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2020年6月

2020年6月13日 (土)

新型コロナをめぐるオーケストラの運営についての考察

【近年におけるオーケストラの経営改革】

オーケストラの運営は近年、国や自治体をめぐる様々な財政的、政治的な事情や、市民の考え方の変化から、より一般企業にちかい感覚が求められるようになった。事務局による財テクの失敗など、非構造的な問題はさておいて、大阪では当時の大阪センチュリー響が橋下市政で、助成対象から外されるという痛ましい変事が起き、楽団運営に先立つものを公的助成だけに頼りきるべきではないという課題も見つかった。また、国(文化庁)の助成も公益財団法人のみが対象とされるようになり、その条件のひとつである負債の解消、運営の黒字化などに向けて、各団は必死の改革を続けた。演奏活動をする地域の範囲を広げて、収入を増やしたり、オペラやバレエ、自治体や民間による活動などに積極的な取り組みをみせて、かなり多忙なスケジュールを詰め込んできた楽団もある。その結果、楽団の事情によって差はあるものの、ほとんどの楽団で単年度赤字は解消し、ある程度の蓄えを積み上げながら、健全な運営ができる体制が整ったかに思われた。

【コロナ禍における経営の混乱】

しかし、十分ではなかった。2020年の新型コロナ・ウィルスによる重大な影響により、各楽団は2月末から3月初旬に始まり、数ヶ月にわたる演奏活動の停止(自粛)が求められた。公益財団法人はその性質上、多大な営利をあげることが制限されており、内部への蓄えも十分ではなかった上に、これらの団体になにか未曽有の問題が起こった際に使える、公的な基金のようなものも準備されておらず、ようやく、問題の発生後に形ができるに止まっている現状だ(まだ器ができただけで、中身は空っぽにちかい)。緊急で国が用意した雇用維持や事業継続のための給付金は僅かであって、給付も遅れており、3末を控える楽団の経営は危機に立たされた。公演ができず、手もとにキャッシュが入らない上に、演奏が行えなければ、公演に対して約束されていた助成金も下りないからである。多くの楽団はそれぞれにできる形で、ネット配信などのパフォーマンスを行うことで寄附などを募るしかなかった。

現時点で、事実上の倒産を発表した楽団がないのは幸いである。メガバンクや企業財団などから、大口の支援もいくらかは発表されている。ただ、いわゆる「コロナ禍」では、ITなどの一部産業を除き、ほとんどの業種で甚大、もしくは壊滅的な被害が出ており、企業からの広告費なども、まだ春先ということもあって、財布の紐はきつく縛られている現状で、根本的な問題の解決につながるほどのものは当面、期待できそうもない。

【演奏再開に向けて】

5月、6月あたりで、営業自粛要請は多くの業種で解除となる見込みで、オーケストラも十分な感染対策を行ったうえで、業界でガイドラインを定めるなどして、演奏活動が再開できることにはなっている。しかし、舞台上や楽屋などの問題で、十分な感染対策を行いながら演奏できるかについては、まだ多くの検証が必要なところで、客席についても、まずは席数を間引くなどしたうえで、入場人数を絞るなどの対応が求められることになるだろう。

楽器の演奏がどれほどのリスクを伴うかについては、世界的にも検証が進んでいる。このなかで、ウィーン・フィルはもっとも楽天的な結果を発表し、通常の編成も維持できると胸を張った。一方で、演奏家などから、そのような見解には疑問を呈する声もあり、再開当初は奏者間の十分な距離をとることや、フェイスガードやマスクの使用、透明な敷居を設けるなどの配慮が話し合われるのではないかと思われる。編成は古典派などの小さいものに限定され、室内管仕様の編曲や、弦楽四重奏曲などを含む室内楽曲そのものの演奏も検討に値する。また、公演時間も最初は短めにすることが求められるだろう。

客席は1列目を使用せず、千鳥構造に間引いて、会場のおよそ半数程度まで、フォワイエなどでのサーヴィスは止め、休憩はなしとするか、その間のオーディエンス間のコミュニケーションなどは控えてもらうことが必要だ。消毒液やサーモグラフィの用意も不可欠になり、演奏者、スタッフ、オーディエンスは、マスク着用などが基本的な義務、もしくはマナーとなるだろう。

