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オーケストラ

2019年2月24日 (日)

マティアス・バーメルト(指揮) ブラームス 交響曲第2番 ほか 札響 615th 定期 (2日目) 1/26

【セレナータ・ノットゥルナ】

札幌交響楽団は尾高忠明、マックス・ポンマーにつづき、首席指揮者にマティアス・バーメルトを迎えて、今季から新しい挑戦に入っている。バロック期から現代に至る幅広いレパートリーをカヴァーし、それらをいずれも高い水準で構築する知的なマエストロだ。モーツァルトに代表される古典派作品への見識は、ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズを率いた実績もあり、定評がある。また、音楽祭や、オーケストラのビルディングにも定評があり、その高い手腕は知る人ぞ知るところであるものの、日本での知名度が低いことでは、前任者のポンマーに勝るとも劣らないことだろう。今回、この組み合わせを初めて聴くことになったが、また、素晴らしい指揮者を連れてきたことは間違いなかった。

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2019年1月18日 (金)

ヴェルディ レクイエム ロレンツォ・ヴィオッティ(指揮) 東響 サントリー定期 667th 1/12

【密やかなクライマックス】

ロレンツォ・ヴィオッティにとっては、渾身の舞台だった。クシシュトフ・ウルバンスキの代役として、東響に初めて登場してから共演を重ね、昨年は新国立劇場での指揮や、東京フィルとの共演も話題を呼んだ。まだ20代という若さでありながら、複数のオーケストラでポストに就き、一昨年、ザルツブルク音楽祭でも授賞したという。細部にわたる厳しい音楽づくりで、自らのイメージを徹底的に作り上げていくことで、日本でもよく知られるようになったが、それに先駆け、24歳で初登場の彼を評して、「僕はとても、普通の言葉でこの演奏会を評する気にはなれない」としたときの感動が、いよいよ深いリターンへと結びついてきている。惜しくも、昨夏の『トスカ』とはあう日程がなかったが、その高評から名を上げたロレンツォが、着実にひとつの階段を上ったといえる。ヴェルディの『レクイエム』の演奏は、前から3列目で聴く私の心臓を激しく衝いた。

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2018年12月 3日 (月)

ラザレフ プロコフィエフ 『ロメオとジュリエット』 組曲 ほか 日フィル 横浜定期 11/24

【残り3曲を自由に想像させるラザレフ版】

2011年のあの日、聴き逃してしまったラザレフのロメジュリを、7年ぶりに回収できた。プロコフィエフによる2つの組曲版から抜粋して、任意に並べ替えたヴァージョンは、もともと震災前から準備されていたもので、必ずしも、運命的な過去の出来事にまつわる特別ヴァージョンというわけではないが、奇しくも、それに相応しい内容をもっていることは後述したい。3月11日に強行した公演と、2012年のアンコールにつづき、今回が3回目となり、最初の公演が録音にも残されている。その構成はバレエのドラマトゥルギーからは自由に、一見、音楽的な興趣だけを優先したようにもみえるのだが、7/10曲目に若い2人の悲劇が起こることで、残り3曲の解釈は聴き手のイマジネーションによって変容する、謎として生まれ変わり、劇的な解釈も可能である。多分、見える形は万華鏡を振るように十人十色であって、一定の答えを定めてはいない。その人がもっている音楽の知識やイメージ、あるいは、価値観のなかで、貴賤なく、いくつかにわかれるグラデーションにラザレフは寛容な姿勢を示す。

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2018年8月 7日 (火)

マルク・ミンコフスキ(指揮) チャイコフスキー バレエ音楽『くるみ割り人形』 都響 フェスタサマーミューザ川崎 8/5

【クリスマス、ハツカネズミ、そして、復活】

チャイコフスキーの「三大バレエ」などというが、そもそもバレエ作品は3つしかない。そのなかで『くるみ割り人形』は最後に書かれたもので、亡くなる1年前(1892年)の作品である。全2作と比べて、すぐには当たらず、生前には、定番的なプロダクションもできなかった。その背景(クリスマスの時期の物語)から、日本でも年末の恒例行事として上演が定着しているが、反面、固定的なバレエ・ファン以外には、今更という演目ではなかろうか。

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2017年12月14日 (木)

デニス・ラッセル・デイヴィス プロコフィエフ 交響曲第6番 ほか 新日本フィル JADE #581 11/29

【フランス6人組とその時代】

デニス・ラッセル・デイヴィスが新日本フィルに初登場したが、なかなかの好相性であった。現在、楽団の体制は上岡で固まっているので、変更の余地は少ないが、可能性があれば、客演を重ねて関係を温めてほしいと願う。それにしても、珍しいプログラムが並んだ。演奏会を貫くキーワードは孤独と協働(他者、もしくは、過去の自分と)、未来への予言と抵抗、本当の愛国心、隠された楽器の役割と関係、2つの戦後と軋む社会、明朗な悲しみ、信仰と平和といったところであろう。これだけのことが、パッと思いつくほどの優れたメッセージに満ちたコンサートだったのである。

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2017年11月 2日 (木)

