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2018年12月21日 (金)

現代音楽コンクール 競楽XⅢ 白小路紗季が第1位 12/16

【競楽の概要】

1945年以降に書かれた独奏、もしくは、室内楽のための作品(クラシック音楽)で、そのパフォーマンス、演奏家としてのセルフ・プロデュース・スキルを競いあう現代音楽演奏コンクール『競楽XⅢ』を聴いた。私は’XⅠ’に初めて足を運び、素晴らしいイベントであることを確認してからは毎回、2年おきの開催に欠かさず足を運ぶようになった。今回も16日の本選会を聴いたが、本当に素晴らしい演奏者ばかりが並んで、腕比べというには勿体ない。あり得ないことだが、自分が審査に参加して同様に25点をつけることができるとしても、ほとんどの人は満点以外につけようがなく、採点には頭を抱えてしまうことだろう。誰が受賞したとしても不満はなく、その差はジュリー各々の価値観や趣味に基づくものでしかないといってもよい。

なお、今回から主催に日本現代音楽協会(現音)とともに名を連ねていた朝日新聞社が手を引き、「朝日現代音楽賞」がつかなくなったものの、さして大きな影響はなく、賞金は20万円ほど減ったが、審査員は現音会長の近藤譲を委員長として、作曲家で各方面に影響力がある一柳慧と、北爪道夫、音楽プロデューサーでPMFなどの仕掛人だった浅岡寿雄、アンサンブル・ノマドの主宰で、現代音楽演奏活動の一線に立つギタリストの佐藤紀雄が顔を揃え、参加者のモチベーションを上げるには十分すぎる構成だった。12人の本選参加者はすべてソロで、伴奏者もいない。前回(競楽XⅡ)は電子音響を用いた疑似室内楽を試みる者も多かったが、そのときに電子音響と生音とのバランスが難しかったせいか、今回は敬遠されているフシもみえた。

【ラウタヴァーラとデニソフ】

演奏は、ピアノの栗山沙桜里のパフォーマンスで始まる。この方の演奏の特徴はコップが溢れても、常にギリギリの量で満たしておくような音響コントロールの巧みさにある。ただ一定に頑強というわけではなく、弱奏であっても、響きが高い密度で詰めあわされているという感じだった。演目はデニソフとラウタヴァーラで、それぞれに管弦楽曲でよく演奏されるレパートリーはあるとしても、鍵盤ではなかなか耳にする機会もない作曲家である。ただ、ラウタヴァーラのソナタ第2番’Fire sermon’は投稿動画サイトでもジャンジャン音源が見つかり、誰かが広めたのだろうが、かなり強烈なレパートリーと思えた。デジタル時代の音響クラスタと、吹雪や炎の発する自然の響き、そして、伝統的に人々が受け継いできたものが、激しく交錯する作品だ。寒風のなか、燃えさかる炎が燦然と描写され、そこから、さらに深い内面的な描写へと移り変わっていく。要所ではタイル状のクラスタを緻密に並べるような素材が浮かび、やや民謡調の、旋律的主題が散らされて、印象ぶかいテクスチャーを形作っていくのだ。なお、北欧のプログラムを得意とする舘野泉は、”Fire sermon”を「火の説法」と和訳して、この国での普及活動に役割を果たしている。

デニソフの”Reflets”とは、北方の雪深い風の重みだけがよく共通しているが、作品そのものは、まるでそっぽを向きあっているかのように異なっていた。デニソフは重く、暗い道のりを、ザックザックと歩む足どりが力強いが、ラウタヴァーラのソナタでは、それを天から拝むような俯瞰性が感じられる。だが、最後の部分でまた深く潜り、腹の底から響く低音でおわる。ほぼ弾きおわっていたと思うが、ベルが鳴った。このイベントは通常のコンペティションとは趣が異なるのだから、演奏者のパフォーマンスに敬意を表し、著しい超過でなければ、そんな風に区切るべきではなかったと思う。動画サイトの音源をひとつひとつ聴いていっても、栗山の演奏が飛び抜けてよかったことがわかる。そのピアニズムは清楚だが、充実している。いきなり目の覚めるパフォーマンスを披露して、第2位を獲得したのも頷けようというものだ。

