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CDs

2012年5月 7日 (月)

エベルト・バスケス Bestiario 動物寓話集 by アンサンブル・ノマド (レーベル:Urtext)

【現代音楽の語法に素直なバスケス】

現代音楽=コンテンポラリー・ミュージックについてはいろいろなことが言われてきたが、作曲家については結局のところ、自分の信じる道を行くしかないものだ。三枝成彰や吉松隆のような考え方も、まあ、一理はあるだろう。だが、私はいつも、彼らの考え方に煮えきらない逃げの姿勢を感じ取っている。この人たちは多分、なにかを捨てれば、それなりに得るものがあるという人たちであって、その立場からものをみているのにすぎないように思われるせいだ。一見、彼らの言動はアカデミズムや、作曲や音楽研究の正統、さらには漫然とした知性主義に抗うような姿勢でもみられるけれど、実際には自分たちの選択を正当化するような、自分に甘い論理に満ちているようにもみえないことはない。

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2010年4月11日 (日)

エリシュカ 【新譜】 わが祖国 with 札響

【自分勝手な愛国心】

いきなり題名に似つかわしくないことを書き出すのだが、「愛国心」とは何だろうか。

私はこの言葉が昔から嫌いで、軽薄な自称「愛国者」に対しては軽蔑以外の何ものも感じない。しばしば、愛国心を持てという表現が使われるが、愛国心とは、意識して持つ性質のものであろうか。私は、そうは思わないのだ。持とうと思って持つ愛国心ほど、見せかけの、薄っぺらなものはないだろう。なにかを愛するということは、人間の自然な感情であり、それは国に対するものとて同じはずである。愛国心は、我々のこころのなかで勝手に育つ。そして、自分は愛国者だなどと威張らなくとも、自然に滲み出てくるものだ。スメタナの『わが祖国』とはそのような音楽である。理由などないが、そこにあるものがいとおしくてならない。汚され、支配され、犯されるほどに、その美しさは尋常でないほどに輝く。

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2010年2月24日 (水)

マルクス・ボッシュ メンデルスゾーン 交響曲第1番&第5番 アーヘン響

【マルクス・ボッシュ】

現在、ヨーロッパでは中堅以下の叩き上げの指揮者に、優秀な人材を多く輩出している。これらの指揮者は前世代の追求した「ピリオド」的な解釈を当たり前のものとし、活きがよく、瑞々しい音楽解釈と、しっかりした構造把握に基づいた正統派の演奏で鳴らしているようだ。例えば、マルクス・シュテンツ、ステファン・ショルテス、エマニュエル・アイム、エドワード・ガードナー、マイケル・ウィグルスワースなどがそれに当たるだろう。

そして、ここに紹介するマルクス・ボッシュも代表選手のひとりに数えられる。現在、アーヘン市の音楽総監督の任にあるボッシュは1969年生まれというから、アラフォー世代の指揮者ということになる。ヴィースバーデン、ザールブリュッケンの劇場でポストに就き、正しく叩き上げのキャリアを積み上げた彼は、2002年にアーヘン氏の音楽総監督となり、舞台、コンサートの両面で一定の名声を築いた。これまでの録音では、同じくアーヘン響をパートナーに演奏したブルックナーの人気が高いようだ。

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