【参考となるご意見】

https://www.yuzuki-miki.com/entry/2020/06/06/215332

リンクの記事では、オーケストラ運営の今後について、概ねネガティヴな見方がされており、それは題名からも推察できることだが、一方で、生き残るためには豪快な判断が必要という内容が書いてある。正直なところ、ここまでの「コロナ禍」によって、一体、どれほどの損害が生じたのか、具体的に報告している楽団は少なく、概ねの数字ぐらいしか漏れて来ない。平素と同じことだが、マスメディアなどによって深く取材された記事もないので、私たちに何か判断できる材料は少ないのが現状だ。寄附なども可視化してやっているのは、外部サイトを利用してクラウド・ファウンディングに乗り出した札響ぐらいのものである。

さて、ブログの書き手のプロフィールをみると、本業以外に、弦楽器を教え、販売もされているようで、この分野に他の方よりは造詣が深いという推測は成り立つ。記事を要約すれば・・・

①オーケストラの損害は大きく、それを埋めるのは難しい
②オーケストラの生演奏は当面、質が落ちるのではないか、見栄えも悪い
③クラシック公演で社会的(物理的身体)距離をとる必要はないのではないか
④再開にあたっての基準が不明確
⑤ゼロ・リスクを求めず、積極的にフル公演をおこなえ
⑥さもなくば、楽団数を減らすなどしてリソースを集中せよ

【損害が大きすぎる?】

①については、言うまでもない。楽団はなるべくオープンに情報を開いて、私たちが考えられるようにすべきだ。だが、定期的な事業報告とはちがい、借金などについては楽団の信用に関する秘密や、金融機関などとの関係もあり、どれぐらい詳細な情報を出せるかはわからない。日フィルが発表した3億円の減収、4億円の赤字(上記記事には3億円の『債務超過』とあり、間違いがある)というのは、確かにダメージが大きすぎるように思われる。しかも、今後、無事に公演の規模が段階的に回復していくのかどうか、どのようなペースで客足が戻っていくのかは予想できない。日本や英国などでサロン公演を主催する個人事務所MCSのブログによれば、英国および米国による調査でも、ある程度、病気の蔓延が落ち着いて公演が再開したとしても、ワクチンや治療法が確立しない段階では数ヶ月から半年は様子をみたいという愛好家が多いのも無理からぬことである。今後、秋以降に第2波、第3波が襲う可能性も指摘されていて、その場合は楽団の損失も現在の予想より拡大する。

一方で、数億円の赤字を背負った楽団も、過去にないわけではなかった。2012年のある記事では、神奈川フィルは一時、3億円ちかい債務超過を抱えていたようだ。しかし、2014年にはついにこのバランスシートがきれいになって、晴れて公益財団法人に移行することもできた。現在、同団は若く優秀なアーティストを多く迎え、若手指揮者の川瀬賢太郎をリーダーに意欲的な活動を続けている。もちろん、これはコロナ前のことであり、今後の経営環境はより厳しいことが予想される。例えば、一足先に解禁された映画館の状況などをみても、客足の戻りは鈍いようだ。まだしっかりとしたデータは発表されていないが、特にシニア層の行動は慎重になっており、そこを主要な客層としてもっていた芸術分野は、しばらく苦難のときがつづくことが予想される。もっとも、美術館などは比較的、客足の戻りが早めで推移している印象もあるのだが、同じく、まだ正確なデータがないのでわからない。

【演奏のクオリティは変質するが、酷くはならない】

②については、演奏のレパートリーの問題と捉えるか、距離をとることによるアンサンブルの精度や深さについての技術的な問題と捉えるか、複数の論点がある。

レパートリーの問題に関しては、このブログの書き手の見解とは異なる意見をもっている。確かに、受け手のほうはすこし感覚を変える必要があるだろう。オペラや声楽付きの大曲、マーラーやブルックナーなどの大編成の曲こそが、稀有壮大で、オーケストラらしいパフォーマンスであるというイメージから、脱皮する必要がある。例えば、弦楽四重奏曲であっても、フル・オーケストラと遜色ない迫力ある公演を経験してきた私としては、そのことをいくら強調しすぎても、したりないほどだと思うのである。もちろん、作品の形態に相応しい箱の大きさはあり、例えばサントリーホールの大ホールでソロ・ピアノや弦楽四重奏団の公演がある場合、偉大なアーティストであったとしても、それを聴くべきかどうか、私は迷うことがあるのも否めない。しかし、このようなときなのであるから、安心が確立されるまで、普段、楽しんでこなかった編成の小さな曲の響きや、同じマーラーでもシェーンベルク編曲の室内管仕様などに理解を示していくことも必要だとは思う。実際、その規模において、深い感動を味わわせるような公演をすることは可能である。