【シンプルなアイディアを飾らずに】

つづくクラリネットの吉川裕之は、楽器のもつ良さをシンプルに引き出すことを重視したパフォーマンスで、際立った驚きこそ少ないが、好感が持てる奏者だった。Paul Méfanoの”Involutive...”はとりわけ、ストレートにクラリネットの音色をゆたかに引き出した佳作で、吉川の演奏ではタンギングなどに特徴が出ている。Méfanoはパリで教育面でも長く活躍し、現代音楽のアンサンブルを指揮するなどして、広く普及することに非凡な功績があった。日本であまり顧みられていていないものの、Méfanoのつくる響きは深く追っていくに値するクオリティのあるものが多い。その魅力に対して、吉川の演奏はやや色気を欠くところもあった。湯浅譲二の『クラリネット・ソリチュード』は倍音の面白さを科学的に引き出した作品で、重なっている響きをピンセットで引きはがし、解剖したような面白さがある。独特なものは何もないようだが、シンプルなアイディアを飾らずに吹く吉川のパフォーマンスにもそれなりのクオリティがあった。

【ガーディアンとしての責任感】

3番目はピアノの鈴木友裕で、2回連続の「競楽」本選への出場は立派だ。過日、前回の’XⅡ’で第2位だった小倉美春とのデュオにより、シュトックハウゼンの大曲『マントラ』に挑み、感動的なパフォーマンスを披露したばかりで、個人的には注目していた。ときに天衣無縫ともいえる小倉のキャッチャー役として、懐の深い演奏をつづけた鈴木だが、今度は自身がマウンドに立ち、恩師の金子仁美と、ブライアン・ファーニホウの作品で鋭いパフォーマンスを見せたのだ。前回の「競楽」は2年前で、彼の演奏は印象に残らなかったが、この年代の若者たちの成長は短期間で目を瞠るものがあり、まるで別人のようだった。特に内面的なものの進化が著しく、自信に満ちて、悠々としたピアニズムを獲得していたが、打鍵には弾力があり、技術的な精度にも磨きがかかった。

彼はピアニストでもあり、作曲家でもあるので、作曲面での探究が進めば進むほど、他の楽曲においても、独特の確信に基づいた、個性的な演奏も披露できるという事情も感じられる。野村誠、新垣隆をはじめ、作曲家による演奏というのをことしは多く体験したが、技術的にかなり充実しているだけでなく、やはり、その人がもつクリエイティヴィティに感応した変容の趣には、それぞれに感じ入るところがあった。

師事する金子仁美の『ある日ピアノと』の演奏には、深い感銘を受けた。この作品がどのような意味をもつのか、正直、よく情報がなく、聴くだけでそれとわかる具体的で、平易な作品というわけでもない。だが、完璧に組織され、ゆたかな跳躍と、多彩なアクセントに満ちた鮮度の高い作品にとって、彼ほどに忠実なガーディアンは恐らく存在しない。彼はその役割を自覚して、責任感をもって演奏している。その重みと比べれば、ファーニホウ”Lemma-Icon-Epigram”のほうも十分、よく研磨されてはいるものの、先のパフォーマンスと比較すれば、特別な域にまでは達していない。YouTubeでは譜面つきで聴ける音源があるが、正直、機械や建物の設計図のようで難解だ。そうした難しさというよりも、私を心理的に圧迫したのは、実のところ、この演奏が最後まで辿り着くのかということだった。最初のコンテスタントのところで鳴らされたベルが、まだ影響していた。1頁ずつ、冷静に繰っていく鈴木のアクションは、私をやきもきさせたのだが、この細々と、消極的な、おわらない継続した綴りこそが、この作品の肝にあるものなのかもしれない。彼らしく淡々と、最後の弱い打鍵をおえたと感じたとき、私は、ほっと一息をついた。

【ヴィトマンの科学者】

ヴァイオリンの白小路紗季は、事前に音源を確認できなかった唯一のコンテスタントで、逆に楽しみであった。予選でもまた別のヴィトマンのエチュードを弾き、本選でもヴィトマンのエチュード1曲で勝負に出た。今夏、ともに来日したように、作曲家ヴィトマンの奥方は優れたヴァイオリニストであり、このエチュードも彼女のために書かれたものということだし、その模範的な演奏も聴くことができる。それゆえ、逆にやりにくいところもあろうが、白小路はまた別の角度から、自分なりに作品を再創造する勇気をもっていた。一言でいえば、白小路はこの音楽にとっての科学者だ。素材を正確に切り取り、丹念にプレパラートを並べて、その美しさを証明していくのである。ただ、その役割に気負うことなく、坊主が当たり前に経を読むように、彼女は独特のアクションを淡々と決めていく。