エリシュカ フェアウェル・ツアー vol.2 リムスキー・コルサコフ 交響組曲『シェヘラザード』 ほか 札響 604th定期 10/27、28

【概要】

皆が、彼の健康を気遣う気持ちがなかったら、もっと長い拍手がつづいたかもしれない。一秒でも長く一緒の空間にいたいオーディエンスの気持ちと、老体にあまり負担をかけてもいけないという心遣いが鬩ぎ合うなかで、最後にエリシュカが元気な姿を見せくれた。舞台袖から、楽員たちもそれを見守っている。フェアウェル公演は、最高の雰囲気のなかで幕を閉じた。ラドミル・エリシュカと札響による幸福な10年はおわるが、この間に楽団は大きな変貌を遂げた。過去に所属した主要な団員が、N響コンマス、読響首席奏者、その他のオーケストラの首席クラスに就任しているように、リソースは初めから充実していたのだが、エリシュカとともに札響の名前が世に轟くと、そのリソースが一挙に花開いた。パスティエルとアルトゥスという2つのレーベルから出された10年以上に及ぶ録音のアーカイヴはそのまま、2002年に経営危機が報じられた札響が復活し、花開くまでの歴史を記録したことにもなろう。

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2017年10月24日 (火)

エリシュカ フェアウェル・ツアー vol.1 ドヴォルザーク テ・デウム/交響曲第6番 ほか 大フィル 512nd 定期(初日) 10/19

【思いのほか、元気】

指揮者ラドミル・エリシュカと札響の組み合わせは多く聴いてきたが、大フィルとの組み合わせは初めてだった。そして、これが最後になるはずだ。医師から長旅を禁じられたというエリシュカの最後の日本ツアーが、大阪で幕を開ける。エリシュカとともに名声を高めたのは、なんといっても札響なのであるが、大フィルも1枚のディスクを発売し、それに次ぐ成果を挙げた。特筆すべきは、彼らがヤナーチェクの『グラゴール・ミサ』、ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』、それに、この日は同じくドヴォルザークの『テ・デウム』を演奏して、大規模な合唱付きの宗教作品を取り上げ、札響でいくらか欠けているレパートリーの一環を穴埋めしたことだ。なお、札響では同じ『スターバト・マーテル』と、ベートーベンの『第九』が取り上げられた。北・西2つのオーケストラが車の両輪となって、エリシュカの日本での活動をサポートしたとみるのも間違いではあるまい。

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2017年10月16日 (月)

パーヴォ・ヤルヴィ バルトーク 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 ほか N響 Cプロ 9/28

【息をするように新しさを醸し出す】

パーヴォ・ヤルヴィとN響のスクリャービンが素晴らしかったこともあり、券を買い足して、バルトークのコンサートにも足を運んだ。これはBプロのため、すべて会員で埋まるというシリーズだが、個人売買によって席を確保。チケットの高額転売に強く反対する私としては、定価以上にはならないオケピを用いた。2階席でさらにディスカウントする相手もいたが、この演目では1階席の、通路より前方を確保したい。それに相応しいものがあり、気持ちよく取引が成立した。実際、はじめてのサントリー定期を聴いてみると、N響がまるで海外のオーケストラのように響く。多分、リキを込めて演奏しないと響きが届かない渋谷のホールと比べると、肩の力を抜いて、8割ぐらいで弾けることで、本拠地とは異なるまろやかなサウンドを出すことができるのだ。

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2017年10月 7日 (土)

スクリャービン 交響曲第2番 ほか パーヴォ・ヤルヴィ(指揮) N響/Cプログラム 9/22

【ヒエラルキーを打破する音楽】

パーヴォ・ヤルヴィの時代になって、N響がかなり良くなっている印象は実感していたものの、その本丸であるヤルヴィのコンサートには足を運んだことがなかった。従来、私はヤルヴィの手腕には疑問符をつけていて、得意な分野はあるものの、レパートリーによっては完成度にムラがあるという風に感じていた。ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンとの相性はよく、私は横浜で彼の『フィデリオ』を聴いて、ある程度の満足を得たが、それでもファンになるほどではなかった。ヤルヴィはドイツ・カンマーフィルのほか、これまでにシンシナティ響、パリ管などのポストに就いて、実績を挙げており、とりわけ、ビシッとアンサンブルを整えるプロとしては筋金入りの実力との噂もある。しかし、N響でのプロジェクトは、彼にとってはこれまでにないものになる可能性がありそうだ。

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2017年6月28日 (水)

ダニエル・ブレンドゥルフ リムスキー・コルサコフ 交響組曲『シェヘラザード』 ほか 読響 名曲シリーズ 6/13

【3つのキー】

スウェーデン出身の指揮者ダニエル・ブレンドゥルフの、多彩なアイディアに驚かされた公演だ。1981年、ストックホルムに生まれた音楽家は、まずチェリストとして、トルレイフ・テデーンやハインリッヒ・シフの教えを受けて、立派に道を拓いていた。のちに指揮者に転向し、ヨルマ・パヌラの手解きを受けることになったという。そのせいか、指揮の動作などは先日、来日したサントゥ・マティアス・ロウヴァリとよく似て、からだ全体を駆使するものだった。驚くべきは、そのヴァリエーションゆたかな曲づくりのアイディアだ。メインのリムスキー・コルサコフの交響組曲『シェヘラザード』は、ロシア音楽の繰り返し(オスティナート)の伝統を反映して、似たような音素材が重ねられていくなかで構築される作品だ。その形式がシンフォニックな構造に寄り添っており、なおかつ、リムスキー・コルサコフ独特の多彩な管弦楽の歌わせ方と相互作用を引き起こして、今日、もっとも有名で、華やかと目される作品のひとつとなっている事情がよくわかった。

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