後者の技術的な問題については、まだ試行錯誤の段階というのは否めない。まだ演奏例自体が少ないものの、キリル・ペトレンコのゴリ押しで実現したベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサートでは、少人数で演奏できる作品や編曲に絞り、科学的に安全とされる距離を守って演奏したが、白けてしまうようなクオリティではなかった。また、指揮者で、オーボエ奏者の茂木大輔氏は、距離をとって演奏しなければならない場合、「あまりに距離が遠くなってしまう奏者はヘッドフォンなどでモニターしながら演奏(共演)する」のもよいのではないかと提案している。テクノロジーなども用いながら、演奏のクオリティをさらに上げていく可能性もまだまだあるのではないかと想像する。

【オーケストラには責任がある】

③-⑤について、経営的に、背に腹は代えられないのだから、いきなり大規模な公演をやってもいいのではないかという意見には、さすがに同意しかねた。これまで黒字化を成し遂げてきたといっても、そこには演奏収入に加えて、多くの公的、私的な支援が加わっていることは否定できず、オーケストラは社会的責任が大きいからだ。だから、規模を制限するところから始めて、安全を確認しながら徐々に戻していくという姿勢は各楽団に共通していると思う。既述のように、ウィーン・フィルをはじめとする世界をリードする楽団も検証を進めており、それらに批判を加えながら、世界的にも、演奏家にとって許される形というのが決まってくるのではないかと思う。とりわけ、ウィーンの取り組みが成功すれば、世界の音楽関係者に勇気を与えることになるだろう。一方で、米国などは比較的、保守的な姿勢を採っている。METなどの歌劇場は、来年まで公演はできないだろうと言われている。そもそも論として、オーストリアなどはかなり細かい病気のコントロールに成功しており、それがゆるゆるな日本でも同じことが成功するとは限らないのだ。

【再開の指針】

再開の指針については、言うとおりだと思う。この病気にはまだまだわからない点も多く、自粛要請の解除自体、根拠があやふやなものであることから、楽団、もしくは、その業界団体がシニアをはじめとする、オーディエンス各層に十分な安心を与えることが難しい現状は明らかである。自信をもって正当性を訴えられるほどの根拠は何もなく、受け手の同意があったとしても、その結果にもある程度の責任を負うことは避けられない。なにか問題が生じた際に、社会的な批判のほうが大きい可能性もあり、また、例えばクラスター発生時などに臨時休演すしなければならない場合、それに対する補償も現時点では考えられていないのだ。格好は悪いが、周りの楽団や芸術団体、その他の産業の結果をみながら、すこしずつ前進を試みていくしかない。当面、公演をやれば赤字という状況は変わらず、地域やコミュニティのなかで果たすべき役割を別にすれば、予め決まっていた助成を出してもらうために公演をやるという楽団がほとんどだろう。これは助成の制度的な問題であって、すぐには変えることができない。一方、何かあれば、全く責任のとれないような方法で、公演を再開することは実際上、出来かねるというべきだ。

【楽団統合はマイナスの可能性が高い】

⑥は、これまでの議論と実績から、マイナスの可能性が高いと思われる。「大阪維新」の指揮下、大口スポンサーである関電などの提案で、関西にある楽団を減らすというような議論も活発化した時期があったが、その後の状況をみれば、統合せずとも、楽団は収支トントンで存続性を守ることができたのだ。確かに、関西の楽団の経営はその他の地域に比べて、やや厳しく、いくつかの楽団はなお、存続が危ぶまれる現状であることは承知している。しかし、即座に楽団を減らしてしまえば、それらの楽団が紡いできた歴史や、人と人とのつながりのなかで培ってきたものが消滅し、良い結果にならないという意見のほうが正しかったのは、あれから10年ちかくが経って、明らかになってきたといって構わないだろう。

もちろん、コロナ禍によって、そのリスクは再び、増大したといえる。だが、本当に必要なときがくれば、自然に集約は進むだろう。最初から統合してしまえば、スポンサーシップも、収入も集中し、合併したオーケストラの経営がよくなるという話でないのは、既に「歴史」が証明しているように思われる。ただ単に、これまで各楽団に集まっていたものが解体して、どこかに失われていく可能性のほうが高いのだ。