作品については事前に音源は確認できたものの、動画ではなかったため、弓がいろいろな角度で入り、動き、駒のあたりや背部をガリガリ弾き、左手で弦の根もとを弾き、自分の声や息までも表現に組み入れているアイディアの多彩さには、改めて驚いた。特に、その声がつくるファンタジーには深く魅せられたものだ。結果的に彼女が優勝したのだが、その選択は十分に納得いくものではあれ、ある意味では意外でもあった。演奏に対するスタンダードが十分に確立されていないとはいえ、白小路のパフォーマンスはかなり大胆な解釈を含んでいるように思われたからだ。例えば、緻密な設計図を非常に細かく分割し、なおかつ、それらがバラバラにならないように繋ぎ止める工夫は、たしかに息を呑むものだったと思う。

【印象が薄れたグループ】

休憩を挟み、中間のグループはやや印象が薄れた。コントラバスの山本昌史は、コントラバスのソロを聴くのがそもそもきわめて珍しいために、私には評価が難しかった。松平頼暁の”Replacement”がメインだが、非常にユーモラスな作品だ。はじめは滑稽とも思えた素材が循環的に配置され、次第に音楽的な素材としてしっくりくるものへと変貌して、いくつかのパートを経るごとに、次第に特定の機能をもつパラメータとして構成されていくのが面白い作品だった。もっとも、山本のパフォーマンスについては、まず基本的なところで、コントラバスらしい魅力的な深い声をもっと聴かせてほしかったというのが、正直な感想である。

マンドリンの佐古季暢子は事前に音源を確認するなかでも、いちばんピンと来ない存在であったが、その評価を覆すような驚きはなかった。楽器のコントロールは手慣れていて、マンドリンの温かい音色を生かしながら、今回のプログラムでは、それとはまた別の都会的な渇きをも引き出していた。近藤譲と野田雅巳の作品を選んでいたが、互いに特徴が似通っており、その細かい筆致を描き分けるほどの緻密なテクニックや表現力が示されたわけでもない。この日、優れたパフォーマンスをみせた演奏家と比べると、自己プロデュースはやや平凡な形になっていたのは惜しまれる。過去にマンドリンで出場したコンテスタントもおり、その印象の鋭さと比べると、いくらか譲る。

ピアノの上路実早生は、藤倉大のピアノ・エチュードⅡ"Deepened Arc"の演奏でエキサイティングなものを披露した。控えめな中にも、顔を自然と上に向かせる気流を生じるかのように、空間的な最初のシーケンスには驚き、その余波を大事につないでいく謎めいた演奏は非凡なものだった。鈴木純明の『白蛇、境界をわたる』も独創的な雰囲気をもつ作品ではあり、どことなくユーモラスな味わいをもつが、題名と比べて、筋書きは曖昧で、内容的にも発展性が少なく、藤倉の作品と並べて、あとで演奏するには、正に竜頭蛇尾な印象を残すことになった。なぜ、この曲なのかという疑問のほうが大きかった。

【立っているだけで美しい】

ギターの土橋庸人からは、またハイ・レヴェルな演奏がつづいた。やや内向きだが、飛び抜けた実力をもつ土橋は、随所に才能ゆたかなところを見せている。彼の演奏はまるで落ち着いた噺家の打つ一席のように、自分のペースを守った、穏やかな語りくちが特徴だ。持ち時間の大半は、高橋悠治の『メタテーゼ第2番』に費やされ、静かな空気を粛々と紡いでいった。それらが適当に熟したとき、圧倒的に現れる魅力的な響きは誰にも劣るものではない。しかし、土橋の本領は、立っているだけで美しいバレエダンサーのそれと似通っており、アクションの少ない部分にこそ、聴き手との対話を見出しているようである。土橋のパフォーマンスは入選とともに、審査員特別奨励賞によって顕彰された。なお、佐藤紀雄は彼の師である。

