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声楽

2016年6月 4日 (土)

澤江衣里 ソプラノ・リサイタル R.シュトラウス 4つの最後の歌 など 東京音楽コンクール入賞者リサイタル 4/29

【さすらい人を継ぐシュトラウス】

ソプラノの澤江衣里は、バッハ・コレギウム・ジャパンをはじめとして、宗教曲のソリストや合唱のなかで活躍しているイメージがつよい。そうした演目で必要とされるのは、シンプルで、情感を内に秘めるような静かな語りくち、さりげなく高度な歌の技巧である。しかし、その彼女がまったく対照的なリヒャルト・シュトラウスの歌曲だけでリサイタルをおこなったのは驚きに値する。今後、コルンゴルトでのプロジェクトにも関心をもっているということで、後期ロマン派の歌曲は彼女のもうひとつの重要なフィールドと見做せるのであろうか。まったく異なる2つのキャラクターがなぜか、私には自然に重なってみえるのだ。

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2014年3月 2日 (日)

三澤洋史 バッハ ヘ長調ミサ曲 BWV233/カンタータ第40番 BWV40 ほか 東京バロック・スコラーズ 「バッハ自由自在Ⅰ」 2/23

【静かに、ゆったりと】

ニコラウス・アーノンクールはその著書のなかで、英国バロックを高く評価し、それほど大きくはない会場で、親密に音楽を囲む雰囲気が、大陸の事情とは異なることを述べている。三澤洋史の主宰する東京バロック・スコラーズ(TBS)の活動も、なんとなく、そんな雰囲気を醸し出していたのではなかろうか。この日の演奏会場、ティアラこうとうの大ホールは1200席もあるから、決して小さな規模ではないけれど、私が言っているのは音楽的表現のことである。

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2014年2月17日 (月)

岡山バッハカンタータ協会&岡山フィル バッハ『ヨハネ受難曲』 特別演奏会 @東京公演 2/11

【バッハの書いた意図に忠実な公演】

近年になって、古楽アンサンブルや声楽家のレヴェル向上と、質的な多彩化は著しく、バロック・オペラや宗教曲などの表現に多大な進化をもたらしていることは間違いない。日本の状況とはいささか異なり、従来のレパートリーが徐々にクローゼットに仕舞われ、これまで見向きもされなかった古い時代や同時代の作品がオモテの舞踏場を彩ることが求められるようになった結果、そのスペシャリストが一定の役割を得たことは、その原因のひとつだろうし、古楽ならレザール・フロリッサンや18世紀オーケストラ、イングリッシュ・コンサート、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスなど、現代音楽ならアンサンブル・アンテルコンタンポランやアンサンブル・モデルンといったような主導的団体から、派生して独立した人材がまた一山を構え、世の中に価値を問うという好循環が生まれたことも大きいかもしれない。

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2013年10月21日 (月)

尾高忠明&東京フィル ベルシャザールの饗宴(ウォルトン)/海の絵(エルガー) 文化庁芸術祭オープニング公演 10/1

【芸術家=尾高忠明】

尾高忠明はついに、新国立劇場での任期中にオペラ公演の指揮を振ることはなかった。肩の故障があり、舞台上演に不可欠な高い打点を保っての指揮ができないことが理由であろう。尾高は上背もないし、ピットの下から、低い打点で全体のアンサンブルを捉まえることは難しいはずだ。普通に、リハーサルどおり進んでいる場合はよいのかもしれないが、それならそもそも、指揮者が必要なく、舞台で想定されるあらゆるアクシデントに対応したり、舞台ならではのドキドキする大胆な音楽の運びをつくるためには、腕が自由に上がらないようでは話にならないだろう。指揮者でありながら、本業がビジネスマンであるT.ノヴォラツスキー元監督のように、ひとつも公演を振れなかったのは不本意なことだろう。例えば、昨季の『ピーター・グライムズ』などは自分でやりたかったはずだ!

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2013年9月 1日 (日)

小森輝彦&服部容子 デュオ・リサイタル vol.9 ブラームス 4つの厳粛な歌 ほか 8/25

【4つの厳粛な歌】

ブラームスの『4つの厳粛な歌』(歌詞作品)がメインと聴いて、多くの聴衆は多分、それほど心ときめく感じはしない。20分にも満たない作品で、メインというのはやや軽い印象がするからだ。しかし、バリトン歌手にとって、この4つのリーダーを歌いきることは、多大なエネルギーを要することなのであろう。この日の歌手、小森輝彦の態度からもそれとわかる。プログラミングをみても、この歌を含むオール・ブラームス(リストはピアノ独奏)の前半から対照的に、後半はリヒャルト・シュトラウスの管弦楽伴奏つきの歌曲(この日はピアノが代替)もあるが、モーツァルトのブッファ系のもので肩の凝らない作品を並べて、コントラストをつけている。それは多分、前半でああした内容を歌ったあとでは、そういうことぐらいしかできないということなのだろうと思う。