紹介のブログについては見るべき点も多いが、必要以上に、不幸を敢えて先食いしているような印象も受けなくはない。持続可能で、責任をもった運営はまだまだ可能である。本当にダメなら、もっと具体的な動きが出てくるはずだ。それがくるまで、私たちはできるだけの支援を試みていくほかにない。また、準備された基金を民間の寄附だけに頼らず、国庫から埋めるよう、働き掛けていく動きも徐々に進められている。山本太郎風にいえば、政府には通貨発行権があり、より大きな可能性があるのだ。なにしろ、補正予算の予備費で10兆円もの大金が積まれていることはそこそこ報じられてきた。

【提案】

現時点では寄附もさることながら、銀行などがオーケストラの返済を猶予しつつ、経営の回復を待ってくれている段階ではないかと思う。これまでのつきあいから、オーケストラが十分、ビジネス的な信用に値すると考えられている証拠だ。さらに、地域の芸術団体を潰すのは、決して、その地域に良い循環をもたらさないという考えもあるだろう。財政問題はきわめて重要であるが、いま、私が最優先すべきと思うのは、オーケストラのファンからの信頼や愛情をいかに繋ぎ止めるかということであり、ネット配信や、プログラムの工夫もそうだが、例えば、アパレルや小物など、物販を盛んにするなどの行為はオーケストラ本来の活動とは遠いようでいて、逆に愛着を高めることにつながるのではないかと思う。それは例えば、芸能や、ミニシアターの例で確認できるのだ。

また、3億円以上を個人から集めた「ミニシアター・エイド」のように、象徴的なフロントラインにまとまって訴え、活動をすることも重要なのではなかろうか。発信力は、分母が大きければ大きいほど良く、注目を集めやすい。そこにゲストを呼んで、オーケストラがめざす様々な目的のために、語ってもらうようなことができるかもしれない。各楽団独自の動きも必要だが、どうしても関心が分散してしまうのは避けられないことだ。まとまっていれば、ひとつのサイトをみていればよく、いろいろな動きに気づいてもらいやすい。同時に、公演をおこなうときの指針などは、なるべく共通したものでやるほうがよいだろう。安心を与える取り組みにも、これは活用できる。

これまでとはちがうけれど、面白いことをやるという発信ができればいい。例えば、新日本フィルはオーケストラ公演よりも、楽団員が企画する室内楽の公演のほうが、実はヴァラエティに富んでいて、面白いという面もあるのだ。それを1Fの小ホールではなく、大ホールにも適用すればいいと、私は以前から提案している(このブログで言ったりしているというぐらいの意味だが)。実際、ここ数ヶ月の間で、楽団員の発案によっておこなわれたテレワーク動画は話題を呼び、テレビにも取り上げられた。新日本フィルが過去数年で、このように注目された例は、私の知る限りではなかった。誰が、より効果的なアイディアをもっているのか、明らかではなかろうか。映画や落語、狂言、演劇など、いろいろなことに手を伸ばし、そのなかにも良いものはあったが、十分な広がりまでは持たず、むしろ、素晴らしい公演だったのに、客がいないというネガティヴな話題ばかりが広まりがちだった。

もちろん、発信者と受け手、双方の発想の転換は必要である。最初からすべてがうまく運ぶとは思えず、これまでのイメージから簡単に脱却できるはずもないし、いまはまだ、オーディエンスが自分は安全であると思って出掛けることさえ、簡単ではないのだ。ただ、リスクや問題を過大に評価して、責任のない行動をとるべきフェイズではなく、自分たちの行動を客観的に評価しながら、あらゆるレヴェルでのコミュニケーションを進めていく時間が来ている。

ただ、件のブログの書き手が自身も実業を続けてきて、これでなぜ、オーケストラは潰れないのかということが不思議に思えるのは理解できるところだ。わたしにとっても、そこは謎である。札響、神奈川フィル、日本センチュリー響などの楽団はかつて経営危機に見舞われたが、苦難を乗り越えて存続している。大阪市音楽団も市に見捨てられながら、その活動を続けている。一見、それほど人気があるとも言えず、圧倒的に尊敬されているわけでもない産業が、なぜ、これほどまでに粘りづよいのか。その実態は、すべてが明らかにされているわけではない。本来であれば、無理なお願いを通すことができる優秀なスタッフがいるのではなかろうか?この記事のきっかけをくださったブログに対しては、やや批判的な言辞が多くはなったものの、そちらに対しても敬意を表したいと思う。

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