【演奏者の美から作品へ】

池永健二は小規模なパーカッション・セットを組み、ヴォランズの”She Who Sleeps with a Small Blanket”を取り上げた。この作品はいくつかのパートで構成され、最後のパートではセットを離れて、マリンバを優しく、静かに奏でて、題名に因んだような恭しい着地をする。セットでの演奏は反対に、題名とはかけ離れた土俗的な響きで幕を開けた。音色的にあまりカラフルなものを使わず、マレットの質と叩き方だけで、同じ楽器から様々に音色を引き出していくのが面白い。千変万化の表情は、自ずから響きに筋書きをもたらす。この日、登場した優れたアーティストたちは、作品よりも前に、演奏者の個性を押し出すことに長けていた。惚れ惚れするほどに柔らかい技術があり、聴こえてくる響きそのものに最初の官能がある。だが、その発現とともに、作品の特質や魅力もまた、自ずから溢れてくるのであった。池永は正に天才的な奏者であり、そのハンドリングの美しさには見とれるしかない。第3位を獲得した。

私はヴォランズについても、名前ぐらいしか存じ上げなかったが、パフォーマンスのとおり、アフリカの民俗音楽を取り入れたヨハネスブルク出身の作曲家である。だが、この作品にしても、露骨にアフリカ的であるということはなく、もっと普遍的な「叩くこと」の魅力が溢れている。同じ楽器を使っても、叩き方によっては、南国風のトロピカルな味わいも示していたように。パートが進むにつれて、たとえ同じようなアクションであっても、また別のストーリーを生み出すようになった。そして、最後にはセットを離れてマリンバに移り、ここでは右手に「もふもふ」したヘッドを握り、これ以上ないほどの優しさを演出している。

【ヴィブラフォンの神秘】

同じパーカッションでも、前田啓太はヴィブラフォンだけで勝負した。寡作で知られる松村禎三のヴィブラフォンのための曲は、個性的な「三橋鷹女の俳句によせて」作曲されたものだ。ジョン・ケージやグラズノフ、メシアン、ストラヴィンスキーなどの挑戦した、音楽で、限られた数の文字でつくる言葉の美を表現する難しい課題に挑んでいる。十七音で表す俳句ほど、響きが限られているわけではないが、半ばまではマレットも同じものだけを使い、表現を絞っていくことが、それに対応しており、また松村らしいところでもあった。電子音響はつかわれていないと思うが、あたかも、増幅を伴ったかのような響きの氾濫と、それが収まるのを待つ空白の美が交互に引き出されていく。ヴィブラフォンについて、私はあまりにもよく知らないが、かなり大きな響きを漂わせながらも、意外と簡単に響きが消失するところに驚きを感じる。ヴォランズと比べると、やや単調ではあるが、前田の背筋の伸びたパフォーマンスによって、遜色なく、素晴らしい出来に聴こえた。これも、入選。

【パフォーマンスに傾きすぎた】

リコーダー奏者の中村栄宏は、元「おんがくしつトリオ」のメンバーとして知られ、彼の海外留学を機に、トリオは別メンバーを迎えている。縦笛を素晴らしい音色で、楽しげに吹く彼のイメージとは遠く、大きなバスリコーダーを吹く細川俊夫の『息の歌』が素晴らしいパフォーマンスだった。それは正に、笛以前にあるブレスの魅力にほとんどを賭けており、ついに吹き口から唇を離し、空間にブレスを流して、風穴の部分を、あたかも木管楽器のキーを押すように鳴らすという部分が最後に来るトリッキーな構成だ。恐らく規定において、バロックとの組み合わせが可能であれば、彼にはもっとちがう選択があったかもしれない。もう1曲は石井眞木のこれまたパフォーミング・アーツ的な作品で、2本の小さなリコーダーを加え、片手ずつで吹くコミカルな前半から、それらを捨て、大声で叫んだかと思うと銅鑼(タムタム)を激しく叩き、その余波の上で声の低いリコーダーを寂しげに吹く作品がつづいた。いささかアクションに比重を置きすぎた感じもして、彼の演奏家としての魅力がすべて伝わったとは言いがたい構成になってしまった。溢れる才能にもかかわらず、入選止まりとなった。

