有用な作用をもつ。いままでに聴いたことがない音楽の開発や発見というのも大事なことだが、野村はさらに本質的な意味で、人間の支えとなるような音楽を書きたい創作なのである。

【プログラム】 2018年9月4日

1、野村誠 日本センチュリー交響楽団のテーマ
2、野村誠 おっぺけぺーの種を蒔け
3、野村誠 テキストのたね
4、野村誠 十年音泉
5、野村誠 相撲聞序曲
6、野村誠 相撲の譜
7、メシアン アーメンの幻影(6-8曲)
8、野村誠 オリヴィエ・メシアンにそそぐ20のまなざし

 pf:野村誠、中川賢一

 於:両国門天ホール

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