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2013年3月31日 (日)

クラウス・フロリアン・フォークト シューベルト 美しい水車小屋の娘 東京・春・音楽祭 歌曲シリーズ vol.11 3/27

【成長期のステージにあわせて】

テノール歌手のクラウス・フロリアン・フォークトによる、シューベルト『美しい水車小屋の娘』のパフォーマンスは甚だ未熟なものであった。しかし、フォークトは通常の歌い手よりも、長い人生をこの歌のなかで生きたと言えそうである。休憩のときに、ある見知らぬ女性が彼の歌を評して、「ウィーン少年合唱団のようだ」と言っているのが耳に入った。そのときは「ウィーン少年合唱団にローエングリンは歌えまい!」と思ったものだが、その人の考えとはちがうところで、生きてくる言葉というものもあるものだ。そういえば、フォークトが序盤の部分を我々が思うよりも、幼い少年のイメージで歌っている可能性はあるな・・・と思い当たったのである。

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2013年3月14日 (木)

Trina vol.1 メンサー華子 ほか 歌曲のコンサート 3/10

【手を抜かないプロ精神】

このイベントのタイトルにある’trina’とは、レース編みの「レース」のことを指すのだそうである。あの美しい模様をつくるために、どれほどの苦労が要るのか、私にはわからないが、手の込んだものなら、何週間もかかるにちがいない。今回の演奏会もきっと、そんな手間のかかる準備を経て本番に辿り着いたのであろう。出演した3人のソプラノ歌手と、それを支えたピアニストについて、技術的にはもっと上のレヴェルにいる人はたくさんいるはずだ。それなのに、彼女たちはそれを補って余りある発想のゆたかさと、枠に捉われない感性で、私に大きな感銘を与えた。たとえ聴き手が内輪の人たちを中心とした、ごく少数のものであったとしても、一切、手を抜かない厳しいプロ精神も際立っている。

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2012年12月23日 (日)

小森輝彦&服部容子 シューベルト 美しい水車小屋の娘 デュオ・リサイタル vol.9 12/20

【特別なメッセージ】

シューベルトの連作歌曲集『美しい水車小屋の娘』。最近は「ストーカー」という便利な言葉も生まれ、主人公である若者のこころは安易にも、「異常」の烙印を押されることが多くなった。そういう言い方をすることで、失われるものは多いのに、私たちはそのことに目をつぶって、ポップに物事をみようとする。そのことで、自分たちが「異常」ではない、当たり前の常識人として振る舞えるように思うからだ。本質的なものから目を逸らし、青年の想いや行動に寄り添おうとしないで、飲み屋の人気者になれればよいとでもいうのだろうか? そういう「2ちゃんねる」的な歪んだ批判精神が日本には蔓延しているように思われる。そのため、「2ちゃんねる」そのものは不要になったのだが。

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2012年10月 1日 (月)

ラ・フォンテヴェルデ ジェズアルド マドリガーレ特集 「愛と狂気のマドリガーレ」 東京公演 9/28

【カルロ・ジェズアルドについて】

16世紀後半から17世紀初頭にかけて活躍したカルロ・ジェズアルドは、南イタリアを中心に勢力を張る権力者の一族として生まれた。次男だったため、僧籍に入って聖職者を目指すはずだったが兄が早世したため、日本風にいえば還俗して、ヴェノーザ公となる。ミラノ大司教を務め、のちに列聖された叔父のカルロ・ボッロメオ卿に可愛がられ、いささか陰気ではあるが、敬虔でもの静かな公卿に育ったはずのジェズアルドにとって、1586年、自らの妻と、親戚のアンドリア公ファブリツィオ・カラーファの密会の現場を押さえ、2人をベッド上で斬殺して市中に晒すという事件は、当時の貴族の慣習として珍しいことではないとはいえ、一生を決めるほどの出来事だったであろう。

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2012年5月20日 (日)

アネッテ・ダッシュ with ヴォルフラム・リーガー シューベルト&ブラームス トッパンホール リートの森(10) 5/17

【新国『ホフマン物語』の思い出】

2003年の新国立劇場で上演された『ホフマン物語』は、私にとって衝撃的な舞台だった。オッフェンバックという作曲家に対する強烈な目覚め、そして、オペラに対する深い信頼感というものを、私はこのとき、はじめて得たような気がする。フィリップ・アルローの演出は機知とユーモアに満ち、そうした作品の面白さを自然な形で引き立てた。特に、オランピアの場とアントニアの場が印象的なのは、これらのヒロインを歌った幸田浩子やアネッテ・ダッシュ(当時の表記はアンネッテ)によるところが大きい。いま調べてみると、ニクラウス役はいまを時めくエリナ・ガランチャであったのだが、私の印象に残る歌手はあくまで先の2人と、キャラクター4役を歌った高橋淳である。

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