【狡賢いプログラム】

最後は薬師寺典子が登場し、すべてソプラノのアカペラという徹底したプログラムを披露する。パフォーマンスの大半を占めるドイツ語のシュペレッヒゲザングによるアンリ・プッスールの作品から始め、結局、その表現に引き寄せる形で全体を統一的に構成した。ベリオでは言葉とそうでないもの、身振りや、表情などの対比から、伝統的音楽の常識に捉われない自由な表現が生み出される。はじめは脈絡のない要素の回転でしかなかったものが、次第にパラメータごとに独立した意味をもち始め、それ自体が一種のファンクションを占めるようになるのが面白かった。これはコントラバスの山本が弾いた松平の曲や、白小路が弾いたヴィトマンの作品と共通する特徴だ。

薬師寺がプログラムの最後にもってきたのは、日野原秀彦による個性的な作品だった。プッスール、ベリオの実践を経て、いっそうユーモラスに歌い込んだのは、前年に亡くなった藤富保男による子ども向けの絵本からとったやさいたちの歌と、なにやら角張った狂言のような形で語られる「箴言」のセット。この趣ぶかい素材を選んだことが、まずは彼女の個性を強烈に惹き立てることになった。3つの曲の歌い方を極力、一貫させたアイディアも秀逸だが、反面、それぞれの作品がもっていたはずの個性は脇役に押しやられた感じもあり、一長一短といえる。面白いが、すこし狡賢いプログラムとも思えた。結果的には、第3位を獲得。私も、聴衆賞は彼女に投票した。

パフォーマンスの後、彼女は審査結果を聞くことなく、足早に会場を後にしたようで、名前が呼ばれると、母親が代わりに登壇するという珍しいハプニングが発生。あるいは、21日に本番が迫る松平頼曉のオペラに参加されているため、リハーサルの日程が重なっていたのかもしれない。なんと、この公演では「アルト」となっている。

【まとめ】

順位発表に先立ち、恐らくは規定時間に満たないため、楽譜の指定と関係なく、ほぼ1頁分をまるまる繰り返した人がおり、協議の結果、(統一的にではなく)審査員各々の判断に基づき、減点を行う(あるいは、行わない)ことにしたという。そんなことをするぐらいなら、事前に事務局と協議すればよかったのではないかと思う。

近藤譲による講評は、パフォーマンスや評価に対するものというよりも、彼ら審査する側の姿勢を示すものであった。現代音楽では演奏したいと思う人がいることが大事だという意見に基づき、今回はほとんどの人が技術的に優れていて、本選参加に値する人も20人余りいたこと、それ以上に、現代の作品を自分のものとして演奏してくれている人が多いことが嬉しかったと話すあたり、聴き手のこころを打つスピーチとなった。たしかに、私も現代音楽を聴くときには特に、どんな演奏家が弾くのかを、まずひとつのヒントとして演奏会を選ぶ。また、現代音楽の作品が認められるためには、アルディッティQのような権威をもった演奏家によって取り上げられることが大事になってくる。演奏家と、作曲家のコミュニケーションや、相互理解といったものが、ますます重要になっている時代であることに間違いはない。

この「競楽」は、ひとりひとりのパフォーマンス時間は決して長くないので、1曲か、多くても数曲の演奏で評価を受けることになる。そのため、彼らが手にしてきたレパートリーのなかで、もっとも強烈なものが披露されることも面白さにつながっている。ある演奏家を最大限に夢中にしたような楽曲が、聴き手にとって、まるで面白くないものである可能性は低いだろう。今回のパフォーマンスでいえば、ラウタヴァーラのソナタや、ヴィトマンのエチュード、金子仁美の作品や、ヴォランズの作品は、特に印象深かった。それらのパフォーマンスが総じて、高く評価されたことも不思議ではあるまい。

前回の「競楽」で見つけた小倉がことし、『マントラ』を演奏してくれたように、その後の彼らのパフォーマンスを追うことも、もうひとつの楽しみになっている。その前の「競楽」からは、チェロの山澤慧の素敵なリサイタルに出会った。先日、おこなわれた勅使川原三郎のダンス・パフォーマンスで演奏したメンバーも、山澤や、ヴァイオリンの松岡麻衣子のように、過去の「競楽」で優勝、もしくは、高く評価されたアーティストばかりで構成されていたことに気づいただろうか。そんなところからも、「競楽」が、音コンのような著名なものと比べても、遜色なく評価されていることがわかるのだ。

最後を結ぶ言葉としては、これしかない。

演奏された皆様、本当に、どうもありがとう!

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